中村文則著「カード師」を読んで

 中学生の頃に、この「カード師」の著者の中村文則さんの作品を好きになった。中村文則さんのホームページを見て、読書感想文コンテストがあると知り、小学生以来の読書感想文である。読書感想文は苦手だった。今も何を書けば良いのか分からない。何を書けば良いのかわからなくて、読んでから時間が経ってしまった。読解力にも自信がない。本を読んでも、分からないところがたくさんある。仕方ないので、もう諦めて、何も気にせずに、自分の日記のつもりで書こうと思う。

 自分の状況によって、小説の印象に残る部分が違うと思う。今回、面白かったところ(面白いという表現が適切かどうかはわからないが)の一つは、市井の占い相談の場面である。

 主人公の僕が髪に茶のメッシュを入れてきた市井を見て、「就職は諦めたのだろうか。それでいいんじゃないか、と思う。」とある。そのすぐ後に、市井が恋愛の相談がしたいと言ったことに対して、「就職ができなければ男か、とは当然言わない。」とある。

 現在、私は就職活動中である。上手くいっていない。内定がもらえない。就職しなくても良いのではないか、と思い始めていた。適当にフリーターで食い繋いで、結婚すれば良いじゃないか、と考え始めていた。

 「カード師」のこの場面を読んで、市井に対して少しの愚かさを感じている自分をに気がついた。就職できなければ結婚すれば良いじゃないか、と考えたとき、自分には愚かさを感じなかった(日常的に自分自身の他の様々なことに愚かさを感じているが)にも関わらず、市井に対しては、少し愚かさを感じた。市井を通せば、自分にも愚かさを感じる。不思議である。可笑しかった。

 ここまで書いて、抱いた感情が愚かさであっているか、よくわからなくなってきた。読書感想文は苦手である。自分の感情を存在する言葉で表すのも苦手である。難しい。人には向き不向きがあり、幸せの物差しに書かれているメモリも人それぞれであるので、就職できずに(せずに)結婚するということを、悪いことだと思っているわけではない事を、念の為書いておく。幸せの物差しのメモリが「美味しいごはん、フカフカのお布団」である私は、就職した方が良さそうである。

 私の就職についてはどうでもよくて、本当にどうでもよくて、その続きも面白かった。上記の場面までは、主人公の僕は、市井のことを分かった気でいる。しかし、主人公はその後、市井にちょっとしてやられてしまう。私も、読みながら市井の事を舐めていたので、驚いた。

 ここまで、一場面から自分語りをしてしまった。読書感想文、難しすぎる。

 終盤に、主人公の僕が、施設に寄付をする。ここから、この作品のあたたかさを感じた。「良い人」が物語に出てきたとしても、その物語自体からあたたかさを感じるとは限らない。「カード師」からは、物語そのもののあたたかさを感じた。中村文則さんの最近の作品は尖っている(?)ように感じることもあったが、「カード師」は少し前の作品を思い出して、懐かしくなった。

 私は今大学生で、阪神淡路大震災時点では生まれていないし、オウム真理教の最盛期を知らない。東日本大震災は記憶にある。物語の最後のマスク社会を現在生きている。なんとなく、この物語を身近に感じた。

 

“#カード師感想文”


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