第44回 逆転現象、その後・・・
首飾りだけを作っていた「例えの村」は、全員が餓死しかけていました。
蓄えていた米を食べ尽くし、山の木の実や葉も食べ尽くし、最後は腐葉土を土がゆとして食べていましたが、それも尽きそうになっていました。
これは、米作りを放棄して、首飾り作りだけに注力したことが招いた当然の結果です。
効率的な生活ばかりを重視し、『risk management』を疎かにした者の末路とも言える状況なのです。
交換が始まったころは、交換して貰えない『risk』も考えていました。
だから、交換比率を高く設定していたのです。
ところが、交換して貰える状況が続くと、最初に考えていた『risk』も、自分たちの意識の中ではどんどん小さくなって行きます。
そもそも、『risk』は事件に伴って発生するものです。
凶作という事件が生じていなかったのだから、交換して貰えないという『risk』が発生する余地が無かったのです。
それなのに、ついつい現状に慣れてしまい、『risk』への警戒感を疎かにしてしまいました。
『risk』は、常に自分たちの側にあり、ただそれに気付かないよう、気付かないよう、誘導されているだけなのです。
彼らは、息も絶え絶えの状況になっていました。
食べられるものは、ありとあらゆるものを食べ尽くしてしまいました。
土がゆだけでなく、木の根や、虫の死骸も口にしていました。
日に日に瘦せ細り、とうとう骨と皮だけの体になってしまいました。
そして終に、一人、また一人と、命を落としていきました。
最後には、たった一人残った村人も餓死してしまい、首飾りを作れる者は誰一人いなくなりました。
緊急時には、『価値観の逆転現象』が起こります。
だからまず我々が心がけなければならないことは、『価値観の逆転現象』を起こさせないようにすることです。
今の例で言えば、彼らは効率性ばかりを追い求めて、食糧自給率を蔑ろにしました。
もし、ある程度でも食料を生産していれば、飢えてガマンを強いられたとしても、全滅することは無かったでしょう。
また、食糧自給率を下げるのであれば、全てを消費するのではなく、一部は貯蔵に回すべきだったでしょう。
確かに、古米は味が落ちることから、価値も下がります。
しかし、食糧自給率を下げたことによる『risk』の『hedge』としては、必要なことだったのではないでしょうか・・・・。
ところで、この『価値観の逆転現象』を逆手に取った戦術で、城を落とした武将がいます。
言わずと知れた羽柴秀吉です。
秀吉は、鳥取城を攻める前に、鳥取城のある因幡国の周辺地域の米を買い漁りました。
その値段は、実に平時の10倍だったというのですから、驚きです。
この噂を聞きつけて、あろうことか鳥取城を守っていた武将たちは、鳥取城の米蔵にあった兵糧すら売り払ったと言います。
そんな状況で、毛利氏より、守将として吉川経家が派遣されてきました。
経家は、米蔵の中身が無いことを見て愕然とし、直ぐに毛利本国に対して兵糧の補給を要請します。
ところが秀吉は、補給が来る前に、鳥取城周辺の農民たちを鳥取城に追いやった上、街道を封鎖し、何重にも包囲して、蟻の這い出る隙間すら無いようにしたのです。
鳥取城は完全に補給路を断たれ、孤立無援の状態になってしまいました。
食料が無い中で、補給路が絶たれれば、後は飢えを待つだけになります。
2か月後には、城内は地獄絵図と化します。
多くの者が餓死し、生き残っている者は餓死者の死体を奪い合ったと伝わっています。
米を売った武将たちは、金蔵で唸る金銀を使うことなく、死に絶えてしまいました。
もし、この時、城内で100倍の値段で米を買うと言われても、誰も売ろうとはしなかったでしょう。
戦争は、非常事態の典型です。
だから、戦争に繋がる買占めだと分かっていれば、誰も売ったりしなかったでしょう。
この点、秀吉は上手に買い占めたと言えます。
戦争だと気付かせずに、城内の兵糧まで売らせたのですから・・・・。
米を少しでも高く売ろうとするのは、平時では当たり前のことです。
褒められることはあっても、呆れられることはありません。
ところが、鳥取城を守っていた武将たちは、兵糧を売って呆れられました。
少なくとも、売った時に攻められる、つまり戦争になるとは考えていなかったからでしょう。
しかし、その次の場面では、戦争になり、非常事態となってしまいます。
つまり『価値観の逆転現象』が発生し、金銭より兵糧の方が貴重になったのです。
この秀吉の罠にハマった原因は、儲け、効率性を重視した結果に他なりません。
確かに、交換比率が良く成ればなるほど、『return』が大きくなるのを意味することから、許容できる『risk』は大きくなります。
但し、それは正しく『risk management』出来ているという前提がある場合のみです。
正しく出来ていなければ、鳥取城の武将たちのように、金銭を枕に餓死するという憂き目に遭うことになります。
5月12日(日)にも書きましたが、今から能登半島に向かいます。
帰宅は21日(火)の夕方になるので、再開は22日(水)になるかと思います。
その間は、相場も殆ど見られないので、短期の手持ちが無くて良かったと思いつつ、この1週間では大きく動かないでくれと思ってます。
果たして1週間後、相場はどんな風景になっているんでしょうかね、楽しみです。
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