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【ボカロ】柊マグネタイトの大アンチが「テトリス/重音テト」を分析する【野次馬】【何でも許せる人向け】

$${\Huge俺は}$$


$${\Hugeカス曲書いて}$$


$${\Huge創作者気取りの}$$


$${\Huge柊マグネタイトが}$$


$${\Huge大嫌いだ!!!!}$$




$${\Huge\bfええええぇえええぇええええええ}$$


消しちゃったの~~~???



【注意】この記事は、柊マグネタイトのアンチ、かぶらやが柊マグネタイトの批判をする記事です。

柊マグネタイトファンはブラウザバックを推奨します。

開いた時点で見る気まんまんか、、、

はじめに

 こんにちは、かぶらやだよ。ついに柊マグネタイトが炎上!!!アンチをしてきた甲斐があったというものだなあ


(アンチ活動?(笑))


 私は柊マグネタイトの曲も、創作者としての態度も、

$${\Large\bf大嫌い}$$。

 つい先日、欧米のリスナー(?)から、新曲「ざぁこ」が歌愛ユキを性的に扱っているとしてバッシングされ、動画非公開に追い込まれた。
 私は思う。クソしょうもな!!!欧米のポリコレに屈してんじゃねえよ。もっと別のことで炎上しろよ。例えば曲が悪いとか。

 というわけで、現在話題沸騰中の柊マグネタイトをディスって、自分が新たな火元となりたいな~~~~~~


「テトリス」

 思ったより多くの人が「テトリス」と最近の柊マグネタイト楽曲に不満をもっているようだ。「歌詞がバズ狙いで~~~」とか「テトに厭世歌わせるのもうええでしょう~~~」とかそんなチャチなディスはお呼びでねえええ


 私がこれから行いたいのは筋道だてた分析と批判な訳で、後記するが、私はバズ狙いも創作者の生存戦略として認めている。

サムネ


 まず私は、売れる(ための)現代ボカロの三要素を次のように定義する。

①サムネ
②歌詞
③メロディー

 消費者が一番最初に目にするのはサムネだ。良いサムネデザインは視聴を促進する。ボカロサムネは特に、映っているキャラの魅力の要素が大きい。かいりきベアやナユタン星人を筆頭に一枚絵&背景単色という小編成で勝負するようになった近年のボカロ。このパターンのヒット曲は挙げるときりがない。まず一度動画をクリックさせるために、サムネはとても重要である。
 
 では、「テトリス」のサムネを考える。

 シンプルなデザインである。重音テトが画面内をあまり占めていないことが特徴的だ。これは、「強風オールバック」の影響だろう。

 配置だけでなく、幼女を主役に据えていることも共通する。「ざぁこ」や「可不ェイン」もそうだ。

フォントも似てるじゃんね

 本題の「テトリス」のサムネだが、同じく大ヒットした「メズマライザー」のサムネを見てほしい。

 「テトリス」、「強風オールバック」、「メズマライザー」は、赤と黄色がサムネに含まれている。このカラーは相手を興奮(=視聴を喚起する)させる作用があり、そして目を引く。サムネに必要な広告効果をしっかりと満たしているのだ。これが、「強風オールバック」から続く「ミーム性」である。

 しかし、「テトリス」はただ明るい曲ではないということに言及しなければならない。

 年のインターネットでは、躁鬱、発達障害といった概念が、「病み」や「○○キャンセル界隈」という言葉で、もしくはオーバードーズ、リストカットという行為でコンテンツとしてパッケージされた。

 柊マグネタイトは、そういった「ダークな」ものにあこがれる層をポップな楽曲でキャッチしてみせた。

「人生キャンセルキャンセル界隈(=自殺すらできない)」

「ねえ誰か助けて」(≒メズマライザー「誰か助けてね」

 しかし、ただ暗いだけではない。一見すると明るいというのがポイントだ。暗いだけの曲が一世を風靡した時代もある。例えばMARETU、syudou、柊キライ、なきそ、近年のボカロだけでもこの通りだ。

病み担当
ダーク担当

 これらに比べて「テトリス」、「メズマライザー」のサムネイルがなんと明るいか!赤&黄色というカラーリング、これまでのダークな楽曲ではありえなかっただろう。

 要は「強風オールバック=ミーム系」と「ダーク・病み系」のいいとこどりである。ミームはすぐに味がしなくなるのが難点だが、歌詞を工夫することで長持ちさせることができる。この点については、次章で詳しく述べる。

 この「一見明るいけど病み」が、最新ボカロのトレンドであるということがわかっていただけたか。

 

歌詞


歌詞考察はしませんよ。↓この程度の記事で十分でしょう。

 

 詞は具体的である必要はない。むしろ、曖昧で、それっぽいほど良い。視聴者が勝手に想像し、物語を生み出すからだ。味のしない歌詞はすぐ飽きられてしまうが、歌詞に考察要素(のようなもの)があれば、長持ちする。これは「テトリス」に限った話ではない。昔から、ボカロの歌詞は意味不明だ。現代では、歌詞をうまく設計して世界観をガチガチに固めても、大衆がそれを理解してくれない。TikTokのようなアプリが文脈を破壊して消費してしまうから。だから、一曲で完結する考察「ごっこ」のための意味深な歌詞が必要である。考察といっても、「ごっこ」だから、その後に二日酔いしてしまうことはない、薄いものが好ましい。
 「病み」な歌詞であればなお好ましい!ダークさはメイン消費層の興味をそそるうえ、物語の可能性が広がるから。

 逆に、歌詞に何の意味も込めないこともできる。例えば、「ざぁこざぁこ」「よわよわ~」は、「メスガキ」を表す記号として作用するが、そこに考察要素はない。(広義のセックスアピールではある)あまりにも明らかだからである。こうした、深い意味のない言葉、見てくれのための言葉は、「ミーム性」を高めることにつながる。

外出た瞬間終わったわ

 何も深い意味がないワンフレーズである。覚えやすいキャッチーな歌詞はいつどこでも人気だ。

 一曲完結型、わかりやすい、後味すっきりな楽曲が好まれるようになった現代シーンに合わせて、「可不ェイン」も「テトリス」も「ざぁこ」も作られているのだ。「メズマライザー」も「明るいけど病み」「考察要素」「ミーム性」が組み合わさった現代ボカロの売れるテンプレートを踏襲している。

 かし、「このテンプレートに沿えば売れる」というのは間違いを含む。「売れた曲が、同じテンプレートを共有している」という表現のほうが正しい。加えて、要素は複合的で、全てを網羅する必要はない。例えば「ラビットホール」は、「明るいけど病み(弱)」「考察要素」「ミーム性」これらに加えて「セックスアピール」がある。サムネはピンク、バニーガールで胸を強調し、歌詞では「淋しくなったら誰でもいいじゃん」など。うさぎは発情期が早く繁殖旺盛。
 Channelによるラビットホールの二次創作MV(ミーム性・セックスアピール)がヒットに貢献ことは疑いの余地ない。「病み」要素もある。

Dreamcoreを感じさせる

セックスアピールが動画再生に対して効果があることは言うまでもない。釣りサムネがなんのために存在しているのかを考えれば明らか。

メロディー


 セメスが指摘した通り、コロブチカのような「だれでも知っているコンテンツ」を利用することには意味がある。YouTube Shorts、もしくはTikTokで、「テトリス」のサビだけが流れてきたとしよう。

 この時、「テトリス」初見の視聴者にとって、「テトリス」は、他のオリジナル曲初見に比べて圧倒的に理解コストが低いのだ。知ってるメロディーに重音テトが歌詞をつけて歌っている。歌詞が聞き取れなくても、現代にチューニングしたアレンジは、耳に残るに違いない。(アレンジメント技術は柊マグネタイトのリスペクトされるべきところだ)これも、現代の音楽消費スタイルに合わせたものだ。サビの30秒だけで作品として成り立つこと。それが「ミーム性」の条件の一つである。

 イントロがないのは近年の定番であるからわざわざ言及しない。Aメロ、Bメロは柊マグネタイトのオリジナル部分だが、リズムと押韻でごまかしている感がある。売れるためには一番聴かれるサビに注力して、Aメロ、Bメロはそのおまけでも構わない。曲全体の時間もかなり短い。Cメロを作ったところで消費者は飛ばしちゃうし。

 残念なことに、メロディについて語る部分が少ない。音楽として、そして分析記事としてこれでよいのか。



共有されてきた価値観を利用すること


 例えば、初音ミクといえばネギ。重音テトは31歳の性別キメラ。可不の好物はカレーうどん。ずんだもんは可哀想が似合う。多くの消費者がこういった個人によって二次創作的に付与された属性を理解している。さらに新たな文脈を付与できるだろうか?

 では、今流行しているボカロシンガーは誰だろうか?重音テトだろう。「人マニア」「オーバーライド」「ライアーダンサー」「あいのうた」「メズマライザー」重音テトSVの発売から持続的にヒット曲が生まれ続けている。「テトリス」は、タイトルに「テト」とあるように、キャラクターソングである。先述した「明るいけど病み」の上に、重音テトが持つ属性、

「お姉さんなのに社会不適合者」
「君は実に馬鹿だなといいつつ見捨てないお人よしさ」
「足立レイとのカップリング」

 こういった、消費者が共有する価値観を利用することで面倒な導入なく情報を追加できる。

 消費者の趣味嗜好が多様化するなかで、全員を同じテーブルに並べて同じ価値観を持たせることは難しい。「ミーム性」は、文脈を超えて広がる能力も意味する。重音テトがフランスパン好きなことは知らなくても、最近流行している価値観を用いることで、導入を簡易化できる。既存のミームに便乗することもミームの能力である。「ざぁこ」内のパロディ量には目を見張るものがある。


「ミーム性」は、それ自身を均質化するだけでなく、視聴者をも均質化する能力を持っているのだ。


中間まとめ


楽曲には、売れるための要素がある。

  1. 「ミーム性」
    消費されやすさ。既存の文脈に乗っかることで視聴者を均質化する能力。
    自らの文脈も破壊されてしまうので単体力が問われる。
    長期的なストーリー制作には向かない。

  2. 「考察要素」
    楽曲を飽きられにくくする手法。視聴者に曲を考察させるためのもの。
    その内容が想定していたかどうかは問わない。

  3. 「明るいけど病み」
    「ミーム性」と「考察要素」のいいとこどり。
    消費されやすく、飽きられにくい現代最強テンプレート。

  4. 「セックスアピール」
    女性的魅力を強調して、消費されやすくする手法。

例を示す。

「メスガキ」は「ミーム性」と「セックスアピール」の二つに当てはまる。なお、「わからせ」がほとんどの場合付随する。

「VOCALOID愛」は「ミーム性」に当てはまる。しかし、メイン消費者の外への発展は見込めない。「あいのうた」や「のだ」は、ボカロ消費者に対してはクリティカルだったが、それ以上のヒットにはならなかった。

DECO*27の楽曲「サッドガール・セックス」は「ミーム性」、「明るいけど病み」、「セックスアピール」にあてはまる。流石DECO*27である。


商業的な音楽に対する私なりの批判


 ここまで述べてきたことは、あくまでも売れるボカロの研究だ。私のここまでの議論は売れたいボカロPにとってはかなり有意義であったと思う。しかし、私はここまでの議論を前提に、音楽性と創作者が持つべき態度について述べたい。

 楽曲が売れるのは偶然ではないし、必然でもない。事実、DECO*27が作ったにもかかわらず「サッドガール・セックス」は「ラビットホール」ほど売れてはいない。
 対照的に、決して有名なボカロPではなかったはろけるは、「メズマライザー」の手法を用いて「キャンディークッキーチョコレート」でヒットを収めた。(既存ミームへの便乗)

 すべてのヒット曲が先述のテンプレートにあてはまるとも言えない。2024年を踏まえて分析したものだから、2025年後期にはもう使い物にならないかもしれない。

 私の本来の目的は、「現在の柊マグネタイトを批判する」ことだから、やはりここまでの議論は必要なものであった。


「テトリス」についての一般的な批判


  1. 歌詞が大衆受けやバズを狙っているのが透けて見えて嫌だ。

  2. ありきたりな鬱歌詞に飽きた。

  3. 既存の曲「コロブチカ」を汚した。

  4. 一部ファンが「コロブチカ」のYouTubeコメント欄で暴れている。

  5. ゲームTETRISに便乗している。

  6. 昔の作風のほうが良かった。

  7. 流行っている曲全般が嫌い。

 ほとんどの批判は、「流行狙いであること」に帰着できる。流行狙いが嫌われるのは、インターネットに古くからはびこる嫌儲思想によるものである。「テトリス」が今ほど流行っていないと仮定したとき、ここまでの批判が寄せられただろうか。「出る杭は打たれる」ということわざの通り、「流行ったから」批判されているのだ、という推論が可能である。しかし、ここまでの議論で、「テトリス」は売れるためのテンプレートにぴったり収まっていることが確認できた。たとえこの曲が売れていなくても、「バズ狙い」のそしりを免れぬのではないか。
 「コロブチカ」やゲームTETRISに便乗したことは全く擁護できない。それが「ミーム性」の根幹だからである。
 では、バズ狙いは悪なのか。私はそうは思わない。音楽業界も資本主義の一部であり、音楽制作にはコストがかかるから、元を取りに行くことは認められるべきだ。バズって有名になれば、聴かせたい曲が多くの消費者に届けられるようになる。社会にメッセージを発信できるようになる。
 加えて、すべての創作者が高尚な芸術を生み出すことを目指すことは必要ないと考えている。音楽は聴き手を考えてこそ価値がある。自分の体験や思想を皆に伝えたいという気概がなければ、自己満足の作品ばかりになって、音楽性が逆に失われてしまうだろう。

  しかし、本質はそこにない。商業音楽であっても、「流行狙いだ」と批判されないことはある。そのような音楽と「テトリス」は何が違うか?

 音楽性の低さである。

私の「テトリス」と柊マグネタイトへの意見


 ミーム性のためには、歌詞が薄いか、それっぽいかのどちらかが必要である。そのどちらも、消費者を感動させるには足らないのではないか。歌詞に創作者の思想が出ないから、歌詞で感動できない。耳障りの良い押韻だけでなんとかなる問題ではない。

 メロディーを考えると、サビは「コロブチカ」の上にオリジナルの歌詞をつけるのみだ。オリジナルのAメロ、Bメロはメロディックなのか。

 アレンジメントは、確かにTikTokやYouTube Shortsに適応してはいるが、それは音楽性を高めるに寄与しているのか。ダンスを踊ったりBGMにするためのものが音楽性が高いと言えるのか。

 映像のクオリティはどうか。二次創作しやすいかもしれないが視覚的な楽しみは少ない。「強風オールバック」と「可不ェイン」に近いから既に観たことあるように感じる。

 バズのために楽曲のメッセージ性を捨て、普段はネタツイートに勤しむ彼に、どうして創作者として敬意を払うべきだろうか。

 柊マグネタイトが「テトリス」で批判を受け、「ざぁこ」が動画非公開に追い込まれたことで、自らの原初の音楽的思想に立ち返ることを期待する。それは、「ざぁこ」が倫理的に不適当であるということではない。私は、柊マグネタイトが音楽で何を表現したいのかにとても興味を持っている。それは単に彼が目に余るだけではなく、彼に期待を寄せているからである。



以上



おわりに


  • なぜこの記事を書いたのか。
    柊マグネタイト炎上に加担することで相当なインプレッションが見込めるから。柊マグネタイトおよび音楽全般に対しての私の意見を拡散できる機会であると考えたから。

  • 誰あての記事なのか。
    誰あてのものでもない、自己満足のため。柊マグネタイトがこの記事を読むことなどはなから期待していない。

  • 結局お前は誰なんだ。


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