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バリ島の娘になった

初めての海外旅行は父と行ったネパール

カトマンズを離れポカラ空港に降り立った時に
妙に懐かしい気持ちに包まれた
初めての海外旅行なので絶対にありえないことだけど
カトマンズの空港では感じなかったHOME感
絶対に以前ここにいたことがある
と、感じ取った

きっと前世はポカラで過ごしたことがあったんだと思う

そういう場所ってありますよね?
その翌年もポカラを訪れた

空から眺めたヒマラヤ山脈はショコラケーキのように見えた
2700mの木々の茂らない山岳地帯のジョムソン空港に着いた時には
月にいるような気分になった
宇宙を創造し生と死、美と醜、全てを受け入れてくれる
寛容さと残虐さを持ち合わせヒンズー教の神々に魅了された
そしてその神々が住むという6000m級の山々に憧れた

旅すること 
現地で目で見て感じることは
とにかく刺激的だった
そこから私は旅にはまった

折しも格安航空券全盛期。AB-ROAD(リクルートが発行していた海外旅行情報誌)で安い航空券を見つけては何よりも安い航空券を予約し
”バックパックが歩いている” のかと思ったよと西洋人に言われるくらいに
大きなバックパックを担ぎ、地球の歩き方を抱え 旅に出た

今までに行った国

韓国、中国、インドネシア、タイ、カンボジア、シンガポール、マレーシア、インド、ネパール、パキスタン、アメリカ、カナダ、メキシコ、グアム、ハワイ、トルコ、モロッコ、ポルトガル、イギリス、フランス、オーストラリア


アジアで安宿宿泊なら1日1000円~1500円で
ベッドの上に敷くダニ予防の敷マット
市場ではよく火が通ったものを食べる
くらいの注意をすれば(笑) 快適に過ごせたので
20代前半はアジア、特にアジアンビーチを目指すことが多かったです


インドネシア バリ島は第二のHOME

大学を卒業したばかりの1年目の東京で働いていた時に
仕事先で出会った人に
「卒業旅行は行ったの?」と聞かれました

看護師の友達と遅めの卒業旅行にバリに行こうと計画をしていたので
「まだ行っていないのですが、バリに行こうと思っています」と答えると

「じゃあ、家に泊まれば?」と返ってきた!

え?家に泊まるとは?
バリに家があるのですか?
ひょっとして、お金持ちですか???
頭がいろんな空想でいっぱいになったところ

「奥さんがバリ人なんだよ」と。

なるほど。
本当に泊まっていいんですか?
「泊まります。泊まります。ぜひ泊めてください。」
初めてお会いした人だけど、断る理由はみつかりません!
むしろ楽しそうだし

はじめてのバリはホームステイ
空港に着くとホームステイ先のお兄さんが私の名前が書かれた紙を持ち
ツアー客を待つ旅行会社の現地スタッフと並んで待っていてくれました

敷地内にお父さんの家族4世帯が一緒に住むバリでは一般的な大家族
日本語が話せるのは日本で知り合った方奥さんのお兄さんのみの環境で
2週間過ごしました(友達は1週間で帰国)

この時の居心地がほ~んと~によかったのでしょうね
その年は3回バリに行きました
毎回ホームステイです

インドネシア語を勉強したり
手での食事を習得
手でのトイレ習得
サロン(民族衣装)もかわいく着れるようになり
スンバヤ(お祈り)もかっこよくできるようになり
ベモ(ローカル乗り合いバス)も乗れるようになり
パサール(市場)での値段交渉も上手になり
ローカル友達もでき、朝には空きビンタンビールがたくさん並んでました
(これは本当に迷惑かけたと思います)

その次の年もその次の年も毎年1回以上のペースで
バリに帰りました

いつしかバリに行くではなく「バリに帰る」

の表現が正しくなりました
他の国を旅をしていてもバリが恋しくなるのです
バリの家族に早く会いたくなっちゃうのです
バッパ(お父さん)は私のバリのお父さんとなり
私はバッバの娘となりました

どこへ行くにもバッパへの報告、お許しが必要なのです
基準がかなり厳しく家族またはバッパの知っている人が
一緒でなければ 「危ないからだめだ」と許可されないのです(笑)

アイランドリゾート地のバリ島なのに
ビーチリゾートを知らない生活
・海水浴は真っ黒い砂のローカル海水浴場で洋服を着てのマンディスタイル
・デートはお祭り
当時、ローカルの若いカップルたちは少し遠い寺社でのお祭りへお祈りに出かけるのがデートのひとつだったので、友達の原チャに2ケツして出かけると村で噂になっていましたよ。
あっ、○○○(友達の名前)のパチャール(恋人)だと。
・クタやサヌールのツーリスト向けのクラブではなくローカル御用達ビーチクラブ

そして時が経つとバリに帰る理由が
家族の祭壇の祭りがあるから
近くのお寺の100年に一度の大きなお祭りだから
バッパが日本に来る際に迎えに行かなきゃだから
お葬式だから、お見舞いに行かなきゃ
と、もう完全にバリ人になっていました

最初にバリを訪れたのは2000年
それから22年
その間 バリの家族も日本の我が家に来てくれたり
(本物の)父との最後の海外旅行先はバリでした
父とバリの家で一緒に過ごせたことはよかったな~

I miss Bali 
Saya kangen ama Bali 


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