2LDKが日本を変えた?縁側から始まるコミュニティ


こんにちは、ゆるノートです!
日本の住環境とコミュニティの変化について、面白いエピソードをシェアしたいと思います。1950年代、都心の住宅不足を解消すべく立ち上がった大きな団地群実は団地が沢山出来た事で人間のコミュニティは大きく変化したという話

都心への出稼ぎ労働者の住宅不足

1950年代、日本は高度成長期を迎え、都心への出稼ぎ労働者が急増しました。この急速な人口増加に伴い、住宅不足が深刻な問題となりました。この問題を解決するため、大規模な団地が各地に建設されました。

日本家屋の役割
それまでの日本の家屋は、平屋が多く、お金のない若者などは長屋に住むことが一般的でした。
日本家屋の代表を思い出すなら。
サザエさんのお家(正確には波平)ではないでしょうか?

さて、その日本家屋でコミュニケーションの場となるある場所。
その特別な場所が日本の家庭において素晴らしい役割を果たしました。


それが、"縁側" です。

縁側の魔法
縁側があったお宅に住んでいた方々は、近所の人々との不思議なコミュニケーションを楽しんでいました。近所のおばさんがふらっと立ち寄り、声をかけると、奥さんが出てきて楽しく会話が始まりました。
お裾分けやお茶を交換し、縁側に腰をかけてのほほんとした時間が過ぎます。

縁側の役割
縁側に集まることで、家に上がるという敷居の高い行為を解消し、コミュニティの形成と近所の人々との繋がりを作り出す場となりました。30分から1時間ほどの短い時間でも、毎週のように行われ、近所の人々との絆を深めました。

団地との比較
しかし、団地の生活は異なりました。インターホンを押して鉄製のドアが開くまで、誰が隣に住んでいるかさえわからない状況でした。
狭い共有部でしかコミュニケーションが取りにくく、壁が薄いために大声で話すことすら難しい状態。。。
1950年代、都心の住宅不足を解消するために建設された団地によって、日本家屋の縁側はどんどんと減っていきます。
日本の住環境とコミュニティにおける大きな変化を象徴しています。
縁側が外と家をつなぐ特別なスペースとして、近所の人々との繋がりを築き、暖かなコミュニティを形成しましたが。
今ではタワーマンションや建売住宅と言った子供達が遊ぶスペークもなく、道路ギリギリまで建てたれた建物が立ち並びます。

縁側が日本のコミュニケーション復活の鍵か?

縁側が提供した、家族や近所の人々との貴重な瞬間を振り返り、その意味を考えることは、今日の日本社会においても価値あることではないでしょうか?
ただオシャレな建物でセキュリティが高く。
車が置けて敷地ギリギリいっぱいまで建てる昨今の建築。
建物は安全はもとより。
人とのコミュニケーションを作り出す。
モノとして作られるべきではないでしょうか?

僕の田舎の友人は。
「バーベキューが出来るのが1番最高だよね!」
と言って土地の半分は家屋、残りは庭にして楽しんでいます。

これはきっと数千万、数億円タワーマンションでは体験できないでしょう。

皆さんはどう思いますか?

ではまた!

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