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生きやすい世の中なはずなのに、生きづらい矛盾

「生きづらい世の中」
 私はこの言葉↑をよく目にするし、きっとそうなんだろうなぁとうっすらと共感している。

タイトル解説

まずはタイトルの解説をしよう。
「生きやすい世の中なはずなのに、生きづらい矛盾」
と題した。
実際私が言いたいのはこれだ。

「便利で色々できるようになったはずなのに、
色々囚われてるようで息苦しいのはなぜ?」

平成初期頃からパソコンが普及し始めたり、
電話が携帯できるようになって今では1人1、2台が当たり前になっていたり、
テレビ以外にも映像娯楽の選択肢が増えたり、
技術の進歩と共に色々と便利で楽しい世の中へと日々移り変わっていっている。

YouTube誤BAN問題(2022/05/14時点)

はずなのに……
なんとなく、生きづらくなっているような気もする。
2022/05/14現在、YouTubeでのライブ配信者の誤BANが問題になっている。
2022/05/13は、ゲーム実況動画を投稿している「レトルト」さんも誤BANされたとSNS上では騒がれている 

(その後、チャンネルは復旧され動画は見れるようになっている2022/05/14/7:14時点)
10年以上のキャリアを誇り、多くのファンがついているレトルトさんのチャンネルが見れなくなったということもあり誤BAN問題は騒ぎを広めたようだ。

レトルトさんの誤BANの原因と関連性は今のところ不明だが、多くのライブ配信者は、配信画面に表示しているコメントの悪質スパムに悩まされている。
悪質スパムとされているものは、
性的なアイコンで、規約違反の発言を残していくもの
そのコメントが配信画面に表示されることで、YouTubeが規約違反のコンテンツを配信したと判定しチャンネルBANされる仕組みになっている。
対策として、

・配信画面にアイコンをうつさずコメントのみ表示する
・チャンネル登録者限定でコメント可能にする
・チャンネル登録後、定めた時間以上経ったアカウントのみコメント可能にする

などといった対策がとられている。

自由なはずのコメント欄が、配信者の意図しない理由で制限しなければならない状況におかれている。
配信者によっては、特定の言葉を非表示にしていたりする。それは配信者本人が非表示にすると設定しているので意図のある制限だろう。
コメントする側にも一定の自由があり、配信者と視聴者がリアルタイムでコミュニケーションをとれるのがライブ配信の醍醐味である。

ここで何がいいたいかと言うと

自由に楽しめるコンテンツに制限がかかり、制限前と後で楽しみ方が変わってしまうということだ。
厳しく言えば、制限されたことでつまらなくなるということだ。
配信者は視聴者が今まで通りコメントできるようにスパム対策は最小限に抑えていると思う。
実際に、愛のある視聴者がスパムコメントをするはずがない。
誤BAN問題が下火になれば今まで通りに戻って欲しい。
しかし、テレビが昔よりも規制が厳しくなったことからYouTubeも同じように今回の問題を踏まえて規制を見直すと思う。

この問題が解決しようとしまいと関係ない。
この問題そのものが「生きづらい世の中」になっていく様を映し出しているように感じる。

本質は、
「性的なコンテンツによって好きな配信者がBANされて悲しい」
ではなく、
「問題が起きればどんどん『きれい』になって、『きれい』になりすぎて、つまらなくなる」

ということだ。

面白いコンテンツもいずれ
「きれい」になりすぎて
つまらなくなってしまう

みんなで鉄骨渡り!みたいな社会

やっちまったら、おしまいにされてしまう生きづらさ。
1つの失敗も許されない潔癖すぎる社会。
許されるかもしれないけれど、許されない覚悟が上回り、常にサーカスで綱渡りをしているような感じの社会。
それ故、そうならないように規制に規制が重なっているようにも感じる。
規制は、問題にならないため。
杞憂や自主規制が過剰になっていき、潔癖になっていく。
そんな社会だから「生きづらさ」を感じるのではないだろうか?

閑話休題

そういえば、映画「花束みたいな恋をした」で
「二人の寂しさより一人の寂しさの方がよっぽどマシ」というセリフがあった。
意味は違うが
人が増えればどんどん孤独を感じていくのではないかとも思う。

自分の発言が世界中に届くようになった。
世界中がネットに繋がれたおかげで、趣味のお友だちを作りやすくなったり、遠くの人とも簡単に関われるようになった。
一方で多くの人の意見が一度に入ってきて、マジョリティが目立つようになったように思える。
多くの人の意見が、間接的にも自分のコンプレックスに引っかかるものであったりするとより孤独になった気分になると思う。

潔癖と孤独が作り出す生きづらさ(ここを読めば全部わかる)

そろそろタイトルにアンサーしよう
私は冒頭で以下のようにタイトルを説明した

「便利で色々できるようになったはずなのに、
色々囚われてるようで息苦しいのはなぜ?」

【便利で色々できるようになった】
→インターネットで世界が繋がり、自分の意見を世界中に届けられるようになった。コンテンツも増えてエンターテイメントの幅も広がった。

【色々囚われているようで息苦しい理由】
①多くの人に見られているという意識により、失敗が許されない雰囲気が生まれた(杞憂、自主規制など)=潔癖
②多数派と意見と違いコンプレックスを刺激された場合、より孤独を感じやすい環境になった。

多くの人と関わっているようで、
自分を出しているようで、
自分を出すときは叩かれないように注意を払い、
そればかりを意識して潔癖になって、
言いたいことを言えて簡単に伝えられる手段はあるのに、
言える空気感じゃないから言えないので、
1人で抱え込んで、
孤独を感じる。

これを生きづらさの正体(ということにしよう)←この()も断言を避けて叩かれるリスクを減らす潔癖さの表れかもしれない。

最後に

ここまで、書いておいて「誤BAN問題」を取り上げた意味はあったのかと疑問がある。
「誤BAN問題」から私が伝えたいことは、全てのコンテンツは潔癖になりすぎてつまらなくなるということだ。今回はその流れを悪質スパムによって引き起こされ、わかりやすい例となったと私は思う。

また、悪質スパムを逆手にとって面白くした配信者がいることも事実だ。
私は規制によって潔癖になりつまらなくなると述べたが、敢えて「規制」を意識させた内容も最高に面白いと思う。
つまらなくなったことへの皮肉として、最高のコンテンツだと思う。(悪質スパムはそうやって痛い目を見ればいいのだ!とも思う)

このnoteの主題とは関係なく伝えたいこと
なんなら、ここが本題かもしれない

レトルトさんの実況動画は、ゲーム好きもゲームにあまり詳しくない人も楽しめると思います!
実際に、私自身ゲームをする方ではありませんが好きな動画配信者さんです。

特に私が好きな動画は
・レトルトさんの推理力とツッコミが光る「グノーシア」シリーズ
・レトルトさん!?も登場する「学校であった怖い話」

ここで、このnoteを締めたいと思います。
ぜひ、レトルトさんの実況動画を見てください。

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