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【仕事の話】地方・零細企業はブラック寄りのグレー?~勤務時間と有給休暇~

私の最初の就職先の話です。
「独立して3年目。事業も軌道に乗って販路拡大のための人手が足りない。よければ面接だけでもしてみない?」

身内が持ってきた求人でした。仕事内容は「営業・事務・その他」。
「営業職」は私の中で絶対やりたくない仕事、ナンバー1でしたが条件は正社員。しかも年2回の賞与付き。
時は就職氷河期真っ只中。
選り好みはできないし、何より働かなければ始まリません。
ということで、とりあえず会社見学をしにいくことになりました。


「少数精鋭」という零細企業

着いた先は社長宅の庭に作られたプレハブ小屋でした。
社員は社長含め3人。そこへ私が入っても4人。
事務所は皆さん掃除が苦手なのか、物は散乱。埃も溜まっていました。

取引先は詳しく書けませんが、安心安全お堅いところで、民間企業でありながら公務員並みの「安心」ある仕事でした。
社員の少なさには顔が引きつった自覚もありますが、この「安心」は就職氷河期世代には非常に魅力的で、「これも縁」と強く感じたのも本心。

お茶を出され、職務内容や取引メーカーなどを聞かされた後、
「何時(なんじ)まで勤められます?」
と話は進んだところで、(あれ?)と疑問に思いはじめていたものの
「6時(18時)くらいまでなら」
と、返答してしまいました。
私的にはふわっと返したつもりでしたが、これが就職承諾の返事となったわけです。
この日、私だけが「とりあえず見学に行った」つもりで、会社的には「就業前の説明会」として計画されていました。
そしてこの時の返答が、私の就業時間となったのです。

タイムカードはない

朝は8時30分から終わりは18時。
残業する繁忙期も終わりは「18時」。
21時に終業しても終わりは「18時」。
私の終わりは「18時」で固定され、つまり給料もその分しか払われません。
休憩時間は一応お昼の1時間?
会社的には遅刻も早退の概念もありません。
ちなみに労働基準法で労働は1日に8時間の勤務で定められているというのは後で知りました。
田舎なんてこんなもん、と思っていたところもありますが無知でした。
土曜は隔週で仕事があり、その月の勤務日はみんなで相談して決めていました。
そうは言っても、大体は社長夫婦の予定が優先されます。
しょうがない。ここは社長の会社ですから。

有給は、あって無いようなもの

年間支給の有給はありませんでした。
都度要相談。
先輩社員はまったく休まない人で、よく通院する社長夫人は、ご自分の通院のたびになぜか言い訳のような話をする人でした。

最初はアットホーム、と思っていた

休みたい日に関しては、「ダメ」とは言われませんでした。
何か休暇届けを書くとかではなく、常に口頭で申請です。
「お休みをいただきたいんですが」と。
そうすれば必ず(何年経っても)
「え?半日休むの?」「え?1日休むの?」「え?休むの?」
と返されます。
それまで柔和な口調で会話していた社長夫人の言葉が瞬時に冷たくなり、
社長は夫人が不機嫌になるのが嫌で顔色が能面になり、
先輩の空気感はいつも以上に重くなる。
だから「時間休で2時間〜3時間くらい中抜けさせてくれ」と申請するか、「○日、お休みをいただきたいので、代わりに土曜日は出勤します」と言うようにしていました。
そう言えば、渋々でも承諾してもらえました。
でも、本心は半日か1日の休暇を気兼ねなく貰いたかった。
1度も言えませんでした。

「有給休暇が残り〇〇日あるので、この日は休みます」と根拠を持って申請できないことが、だんだん苦痛になってくるわけです。
しかも私は営業職。日々の仕事にご苦労されているお客様たちと毎日お話をする中で、福利厚生の鬱憤など聞いたことがありませんでした。
そうした日々を長く勤めていると、「要相談」ではなく「決まっている規則」があり、胸を張って権利を主張できる他の仕事が羨ましく思えてきました。

職務内容は充実していたから

就職当時は営業担当が嫌で、やっていけるか不安しかありませんでしたが、お客様に恵まれとこともあって、気がつけばやりがいも感じていました。
おかげて営業地域も増え、県内同業の中でもトップクラスの営業成績を残すことができました。だから10年以上頑張れたんだと思います。

そろそろ変わるべき、、、

勤続11年を超えたあたりでした。
もうそろそろ「田舎の会社」から「ちゃんとした会社」に変わっていくべきじゃないか。
これまで会社に対し「あと何年かしたら変わるかも知れない」と期待し、
「待つだけじゃダメだ。少しずつ社長に進言していこう」
私だってもう30歳を超えていました。転職せず、ずっとこの会社で勤めるなら、気持ちよく勤めていたいです。
「営業成績を伸ばして、私の話を聞いてもらえるようにしよう」と奮闘してきました。
結論。何も変わりませんでした。
何か準備資金が必要になる話でもありません。どんなに訴えても、変化はありませんでしたし、会社も変化を望んでいませんでした。
些細なもやもやの塵が積もって、もう山になってしまいました。

退職を切り出すと手のひらを返したような態度

それまで私の話に対し、けんもほろろだった社長夫妻は
「どうやったらいてくれる?」
「給料をアップするよ?」
「休みたければ言ってくれ」
「少しの間休暇をとってリフレッシュしたらどうか?」
「実はあんたにこの店を継がせたいんだ」
まるで教科書どうりの引き留めでした。
でもこの11年、どんなに訴えても全く変わらなかった会社です。ここで変わるとも思えませんし、もし変わったとしても、一時的なものなんだろうな、という予想もつきました。

少しでも長く気持ちよく仕事を続けるために

仕事をする上である程度の妥協は誰でもあると思います。
「この条件とこの条件は譲れない!」と言った具合で就職活動をするわけですが、「この条件は、まあ我慢すれば何とかなる」と飲み込む条件もあるでしょう。
でもその条件こそ、実は自分にとって1番の妥協できない条件だったりするかも知れません。

退職後ハローワークで色々話を聞いてもらったら
「結構ブラックです。労基に言えばよかったのに」
と言われました。
(いや、そもそも労基に訴えるという手段があることすら知らないし、早く行ってよ!)
もしこの記事を読んでくださっている方が1人でもいて、しかも零細企業、地方企業に勤めている方で、「おや?」と思ったことは労基に相談していいそうです。
第三者に相談することで、問題が少しでも解消されれば、長く勤められることに繋がるかも知れません。
ただし、相談したことは会社にバレますが。




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