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第194回 斎藤元知事のパワハラは捏造か!?

兵庫県知事選挙が近づいています。
その中で、「斎藤元知事のパワハラは捏造!!」という流言が、ネット中心に出回っています。
私は直接関係していませんし、証言を聞いたわけでもありません。
そこで、斎藤元知事も認めている客観的事実を元警察官として考察することで、捏造かどうかを考えてみたいと思います。

客観的事実で有名なのは、「20メートル歩かされて激高した」というものでしょう。
この件に関しては、下記のような事実が確認されています。

① 場所は、播磨町にある兵庫県立考古博物館
② 県立考古博物館の玄関前20メートルには来場者が車に轢かれる「risk」「hedge」するたに車止めがあり、緊急車両以外の侵入を禁止している。
③ これに対して斎藤元知事は、「なぜ、車止めを退けておかなかったのか。外すのを失念していたのではないか」と強く指摘したと事実を認めている。
④ また、このことは、「当時の認識としては、合理的な指摘だった」と答弁しています。
⑤ そして帰りに関しては、指摘された職員の判断で、県立考古博物館に無許可で車止めを外し、玄関前に車を着けた

この中で明確に読み取れるのは、斎藤元知事が「知事という仕事は特別で、車止めを移動させて玄関前まで車を乘り付けるのは当然だ」と考えていることです。
このことを言い換えれば、来場者が車に轢かれる「risk」よりも、自分を20メートル歩かせる方が「risk」の方が高いと言っている訳です。
こう考えていなければ、「なぜ、車止めを退けておかなかったのか。外すのを失念していたのではないか」という指摘をすることは出来ないからです。
また、「当時の認識としては、合理的な指摘だった」と答えていることも、この推測を補完しています。

そこで先ず、日本国憲法14条は「法の下の平等」を唱っています
法学的に憲法は公法の部類に入るため、一般国民に擁護義務はありませんが、政治家や公務員には擁護義務が存在します。
つまり、斎藤元知事は、知事の職にあるときは擁護義務を負っていました。

また、「韓非子」「備内篇」には、次のような話があります。

輿人成輿則欲人之富貴
匠人成棺則欲人之夭死也
非輿人仁而匠人賊也,人不貴則輿不售
人不死則棺不買,情非憎人也,利在人之死也

車屋は「多くの人が金持ちになりますように」と願っている。
棺桶屋は「多くの人が死ぬように」と願っている。
これは車屋が善人で、棺桶屋が悪人だからではない。
人が金持ちにならなければ車は売れないのと同様、人が死ななければ棺桶は売れないだけのことだ。

人々は棺桶屋を蔑むが、もし棺桶屋が無くなったら、その人々は困ることになるでしょう。
つまり、棺桶屋は我々の生活において、無くてはならない存在です。
仕事に貴賤は無く、どの仕事も社会に役立っているということを理解すべきだと述べています。

ですから、よく「福祉職は人から感謝される素晴らしい仕事だ」という声を聴きますが、私は非常に違和感を覚えます。
同様に、政治家も仕事の一つに過ぎませんから、他の職種の人たちと同じであるべきであり、これが平等の実現です。
ただ、政治家等を特別扱いしなければならない理由があるとすれば、それは「警備上の理由」だけです。

前にも書いたことがありますが、知り合いに前立憲民主党党首の泉健太さんがいます。
「泉先生」と呼ぶと、「yorozunoさん、先生は止めてください。泉さんでお願いします。」と言われました。
以来、泉さんと呼んでいます。
政治家扱いされることを嫌がる、非常に腰の低い方です。

その泉さんが党首の時、当然、警察庁のSPが付いていました。
そのSPから、「絶対に自動車の扉を自分で開けないで下さい」、「必ずSPが開けるのを待って下さい」と言われていました。
自分で自動車の扉を開けないのは尊大に見えますが、これが「警備上の理由」であれば、仕方がありません。
勝手に開けると、SPや関係する他の人たちに迷惑をかけることになるからです。

つまり私が言いたいのは、以下のことです。
① 職業に貴賤は無いのだから、知事であっても規則には従うべきである。
② この例外は、「警備上の理由」がある時だけである。

このことから、先の事実を確認すると、20m手前にある車止めで降ろされているのですから、「警備上の理由」が無かったのは明白です。
ですから、齋藤元知事を20メートル歩かせることにどういった「risk」があったのかは、謎です。
もしそのような「risk」が無い中での発言なら、自分を20メートル歩かせるくらいなら、来場者が車に轢かれた方が良いと言ってるようなものだからです。

そして、本来、遵守すべき規則に従った職員に対して、従ったことが間違いだと強く指導していることは、明確にパワハラです。
「当時の認識としては、合理的な指摘だった」と回答しているのですから、斎藤元知事の考えの中では、パワハラの自覚が無かったとのことですが、自覚が無かったことが大きな問題と言える訳です。
この結果、指導された職員は、規則を破って帰りの車を玄関前にまで付けた訳です。
黙って規則を破らせるほど、その指導は強烈だったことも、パワハラに該当すると推定することが出来ます。

単なる県立考古博物館が決めた規則だから、破っても問題ないだろうと考える人がいるかもしれません。
しかし、その考え程、政治家にとって恐ろしいものはありません。
どんな小さいことでも、決められたことは守ってもらうことが、「risk management」を実現するためには必要なことだからです。

ですから、本来のあるべき知事の姿は、自分も車止めから歩くということです。
そうすれば、後に玄関先まで車を着けさせて欲しいと博物館側が依頼されても、「知事でも車止めから歩いて頂いています」と回答できるからです。
規則と言うのは、どこまで例外を無くすことができるかによって、「risk management」の精度が大きく異なってきます。
来場者の安全確保という大きな「return」の前では、知事を20メートル歩かせることも、何ら「risk」だとは考えられません。
結果、斎藤元知事のパワハラは捏造では無く、事実だったと結論付けることができる訳です。

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