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無職の俺をゲーセンに連れてってくれた友達の話

当時、私は無職だった。
東京に出て、新卒で入った会社でうまくいかず、体調を壊して地元に帰ってきていた。
何をするでもなく、実家でゴロゴロと過ごす日々。
そんなとき、友達の高橋が私を遊びに誘ってくれた。
高橋との付き合いは小学校からで、彼がたびたび連絡をくれたおかげで縁が続いている希有なやつである。

実家まで高橋の車で迎えに来てもらう。
こんなふうにして友達と遊ぶのは久しぶりだ。
車中では、King Gnuの「白日」が流れていた。

そうして着いたのは、イオンだった。
まあ、地方の若者が遊ぶところといったらイオンになりがちではあるが。
そうして、高橋はイオンの奥へズンズンと進んでいき、ゲーセンにたどり着いた。
クレーンゲームでもやるのかと思いきや、さらに奥へ進み、おもむろにお金をメダルに換え始めた。
「やろうぜ、メダルゲーム」
そう、この日の高橋の目的はイオンのメダルゲームだったのだ。

まさかこの歳になってメダルゲームをやることになると思っていなかった私は面食らった。
それこそ、私も小学生のころはよくメダルゲームで遊んだものだ。
100円を15枚のメダルに換え、その15枚で1時間、2時間もねばったことを覚えている。
でも中学生になってからは遊ぶこともなくなり、そして社会人になった今では到底楽しめるわけがない。

困惑しつつもお金をメダルに換え、社会人になった男が2人並んでメダルゲームの椅子に座る。
私たちがプレイしたのはメダル落としゲームで、手元の投入口にメダルを入れるとそのメダルが転がっていって台に落ち、その台が動くことでメダルが押し出され、台から落ちたメダルがもらえるというものだ。
大きなメダル落としゲームだと、この投入口が左右に2つあり、私と高橋はそれぞれ左右からメダルを入れ続けた。

「お、メダル落ちた」
「やったぜ」
「あそこ狙おうぜ」
「おけおけ」
そんな会話をポツポツとしながら、淡々とメダルを入れ続ける。
メダルゲームをやっている間は何も考えなくていいから案外よかった。
無職の私にとっては考えたくないことが多すぎた。

そんなふうにして時間が経つにつれ、だんだんと容量が掴めてくる。
メダルを落として特定の穴に入れるとスロットが回るのだが、絵柄が揃うと大量のメダルが落ちてくる。
また、メダルに混じっているきれいな玉を何個か落とすと、ジャックポットのルーレットがまわり、当たれば何千枚というメダルをゲットできる。
そのようなゲーム性も面白く、気づいたら2人で夢中になって遊んでいた。
メダルの増減に一喜一憂し、まるで子どものころに戻ったようだった。

それから、高橋が休みになると2人でメダルゲームに行くようになった。
無職でやることがなく、家で腐っていた私にとってはいい気分転換だった。
そんな中ありがたかったのが、高橋から「お前、これからどうすんの?」といった類いの話を一度もされなかったことだ。
高橋は「無職で家で腐っている友人を外に連れ出してやってる自分」に酔っているのではなく、ただただ単純にメダルゲームを楽しんでいた。
私自身、これからどうするかなんてまだ考えられない中で、高橋とメダルゲームに興じる意味のない楽しい日々に救われていた。

子どもに混じって妖怪を倒すシューティングゲームをやったり、メダルが少なくなると高橋が「ちょっと増やしてくるわ」とメダルのパチンコで一攫千金を狙ったり、ラウンドワンのメダルゲームの豪華さに興奮したり。
最終的には、2人でジャックポットを出すことを目標にメダルゲームに勤しんでいたが、私が実家を出るまでにとうとうそれは叶わなかった。

King Gnuの「白日」を聞くと、2人でメダルゲームをしていた白昼夢のような日々を思い出す。
そんな高橋も今では結婚し、一児の父となった。
その子どもは、おそらく「父と遊ぶ」という点においては、なんの不満もなく育ってゆくのだろうと思う。

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