必要だけど苦手なもの㊐23/02/05
Youtubeの生配信コメントのことです。
お?インターネットチクチク日記か?と思われてしまったかも。思った?ごめん。でも違うから安心して。いや、でも部分的にそうかも。アキネイターだったら「あなたが考えているのはYoutubeの生配信コメントのことですね?」って言ってくる。わかんないけど。
配信のコメント欄。
なんだか、苦手だ。
これは別にコメントをしている人に対するネガではなくて、ただ単純に自分が順応できない場所について苦手という言葉を使っているだけ。(だからチクチクじゃないぞ!!!マジで!!!!)
理由はハッキリしている。
私みたいな雑魚オタクは、能動的にコンテンツを楽しむことが下手なのだ。
配信や動画などのコンテンツのことをあくまで「受け取るもの」として認識していて、コメントのように一種の「参加型」みたいなものから一歩足を引いてしまう。
要は「体験型アトラクション」と「映画」の違い、みたいな感じ。
私がYoutubeに求めているものは「映画」的な楽しみであって、アトラクションは求めていない。
勿論体験型アトラクションを求めてYoutubeに来ている人だっているんだろうし、それが良いだの悪いだのとは思わない。だからこれは嫌悪感とかは関係ない、単純な「苦手」だ。
また、上の話とは由来の異なる苦手意識もある。
比べればそこまで大きい要素ではないんだけど、ちょっとだけある意識。
配信者さんの方からコメントをしているリスナーの個人を認識すること。
これがちょっと苦手。
大人気の配信者さんとかであれば「配信者とオーディエンス」というある意味一対一の構造になるからこれを感じることはあまりないんだけど、私はオタクだから。深夜とかに雑談しながら作業配信をしている新人VTuberさんとかの中・小規模な配信とか見に行くワケ。あるじゃん。そういう夜。(なかったらごめん)
そういうところではもう仕方がない側面はあるけれど、この"個人認識"があまり好きではない。
なぜなら「配信」というコンテンツに「コメント(全体)」という要素があるのはいいとして、「リスナー(個人)」という要素が入ってくると一気に変わってくるから。
内輪感みたいなものが生成されるとか、立場が曖昧になるとか。色々なものが変わる。言ってしまえば不健全になるとも言えるかな。
ここを一つ一つ説明していくことはしないけど(日記だからね!)、あくまで「配信」というコンテンツである以上はしておいた方が良い線引きというのは勿論あって、私の思う線引きはここだという話。
リスナー同士で会話をしている場合だってある。
馴れ合いなんて言い方をするとかなり悪い事みたいな字面してるけど、実際健全ではない。コンテンツの終わりを早める行為だ。
個人の認識も馴れ合いも、決して悪いことだとは思っていない。
その健全じゃなさを求めている人だっているワケだし、決して存在が憎かったりするわけではない。ただ私には合わないというだけで。
あくまでそのラインを決めるのは配信をしている人であって、我々リスナーではないわけだしね。
個人の認識と馴れ合いのないインターネット。
これが好き。
そうはいっても、生配信においてコメントは必要なものだ。
コメントは盛り上がりに直結している。
てか直結どころか "コメント=盛り上がり" じゃんね。
ダラダラうだうだ文句みたいなこと垂れておきながら、応援している配信者さんの配信を盛り上げたいし、盛り上がってほしい。
だから結局コメントはするようにしている。
程度の低い矛盾を抱えながらつぶやくんすわ。
「わこつ」
狂ってる?それ誉め言葉ね。