オタクはいつからオタクなのか
最近、無キャという言葉があるらしいです。
恐ろしい言葉だと思います。まるで趣味を持たない人間は負け組かのような言い分です。
無キャにならないためには、趣味を持つのが大切だと思います。それをつきつめた存在が、おそらくオタクです。
でも、オタクになるために何かを始めたら、それって趣味と言えるのでしょうか?
そもそもオタクって、どうやってオタクになるのでしょう?
僕の場合を振り返ってみました。
オタクの始まり
僕のオタク趣味はいつから始まったかと言うと、3歳くらいからだったと記憶しています。
当初の対象は、ドラえもんと言ったアニメやハリーポッターといった子供向け(?)の小説でした。
当時は明確な推しを作るタイプの人間ではなかった気がします。どちらかというとストーリー重視のオタクでした。
ハリーポッターなら、ストーリーを何度も何度も見返して、その世界観にハマり込むというのが好きでした。
少なくとも、この時点では特定の「誰か」を強烈に意識するところは少なかったように思います。
「推し」の登場
高校生に上がる頃、AKBと出会い、明確に推しメンと言うのを作るようになって来ました。
今までは物語の全体を理解していたのが小中学生時代でした。
しかしここからは、「その人」にまつわるストーリーを作り上げようという考え方になってきたように思います。
握手会での推しとの会話を全てブログに掲載したり、歌番組とかドラマで推しが出ている0.5秒くらいのタイミングを全て覚えていたりしました。
「推し、燃ゆ」の主人公、あかりにも繋がるかも知れませんが、全てを理解したいという欲望が含まれていたように思います。
自分は他とは違う、特別なオタクである。いや、特別でありたい。
そんな思いが自分の中にありました。
自分は「1人のオタク」でいいと気づいた
この「特別でありたい」という思いはオタクを加熱させるものではありますが、長続きはしません。
現に、僕はそういった思いをこじらせて現場を離れました。帰ってきた時、こう考え直しました。
もう自分は普通のオタクでいい。
人と比べて何か頭一つ抜けようとしない、自分にできる範囲だけでオタクをやろうと決めたのです。
しかし逆説的ながら、これで僕は特別な存在になれたと思っています。
以前、音楽家の松隈ケンタさんが「極限まで押し殺しても滲み出してくるのが本物の個性」と言っていました。
人間、普通に生きようと考えた時が1番自分らしく個性的ではないかと思うのです。
別に傍から見て普通であってもいい。
自分にとって特別であれば、すでにあなたは何かのオタクです。
おわりに
まとめます。
無キャになりたくなければ、普通に生きよう。
以上です。