オタクが「沸く」ことの正義
本気ではしゃげる場所が、ライブだけになってゆく。
地下アイドルオタクのかべのおくです。
最近では、いろんなアイドル現場で声出しが解禁されてきましたね。シルバーウィーク前後で僕がザッと思い浮かぶだけでも
FES☆TIVE新体制お披露目公演@横浜1000 CLUB(9/18)
Appare! 日比谷野音ワンマンライブ(9/19)
フリーク主催ライブ / ネコプラpixx世良あかり生誕祭@渋谷近未来会館(9/23)
UP DANCE LIVE @ MAGNET by SHIBUYA 109(9/23-25)
などがあります。すでに渋谷・新宿近辺の声出しができるライブハウスを把握している人も多いのではないでしょうか。しかし徐々に声出しが解禁される昨今、以下のようなツイートを見かけました。
このツイートで触れられている公演は新メンバーである辻こはるさんのお披露目で、ぼくもその現場に駆けつけていました。普段からFES☆TIVEにのライブ通っている身としては、新体制を見届けることが第一優先で声出しの重要性は低かったと言えます。その観点から言えば、パフォーマンスの完成度はとても高く、とても満足度の高いライブでした。
だから上記のようなお気持ち表明を見ても「それってあなたの感想ですよね?」という印象しか持ちません。しかし遅かれ早かれこういった「メンバーのために、オタクはもっと湧くべきだ!」みたいな意見は表出化してくると思います。
そこで今のうちに、コロナ禍が一段落しつつある2022年において「沸く」ことはどう変わったのかを考えておきましょう。そしてオタクがどういう正義を持ち、主張したり、受け取ったりしたらいいのかに、僕なりの私見を述べます。
アフターコロナにおいて「沸く」ことはどう変わったのか?
コロナ禍を経て地下アイドルのライブは楽しみ方は、人によっては観賞に近いものになりました。これは「作る」要素だけでなく「観る」要素がかなり強くなったからです。アイドル側の曲やパフォーマンスの変化と同時に、オタクの応援スタイルの変化という要因が大きいでしょう。
コロナ禍に入って、思ったようにライブで盛り上がれなくなって約2年間、それでもライブに通っていたオタクの多くは「内的な沸き」に気づいてしまったかと思います。つまり、感情の高ぶりは、無理に声に出さなくても感じられるということです。地面を見てコールするのをやめてステージを見ると、ライブには沢山の見どころがあることに気づきます。
アイドルもそれに合わせて、歌唱力やパフォーマンスを高めたり、絶え間ない視線に耐えうるビジュアルの向上が見られます。これはそれまで「沸き現場」と言われていたグループにとっても無縁ではなく、むしろ積極的に対応して方向転換を図る必要があったと考えられます。
ライブが鑑賞に近づいているということは、地下アイドルオタクがより高尚な楽しみになる可能性を秘めているということです。いわば、今までコストコの激安肉で満足していた人が、高級ステーキの味を知ってしまったようなものと言えるでしょう。そうなると、「わざわざ声出したりするの疲れるし、地蔵で良くね?」となるわけです。
おそらく、ちゃんとライブに通っていた熱心なオタクほど、ライブは騒がなくても楽しめることに気づくのではないでしょうか。また、2年間でそもそもライブで声を出したことがないオタクも多くなったように感じます。そのような状況で、いきなり声出しとなっても上手く騒げないのは無理もありません。しかし、それは声を出さなくてもライブが楽しいと受け入れられて成立しているからです。
逆に「久しぶりに声出しで沸くか~」という面持ちで久しぶりにライブにやってきたオタクからすれば、「なんか物足りない!もっと沸けよ!」と感じるかもしれません。しかし、「それはあなたが時代についていってないだけですよ?」ということになるわけです。じゃあ、あなたは今からスマホをやめて公衆電話を使いますか?
オタクに必要な正義とは
声出しに限りませんが、そもそもオタクの主義主張の対立はなぜ生まれるのでしょうか?これはオタクが信じる正義の違いであり、「功利主義と自由主義の対立」と考えられます。
この内容は、『正義の教室』という本を参考にしています。
功利主義とは、一言で言えば最大多数の最大幸福。つまり、「こうした方がみんなが平等に幸せになるはず」という考え方です。
一方の自由主義は、全体の幸福よりも個人の自由を重んじます。つまり、「別に迷惑かけていないんだからいいじゃん」と考えるらしいです。
功利主義と自由主義は、ありとあらゆる面で対立します。自由主義は愚行権、つまり「自ら進んで馬鹿になる行為」すら容認する、地下アイドルオタクと相性の良い正義です。一方の功利主義は共産主義にも通じていて、最大多数の最大幸福のためなら個人の自由も平気で侵害します。
たとえば地下アイドルにありがちな、「一部のオタクがはしゃいで、それを見た別のオタクがお気持ち表明する」という構図は、完全に功利主義と自由主義の対立そのものです。しかしそもそも幸福と自由という、大事にするものがことなるわけだから対立するのは当たり前ですし、根本的な解決は困難です。だから、「自分とは使ってる言葉が違うんだな〜、フランス語は専門外です」と受け流すのが良いのがいいでしょう。
違う正義との向き合い方
と、ここで終わりでもいいのですが少しモヤモヤが残ります。それはいわば「この乱れた心はどうすればいいの?」という感情ではないでしょうか。なにより無視したところで物事は根本的に解決していませんし、なんか自分ばかり我慢しているようで面白くありません。そもそも受け取ってもメンタルに影響を及ぼさない、もしくはすぐに立て直せる技術が求められているのでしょう。
自分と違う正義をぶつけられたときの対応、それはまず「一歩引いて、システムを掴みにいく」ことでしょう。たとえばフランス人に話しかけられたら、日本語で答える前にまずはGoogle翻訳を起動するのが賢明に思われます。同じように、受け入れがたい主張を見たら、まずはその人がどんな正義を信仰していそうか観察すべきです。その主張を受け入れるかの判断は、その後でも遅くありません。
その次に大事になってくるのは、「善くありたい」という姿勢を失わないことだと思います。異なる正義は同時に存在する以上、結局はグレーゾーンでしかないからです。どれも完全な正義でないなら、どんな意見も本当は許容されます。だからこそ、あなたはあなたが正しいと判断した行動をすることが求められています。あなたが右だと思うなら、周りが何と言っても右と言えばいいでしょうし、仮に「左」と言う人がいても、その意見を聞くかどうかはあなたの正義次第です。
くりかえしますが、その正義は不完全でも構いません。仮に間違えていたとしたら、素直に謝って修正すればいいだけです。どうか、常に「善い」ことを考え続けて、あなたなりの正義を育てていってください。
おわりに
まとめます。
「まだわかんない」も、ハナマル。
以上です。
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