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ライブ後やってくる「余韻」の正体

余韻が冷めやらぬ前に、次のライブがやってくる。

地下アイドルオタクのかべのおくです。


アイドルオタクなら、ライブの後には必ず「余韻に浸る」時間が存在するのではないでしょうか?それはチェキを見ながらご飯を食べていたり、次の日の仕事中だったりします。とにかく「あの時」の光景がフラッシュバックして、感情が蘇ってくるのです。

この余韻は特に大きなライブや特別なライブの後ほど大きく感じられます(当社比)。僕は絶賛関ヶ原の余韻に浸りっぱなしです。


ところで、この「余韻」って何なんでしょう?とてつもなく僕の感覚的なものなのですが、考えてみました。


余韻とは「言葉にならない記憶」

これは本当に僕独自の感覚的なものなんですが、「自分の持ちうる言葉で表せない何か」を受け取った後には「余韻」が残るように思います。そしてそれは、それを何らかの言葉に解きほぐそうとする脳の試みではないかと予想します。

基本的に、人間の脳には記憶や映像をそのまま覚えておくことは負担になるからです。代わりに、言葉や感情、言語といった何かしらの概念に置き換えようとしたほうが効率がいいでしょう。

たとえば僕の場合、一面的な「楽しい」「嬉しい」「悲しい」「感動した」といったラベリングできる感情はあまり思い出せません。それは思い出せたとしても次のような感じです。

◯月◯日にXXで行われた△△のリリースイベント、(曲名)のサビの時に(メンバー名)ちゃんから指差しレスをもらって、めちゃくちゃ嬉しかった。

こんなふうにとにかく叙情的な、情報量を圧縮した「言葉」として残っています。おそらく僕の脳にはこの感情が処理しやすいものであったために、嬉しかったという言葉として周辺情報も付け加えて詳細に記憶できているのでしょう。

しかし複雑な感情は、僕の頭の中には全く違った形で保管されています。たとえば、僕は6月5日に開催された「Jams Collection 3rdワンマンライブ」のアンコール明け、TDCホールでワンマンライブが開催されることを知った後に「メンバーが泣きながら歌っている光景」を鮮明に覚えています。

つまり、僕の脳はこの時の感情を言語化できずに噛み砕けていないのです。噛み砕けていないからこそ、ときどき思い出しては「あの感情をどう理解したらいいのだろう?」と言語化を試みるのでしょう。


余韻とトラウマ

余韻というものは、ライブみたいに音・光・映像などの情報を一度に処理する経験に特有な現象でしょう。似たものとしてトラウマがあると思います。ある苦い思い出がフラッシュバックしてしまう現象です。これは僕の仮説でしかありませんが、余韻とトラウマは「ある経験が蘇る」という点は同じで、経験がネガティブなのかポジティブなのかという点だけが異なるように思います。

ではなぜオタクは、取り立てて余韻を重んじるのは何故なのでしょう?それはポジティブな思い出を好んで保存する習性がオタクにあるからではないかと思います。オタクは、推しメンとの大切な思い出を忘れたくありません。だから、チェキや写メ、グッズなど形に残るようなもので保存しようとしているのです。

だから僕は、余韻とは何かをジャマするものではなく、思い出す度に前向きになれる便利なシステムだと捉えるようにしています。きっとオタクが大きなライブに行ったり遠征したがるのは、この「余韻の素」をたくさん獲得するためなのかも知れませんね。


20230803追記: 「エモい」はいらない

先日、ドラマチックレコードの新曲「陽炎」がサブスク解禁されました。作詞はメンバーの新居歩美ちゃん、作詞家としての処女作です。曲はBIRの藤代さんで、素晴らしい完成度の楽曲になっています。


作詞の内容については新居さん自身がnoteで全て触れています。

なかでも歌詞の中にある「エモい」については、とても共感を覚える内容でした。

人が「エモい」を使ってしまうとき、それは理解や解釈を諦めているときでしょう。ただし決してそれはコンテンツへの冒涜ではありません。時には言葉にすることの怖さが人に「エモい」を使わせるのでしょう。


言葉にしたら全てが消えてしまうように感じてしまって。だから鮮やかな記憶のままずっと残しておきたい。そんなことは無理なのに。


特にライブで得られる体験は色んな感情が入り交じったものです。放っておいたら、理解を諦めたら「沸いた」「至高」「エモかった」「泣いた」で片付けられてしまうでしょう。ただ、その理解を諦めたくない。アイドル達が命を燃やしているドラマチックな瞬間を、少しでも文字で残したい。そんな思いで僕はnoteを書いています。


20230803追記: 「君たちはどう生きるか」

先週くらいに「君たちはどう生きるか」を見ました。何か感想のnoteを書こうかと思ったのですが、書けませんでした。なのでここで供養します。


なぜ書けないと思ったかというと、あまりにも受け取ったものが多すぎたからです。普段見ているアニメやドラマが食べやすい生ハムの薄切りだとしたら、「君たち」は生ハムの原木みたいでとても食べやすいものではありませんでした。僕には、あれを理解しきる体力が身についていなかったのです。

先ほど「エモい」で逃げてはダメだと言いましたが、それは好きなものを語るときの話です。ライブは1回きりですし、そこにはアイドル達の魂が宿っているから残したい思えるわけです。でも「君たち」は映画なんでこれからも何回でも見れるし、僕は別にジブリが好きなわけでもありません。


だから、「あ、これはすぐに理解できないし理解する必要もないな」と分かったら、「いや〜中身濃かったね」で逃げてもいいんじゃないかと思います。


おわりに

まとめます。

TIFの後は、どんな余韻がやってくるのだろう。

以上です。

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