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【エッセイ】見ずにわかる駄作
作品を見ず、作品に言及する人に許しがたい感情を抱いてしまう。
インターネットで簡単に人のレビューが見られる時代、誰かの感想を借りて何かを語ることは本当に簡単だ。私が積極的に感想を書くようになったのは、そういう人になりたくない気持ちもある。拙くとも、自分の感情や考えを自分の言葉で語れる人間でありたい。
しかし何年か前、その考えを見直す出来事があった。星新一のSSが実写ドラマ化された時の話である。(たしかフジ、うろ覚えだ)
・二時間半の単発ドラマ枠
・五つのSSを実写化
ツイッターではこの二つの情報から「間違いなく駄作」という意見が散見された。
(まだ放送もされていないのに……見る前から駄作扱いなんて!)
確かに星新一のSSは、究極にムダを削ぎ落とした点にこそ魅力がある。かといって放送前からこの扱いはひどいんじゃあないか。
憤りを感じた私はちゃんと見た。二時間半。結果としては、二時間半をドブに捨てる行為であったといえる。駄作であった。私が原作者なら二度とそのテレビ局には映像化の許可を出さないであろう。星新一氏には天国から見ていてほしくない、そう思うほど酷かった。
勿論これは「SSの実写化」だから、作品の長さを見るだけで駄作認定できたのだろう。繰り返すが星新一のSSの良さはムダを削ぎ落としたシンプルさにある。見る前から駄作認定されるのもやむなしと言える。私が間違っていた。
しかし、作品を見ずに駄作とわかることもある、という出来事がなかなかの衝撃であった。
かといってやはり、見ずに批判したくはない。ただ、見たら批判せずにおれないだろうな、と思う作品はあらかじめ避けるようになった。見る前から批判する気でいると、いいところなんてわかりっこない。
ワクワクしながら手を出した作品なら、いいところを見つけよう! と積極的に思えるし、駄作であっても笑い飛ばせる。私にはそういう鑑賞法が性に合っているのだ。