異語り 132 化け狐
コトガタリ 132 バケギツネ
70代 男性
雪国では1月中頃を過ぎると道路脇にでっかい雪山が出来上がる。
ワンシーズンに数回は崩して持って行ってくれるが、大概は降る量の方が多いから春まで雪の壁に囲まれて暮らすことになる。
今は小さな除雪車で歩道も除雪してくれるようになったが、昔は人の歩く幅が踏み固められただけの細い道しかなかった。
反対側から人が来た時はお互いに片足を雪山に突っ込んでどうにかすれ違ったりしていた。
自分がまだ学生だった頃、親に頼まれて買出しに出た。
夏なら自転車で10分もかからないくらいの距離だが、細い雪道を数十分かけて商店へと向かった。
その日は雪は降っていなかったが少し風がある日だったから積もった雪が風で舞い上がり、景色が白くけぶることも多かった。
強い風が吹くたびに立ち止まり、体を縮込ませてやり過ごす。
風がおさまったら顔を上げ、自分の位置を確認してから歩き出す。
そんな感じだからいつもより余計に時間がかかっていた気がした。
やっと2区画先に商店のある通りが見えてきた時、強めの風が来た。
手も首も引っ込めてぎゅっと寒さに身構えていると、ふと妙な気配がした。
風はまだ吹いているが、どうにも嫌な予感がしてちらりと前方をみる。
まっすぐ続く細道は雪煙で白く霞んでいるだけで人や車は見当たらない。
なんだ
と胸をなでおろしかけた。
その霞む道の向こうから巨大な雪玉が転がってくる!
自分の背丈よりも大きい。
歩道の幅めいっぱいの雪玉がゴロゴロと結構な速さで迫ってくる。
すぐそばに脇道はなく、後ろに戻っても間に合いそうもない。
もちろん前方の道も同様だ。
あんなのにぶつかったらえらいこっちゃ
火事場の馬鹿力っていうのか、一種の興奮状態だったんだろう。
とっさに雪壁に飛びついてよじ登った。
普段なら硬いし、崩れるし、で絶対に登ろうとも思わないけれど、その時は避けなきゃ死ぬって思ったから必死だった。
自分の背丈よりも高い壁だったがびっくりするぐらいするりと登ることができた。
もう雪玉はすぐそばまで迫ってきていた。
壁の上にへばり目を閉じる。
ひときわ強い風が吹き抜けた。
壁の上は降ったまんまの柔らかい雪。
吹き飛ばされないように体を埋めるようにして風をやり過ごした。
風が止み、目を開けた。
雪壁は10メートルほど先の脇道でストンと消えていて、道を挟んでまた続いている。
後ろ側も同じだ。
自分はこんもりした雪壁の上で溺れるみたいにしてなかば雪に埋もれている。
でかい魚を背中にでも乗っかっているみたいな格好をしていた。
そして、
あの雪玉はなくなっていた。
どこにもない。
前にも
後ろにも
横にもない
地吹雪の見間違いかって考えたけれど、壁をよじ登る時に何度も見て確認した。
迫り来る雪玉。
圧倒的な白い塊。
縦巻きの地吹雪だったとしても、あんな濃い白にはならないはずだ。
雪壁の下を見たら自分が歩いてきた足跡と壁に登った時に崩れた雪が少し散らばっているだけ。
歩いてきた足跡だってくっきりと残っている。
ただ来た側の道の雪壁がところどころ点々とえぐられていた。
まあそんなのよくある景色だから何の証拠にもならないけど
あんまりな出来事だったから、そのまんま商店まで駆けて行って顔なじみの店主のおやじさんに全部話した。
そしたらおやじさんは大笑いして
「そいつは化かされたんだなぁ、久々に聞いた」って、アンパン一個ご馳走してくれた。
「この辺りにはタヌキはいないから、狐にやられたんだ」って、しばらく笑ってた。
昔には同じように化かされて屋根の上まで逃げておりれなくなった奴もいたらしい。
「もう今は化け狐も少なくなっちまったのかもなぁ」ってちょっと寂しそうな顔もしていた。
確かにあれ以来あんな目には会ってないし、話も聞いたことがない。
どうせならもう一回ぐらい化かされてみたかったなぁ。