オタクとアイドルが忘れがちな2つの「価値」
この記事を書いている日、痛ましいニュースが飛び込んできました。
ニュース映像の神田沙也加さんは、いつでも髪を染めて、いつでも「誰か」を演じていたように見えました。
誰かじゃない、自分を生きる。
このために、僕は今日もnoteを更新しているのかもしれません。
はじめに
同じ世界を長く見続けていればいるほど、この世に永遠なんてないのだと感じます。
かつてTIFのスマイルガーデンを盛り上げたグループも、今は苦境に立たされる時代です。
しかしどんなに時代や体制が変わっても、決してなくならない価値はあると思います。
そのヒントが、機能価値と存在価値です。
機能価値と存在価値
この言葉はアドラー心理学において用いられる考え方で、「もしアドラーが上司だったら」で紹介されている考え方です。
簡単に、この2つの価値について解説します。
機能価値とは、「何かをすること」によってもたらされる価値です。
人間なら、
仕事ができる
お金を稼げる
時間を守れる
ご飯が作れる
みたいな、高レベルなことから当たり前なことまで、何かをしたらそこには価値が発生します。
一方の存在価値は、「自分がそこにいること」によって発生する価値です。人間は息をしているだけでも価値があるというのが、アドラー心理学の解釈です。
正直、機能価値と存在価値の境界は曖昧で、正確な定義は存在しません。
なので僕は、機能価値が全てなくなってもなお残っているものが存在価値だと捉えています。
そしてアイドルとオタクはこの価値を混同しがちなように思えます。
なぜならアイドルは職業上、機能価値が重視される世界だからです。
精神的に活動を続けられなくなるアイドルというのも一定数存在しますが、機能価値しか感じられなくなるからなのかもしれません。
そこでここからは、アイドルとオタクの勘違いを2つの価値の観点から考えます。
①アイドルの勘違い:売れないと意味が無い
そりゃアイドルなのだから、売れているこしたことはありません。
しかし、アイドルの人気=売り上げは、機能価値に過ぎません。
芸能活動というものは、ずっと順風満帆なわけではありません。
正直、運が悪いから売れてないだけということも考えられます。
だから、アイドルの価値は「売れている」だけでは測れないのです。
アイドルの存在価値は、「愛される」ことです。
誰かの生きる糧になっている時点でそのアイドルには価値があると思います。
そして、この価値はアイドルが活動できなくなったとしても失われません。
少し前ですが、「仮面女子」の猪狩ともかさんが事故に遭って下半身不随になるという出来事がありました。
しかし猪狩さんはそれからも車椅子でステージに立ち続けています。
アイドルは、歌えなくても、踊れなくても、待っているオタクがいる限り価値があり続けるのです。
②オタクの勘違い:積めないと価値がない
まず動かしがたい事実ですが、オタクの機能価値は金を積むことです。
なぜなら金はオタクの愛情を評価する明確な指標だからです。
しかしオタクの存在価値は、お金ではありません。
それは、「誰かを思うこと」だと思います。
現場に行けなくても、ライブが見られなくても、オタクの価値は失われません。
そして「誰かを思う」ことは、同時にアイドルの存在価値にもなりえます。
あなたが推している人は誰ですか?
この問いに誰かの顔が浮かんだのなら、あなたはその人の生きる理由である可能性があります。
つまり、アンチにすら存在価値は存在するのです。
おわりに
まとめます。
推しよ、推させてくれてありがとう。
以上です。
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