第22回 無知ほど怖いものは無い
「あたし、小学生の頃先生に、ムチより怖いものは無いと教わったんです。」
「へぇ~~。」
「あたし、ムチは知らないことの『無知』じゃなくて、武器の『鞭』だとず~っと思っていたんです。」
「・・・・・・・(確かに無知より怖いものは無い・・・・)。」
以前、部下に『risk』を教えている時に、笑いながら言われた実話です。
『risk management』では、この『無知』というものが最大の『risk』になるということを知らない人が多すぎます。
本当に、無知より怖いものは無いんです。
と言うのも、そもそも『risk』の存在に気付くには、それ相応の知識が必要になるからです。
『無知』であるということは、その『risk』の存在自体に気付くことができず、事前の対策もなく悪影響を直接受けるという事態に陥ってしまうことになるのです。
例えば、市町村が発行するハザードマップ。
最近は、多くの人が知っていると思います。
10年以上前から存在しているのですが、当時から知っている人は数えるほどしかいません。
自分の住んでいる地域に、どんな危険が存在しているのかを教えてくれるものなのですが、そんなことを意識すらしなかった人が圧倒的に多かった訳です。
だから、ここ最近の風水害で、被害を受ける人が後を絶ちません。
そもそも洪水で水没するような地域に、平気で家を建てる。
そして、その家を平気で買う。
無知とは、これほど恐ろしいものです。
もし、洪水が起これば水没する地域と知っていたら、家を建てて売ろうと考えないでしょう。
いや、今の時代ならそうは思わないかもしれません。
シッカリと国が対策してくれているだろうから、洪水は起きないだろうと勝手に決めつけてしまう。
だから、家を建てて売るのです。
買う方も、売られているのだから、問題ないはずだと考える。
問題がある地域なら、建てられないはずだと、勝手に決めつけている。
どちらも勝手に安全と決めつけて、自分で確認することを怠るから、大きな被害を受けてしまうのです。
大雨が続いたときにどうなってしまうのか!?
大雨により、水害が発生する地域か、そうでない地域なのか!?
水害が発生した場合、自分の家に被害が及ぶのか、そうでないのか!?
被害が及ぶとしたら、どのような被害になるのか!?
その被害が発生した場合、事前の回避策は存在するのか!?
事前の回避策が存在しない場合、事後の対策は出来るのか!?
どこかの段階で『risk management』が出来ていれば、大きな悲劇にはならないはずです。
それができていないから、毎年、大きく報道されるような悲劇が生まれてしまうのです。
『risk management』では、知らないということは、それ自体が大きな『risk』になります。
それでも、これが個人であれば、諦めもつきます。
自分の『無知』が問題だったんだと考えれば、嫌でも納得しなければならなくなるからです。
ところが、これが他人の判断によるものになると、話が変わってしまいます。
『無知』な者が、自らの『無知』に気付かず、大事な判断をする。
その結果、その者だけでなく、集団全体が大きな被害を受けてしまう。
『例えの谷』の丸太の前のAが無知なリーダーだったら、強引に渡らせようとするでしょう。
なんせ、自分は平気なのですから・・・・。
その結果、Dが足を踏み外して落下し、Cがその巻き添えを食ってしまう。
運んでいた荷物も谷底に落ち、Aは荷物を運べなかったのはCとDのせいだと恨むことになるでしょう。
本来であれば、CとDがAを恨むのが当たり前なのですが、現実はそうではありません。
このようなことがあっても、CとDが『無知』であれば、気付かないから諦めることができるでしょう。
しかし、『無知』でなければ、こんな恐ろしいことはありません。
トラブルに、自ら進んで突っ込んで行くAに引っ張られるのですから、自殺行為以外の何ものでもないのです。
CとDが意見を具申して、聞き届けてくれるようなAなら、そもそも突っ込んで行くようなことはしません。
そういう者は、無能であるが故に視野が狭く、他人を見下し、その意見に耳を傾けないのが常なのです。
だから、否応なしに巻き込まれて、自分も被害を受けてしまう。
そして、その相手は、良くて『まさかこんなことになるとは予想していなかった。』とお決まりのフレーズを囁き、悪ければ失敗した原因を下の者の責任にして恨むのです。
「こうなる可能性がある」、「こうなる可能性が高い」と意見を具申していても、「必ずそうなるとは限らないだろう」と言う言い方をして聞き届けなかったのにです。
そして日本では、こういうことが当たり前のように起こっているのです。
そもそも日本人は、『risk management』という考え方を、歴史的に持ち合わせていません。
だから、個々で『risk management』をして、『risk』を『hedge』するという考えが育っていないのです。
それが、集団を統率する立場の人間であっても、そういう意識は無いため、平気で無責任なことをするのが多いのです。
日本人の感覚としては、数の力、集団の力で苦難を乗り越えようとします。
だから、統率者が誤った判断をしても、全員で力を合わせて乗り越えれば良いと都合よく考えているのです。
企業に於いて、創業者が大株主であるところは、非常に魅力的です。
創業者は、その企業を自分のものと考えていますし、更に発展成長させようという意欲に満ち溢れているからです。
ところが、自信は過信を生む危険性を常に孕んでいます。
悪気が無くても、自分のレベルが高くなり過ぎて、周囲が付いて来れないことは良くあります。
そしてそのことに気づいていないことも・・・・。
過去、新興企業がダメになったケースは、殆どがこれだと思います。
また、分かりやすいのは、外食産業を始めとする小売業で、出店ペースに見合う人材確保が追い付かず、結果、サービスの質が低下して消費者からそっぽを向かれるというケースです。
記憶に新しいものでは、3053ペッパーフードSの「いきなりステーキ」でしょう。
急拡大で株価も急騰しましたが、売上高の急減で、株価は急反落してしまいました。
経験のある多くの投資家は、急拡大し始めたときには既に、この末路に至るのは当然のことだと囁き合っていたことを覚えています。
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