文字のない世界

こんにちは。かぼすです。
枯れ木も山の賑わい、とばかりに、とりあえず過去の文章でタイムライン?を埋めます。


韓国ドラマに「根の深い木」というドラマがある。ハンソッキュ演じる世宗大王は、李氏朝鮮のハングルを作った王である。ドラマは王がハングルを作るのに、ものすごく苦労するという話。朝鮮語の体系に合う文字を発明するのにも苦労してるけど、中国の機嫌を損ねないように、とか、とにかく官僚たちの反発がものすごい。

エリートというのは、庶民が知らないことを知ってる自分、というのにプライドがある。そりゃ、そうだ。今でも情報商材なんてものがあるように、情報を持っていることが力であり、金だからだ。がんばって勉強して、漢文が読み書きできるようになったのに、庶民が自由に読み書きできるようになってたまるか! みたいな気持ちだったんだろう。庶民がバカなほうが為政者には都合がいい。

そういう点で、庶民が知識を得ることが国の力になると考え、王自らが文字の発明に尽力したことに驚くし、私は世宗を尊敬している。

ハングルというのは、現在世界でほぼ唯一の成功した人工文字である。韓国語を勉強しようと思った理由の一つに、成功した人工文字ってどんなシステムなんだろう?というのがあった。難しそうに見えるけど、そのシステマティックさゆえに、読むだけなら3日あれば読める文字だ。

ところで、世宗の時代というのは、日本でいうと室町時代にあたる。日本では平安時代に日本語で源氏物語が書かれたり、鎌倉時代に徒然草が書かれたりしていたのを思えば、それまで朝鮮語を自由に書ける文字が朝鮮半島になかったのは、さぞかし不便だっただろうと思う。まあ、実際ハングルも発明されてもしばらくは使われなかったようだけど。

さて、日本語のほうも、明治時代までくると、今度は書き言葉と話し言葉が乖離しすぎて、問題を抱えていた。話し言葉はほぼ現代と変わらないのに、書くときは「ナリ」「タリ」や漢文調の文章で書いていて、「話すように書く」ことに相当苦労する。

言文一致に苦労した理由の1つはやっぱり支配層からの反発。(全くエリートってヤツはよぅ…。) もう一つは日本語の話し言葉は相手を意識した使い分けが激しいので、たくさんの読み手に伝える文が難しかったことが挙げられる。
(そうだよ、だから私の文章も敬体と常体が混在しちゃうんだよ…)

その言文一致のときと、戦後に「日本語は漢字を覚えて書くのが難しいから、ローマ字で書こう!」という論もあったけど、そこは日常の漢字使用の目安を絞るという方向で解決。日本語がローマ字にならなくて良かった。

それで、結論。
今、私が日本語で話すように文章を書けているということは、本当にラッキーなことだということ。世界に文字を持たない言語も数多い中、日本語を書き表す文字が、千年も前からあるなんて、すごいことなんだと思う。
それなのに、今まで私はずいぶん殴り書きをしていて、文字に失礼だったのではないか。速く書くための工夫から草書や平仮名が生まれても、殴り書きからは何も生まれない。だから、今後は文字の歴史に感謝しつつ、もう少し丁寧に字を書いていこうと思う。

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