第173回 数量の合理化
倹約して「需要」が無くなった「例えの村」では、村人全員が徐々に貧しくなっていきました。
毎日、毎日、あくせく働いても、以前のようなゆとりある生活には戻りません。
どちらかと言えば、ガマンすることの方が多くなってしまいました。
- 倹約して富豪になるはずだったのにどうして・・・・ -
そう全員で嘆く日々が続きました。
そんな時、この村の中に5人の兄弟が住む家がありました。
この家の5人は、他の村人たちのようにあくせく働くようなことはせず、以前のようなゆとりある生活をしていました。
傍目には、自由気ままに生活していながら、生活には全く困っていない風でした。
そこであなたは、5人に尋ねました。
- どうしてゆったり生活しても、生活に困らないのですか!? -
すると5人は、兄弟で力を合わせて生活しているからだと答えました。
つまり、長男は米作り、次男は野菜作り、三男は狩り、四男は漁、そして五男は干物づくりなどをしているということでした。
- それぞれが5人分の働きをしているから、結果的に同じではないのか!? -
あなたは、そう質問しました。
そこで四男が兄弟を代表して、あなたの勘違いを正してくれました。
確かに、5人分の魚を捕る量は、1人分の5倍を捕ることになるので同じです。
ところが、釣るにしても、その日の釣れるポイントを見つけられれば、1人分を釣るのも、5人分を釣るのも、余り労力に違いは無いと教えられました。
釣り始めたら、後は入れ食い状態になるからです。
また、釣るために海に行って帰る労力も1人分で十分です。
竿を作ったり、餌のミミズを採ったりするのも、1人分と5人分では余り労力に違いは無いと教えてくれました。
更に5人兄弟は、船を作っていました。
手隙の時間に兄弟で力を合わせて船を造ったということでした。
これにより、四男は沖釣りを独占することになり、全く苦労することなく5人分の魚を簡単に釣ることが出来るようになっていました。
更に四男の話を、米作りをしている長男が補足してくれました。
米作りも、1人分を作るのも、5人分を作るのも余り労力は変わらないということでした。
そもそも忙しいのは田植えと刈り入れの時だけなので、その時は他の4人も手伝ってくれるから普段はそれほど忙しくないのだと。
つまり、村人たちが気づかなかった「数量効果による合理化」を、この5人の兄弟たちは実行していたということでした。
また、合理化による余力を活用した新技術の開発(造船)も行っていた訳です。
造船の結果として大魚が釣れるようになることは、新技術により生産性の向上を達成したのと同じになる訳です。
ただ、村を挙げて倹約していることから、このことを言い出せなかったと言うことでした。
この話を聞いたあなたは、5人兄弟に、自分も仲間に入れて欲しいと頼みました。
あなたは、自給自足の限界を肌で感じていました。
富むどころか、徐々に貧しくなっていくことの原因が分からないために打開策が見当たらず、悶々とした日々を過ごしていたのです。
その打開策が目の前にあることが分かり、居ても立ってもいられなくなったのです。
おなたは、水汲みや雑用など、何でもするからと5人に頼み込みました。
彼らは元々独占するつもりは無かったので、喜んであなたの申し出を受け入れて、仲間に迎え入れてくれました。
5人分を用意するのも、6人分を用意するのも、余り違いは無かったからです。
あなたが入ったことで、5人の兄弟たちは、更に余裕が持てるようになりました。
これまで5人でやっていた雑用などを、あなたが兄弟たちの代わりにするようになったからです。
あなた自身も、今まで全て自分でやっていたことを、雑用をするだけで良くなり、作業量が大幅に減りました。
飲み水を運ぶ量は6倍になりましたが、風呂水を運ぶ量は2倍はおろか、1.5倍程度で済みます。
燃料に使う薪の量は、6倍には程遠く、自分のものだけの時より少し多い程度で済みます。
ここであなたは気づきました。
数量効果による合理化は、作業の種類によって、その効果が大きく異なるということです。
食料や飲み水などの一人一人が消費する量が決まっているモノは、数量効果が出難いです。
ところが洗濯や入浴など、多くの人で使いまわせるものは数量効果が出易いのです。
つまり、「自給自足」で貧しくなったのは、この数量効果を全く生かせなくなったからだということなのです。
「需要」は、数量が纏まることで、減少させることが出来ます。
これを効率化と言い換えることができるのですが、需要が減少するとことは倹約と同じことになります。
ただ、この倹約は「自給自足」の倹約と異なり、「合理化」の倹約となります。
「合理化」であれば、以前と受けるサービスの量は同じなのですから、余剰時間を従前のサービス維持のために消費する必要はありません。
だから、新しいサービスの開発に回すことが出来、より良い生活を志向することが出来る訳です。