FES☆TIVEの青葉ひなりに魅せられた地下アイドルオタクが、最後に投稿するnote
夢から目覚める、覚悟を決める時。
地下アイドルオタクのかべのおくです。
本noteは、2024年10月18日にFES☆TIVEを卒業した青葉ひなりさんに寄せて書かれたものです。
⓪本noteの主旨
2024年10月18日にEX THEATER ROPPONGIにて行われた「青葉ひなり卒業公演」をもって、FES☆TIVEの青葉ひなりさんはグループを卒業、デビューから11年のアイドル人生に区切りを付けました。
グループとしても、結成12年目にして初期メンバーがいない状態になるわけで、大きな節目となることは間違いありません。
そして青葉さんの卒業によって、僕も転換点を迎える事になりました。これまでずっと、「FES☆TIVE青葉ひなりのオタク」として地下アイドルオタク人生を送ってきたからです。青葉さん推しであることは大きなアイデンティティであり、周りのオタク・アイドルにそう認知されてきました。青葉さんの嬉しいことも悲しいことも、自分なりに分かちあってきたと胸を張って言えます。
それだけではありません。そもそも彼女に魅せられて地下アイドル現場に通っていなければ「かべのおく」は存在していません。特に初期のnoteの殆どは、FES☆TIVEのライブを見たり、青葉さんと特典会で話して考えたことが元になっていたりします。
そんな「FES☆TIVE青葉ひなりのオタクが書くnoteの集大成」として、自分と青葉さんのこれまでと、卒業公演までの道筋と当日を振り返りたいと思います。
従って本noteは物凄い文量となっています。なので「別にお前の事には興味ないんだが?」という方は、卒業公演について触れている第4章まで華麗にスキップしてください。
①卒業発表までのハイライト
FES☆TIVEとの出会い(2019年7~9月)
まずは僕が「かべのおく」を名乗る前、青葉ひなりに1人のオタクが出会って地下アイドルオタクを始めた時期から振り返りたいと思う。
2019年7月、僕は新木場STUDIO COASTで行われたとある対バンライブに赴いていた。お目当ては、メインステージのトリであるAKB48だった。
当日、僕は地下アイドルのライブは初参戦で勝手が分からないのもあり、だいぶ早めの16時頃には会場にいたものと記憶している。
FES☆TIVEの出番になる直前、2列目付近の上手端にいた僕は、背中にグループ名がデカデカと書かれたTシャツを着たオタクから声をかけらた。
「すみません!次の時だけ前で見させてください!!」
ものすごい勢いに気圧されながらも、別にお目当てでも無かったこともあったので場所を譲って少し後ろに移動。SEがかかると、鮮やかなメンバーカラーの衣装(調べたところ"ゆら恋衣装"だったらしい)に身を包んだ6人のグループが登場した。
ひときわ賑やかな音楽がかかると、サイリウムを持ったオタク達は、ステージ上のアイドルに合わせて横移動を始める。当時、本当に何も知らなかった僕は面食らって、更にフロアの端に追いやられた。その後もオタク達は、激しく振りコピや推しジャンを繰り広げ、彼女達の出番が終わると「ありがとうございました!」と清々しい表情で去っていった。
FES☆TIVEとの衝撃的な出会いであった。
ちなみに、この日は新体制になったばかりのなんキニ!も出演しており、そこでプレデビュー直後の仁科茉彩さん(現FES☆TIVE)とも出会っていた話は、また別の機会にでも。
この時の衝撃が忘れられなかった僕は、その1週間後に行われたTIF2019にも急遽参戦(今振り返ると行動力エグイな自分)。
入場規制がかかるギリギリの中で入場し、なんとメインステージに立つ6人を眺めることができた。この日は少し予習をしていったこともあり、横移動にはなんとか対応。
「ヤバい、FES☆TIVE楽しいかもしれないな。」
前後左右にいる、見ず知らずのオタクと一体になれる空間。その楽しさに気づいてしまった。僕が地下アイドルの沼に足を踏み入れた瞬間だった。
僕がはじめて青葉さんと初めて言葉を交わしたのは、東京ドームラクーアガーデンステージで行われた「ハレとケ!あっぱれ!ジャパニーズ!」のリリースイベントだった。
整理番号に恵まれたこともあって3列目くらいに入場。既にTIF2019を経て何度も聴き込んでいた「OIDEMASE!!〜極楽〜」や「大和撫子サンライズ」は難なく対応。この日初披露だった「オトメ、ケセラセラ」は殺陣を取り入れた挑戦的な振り付けだった。
「これが本当にアイドルのパフォーマンスなのか?」
それまで地上アイドルの華やかなフォーメーションダンスしか見てこなかった僕は、ここで地下アイドルのレベルに衝撃を受けた。
ライブが終わり、特典会がスタート。実はこの段階で、まだ僕は推しメンを決めていなかった。何せFES☆TIVEのライブはまだ3~4回、これまではステージから遠い現場がほとんどだったため、「今日のライブを見て決めよう」と思っていたものの、やはり決め手を欠く状態だったのだ。
この日買ったリリイベ特典券2枚(チェキ撮影1回分)を手にしながら、徐々に長くなってゆく特典会列を眺める。
「どうせ1枚しか取れないんだから、人気メンバーのところ行こうかな」
お前、貧乏根性丸出しじゃねえか。ともかく僕は、6人の特典会レーンのうちで一際長く伸びたオレンジの最後尾札を手に取った。
会話の内容は最早よく覚えていないものの、胸元にMONO消しゴムのポケットがついているシャツをて行ったので「それかわいいね!」と言ってもらった。
それからしばらくというものの、現場に同じTシャツを来てゆく羽目になった。
推しがいる景色を追いかけて(2021年12月~2022年)
それから細々とFES☆TIVE現場に通うようになってはや2年。いよいよ「ちゃんと通おうかな」と思うようになったのは、「新・全国奇天烈物語」のリリースに伴ったツアー遠征であった。
それまで関東圏のツアー公演にしか行かなかったオタクが、ついに地方公演に足を伸ばすようになった。その模様は以下noteから。
当時はまだ遠征を楽しんでいたというより、「遠征ってなんなんだろう?」と知りたくて遠征していたふしがあったなと、今では思う。
FES☆TIVEといえば遠征。それの最たるところが、「微笑ノ国」の発表直後のタイ遠征だった。「FESTIVAL FROM JAPAN」を掲げるグループが、コロナ禍の規制解除を経てついに再び海外へ向かうことになったのだ。
FES☆TIVEを応援するオタクとしては絶対に行ってみたかった海外遠征。やっと海外移動が再開した段階で航空券も高かった。でも、
行くなら今しかないかもしれない。
と、直感的に思った。
まだ若干の規制が残っていた2022年6月時点では、タイランドパスの確保や現地でのPCR検査など、行くのにも帰るのにもハードルがアホみたいに高かった。行動力エグイな、自分。
それでも、行ってよかった。混沌に溢れたタイのアイドル文化との出会い、現地での遠征大好きオタク達との出会いは、FES☆TIVEそして青葉さんを応援していなければ得られなかった貴重な財産になっている。何より、「タイに行ったんだから国内なんて余裕だわな。」という気持ちで、それからは遠征のハードルがグッと下がったのを覚えている。
遠征するオタクの根底にあるのは、「推しと特別な関係になりたい」だと思う(決して繋がりとかではなく)。
遠征でしか見られないライブを見て、推しと特別な思い出を共有したい。遠征先まで会いに来てくれるオタクとして特別に思われたい。そして何より、「推しメンのことを特別に思っている」とオタク自身も思いたい。
これらの遠征の時点でオタク仲間が決して多くなかった僕にとって、遠征をする理由は純粋に推しメンのためだった。ライブが見たいとか、グルメが食べたいとか色んな理由は置いといて根本はこんなところだったかなと思う。
「FES☆TIVEのオタク」としての自覚(2023年1月~7月)
孤高のソロオタクとして活動していた僕だが、生誕委員に参加したことをきっかけに徐々に知り合いが増え始める。
生誕委員の悪い側面はSNSでたびたび取り沙汰されているが、自分に限っては良い側面を享受できたように思う。たまたま信頼できるリーダーとメンバーに恵まれ、現場で話せる人が格段に増えた。必要がなければ他のオタクとあまり関わらない僕だが、仕事となれば強制的に会話しなくてはいけなくなる。一度話せるようになれば狭い界隈なので、別に用事がなくても立ち話くらいは交わせるようになって、徐々に話せる人が増えていった。既に形成されたコミュニティへ入り込む手段として、僕にはあっていたんだと思う。
また、この時期に始まった「ニホンバレデンセツ」では、はじめてスタンプカードを貯めてオフ会に参加。スキッパー(青葉推し)の方々とも徐々に親しくなり始めた。
青葉さんは唯一のオリメンであることもあってか、オタクの歴は様々である。また、人気メンバーでもあるためオタクの出入りも激しく、お世辞にもオタクとしてのまとまりが良いとは言えない。
しかし、だからこそ長く続けているオタクは皆スキッパーとしてのプライドを持っているし、見えないもので繋がっているんだなと感じることが多かった。
青葉さんがZipperオーディションに参加して、他のオタクと協力したことも親交を深めるきっかけになった。
「世の中金じゃない」とはよく言われるし、それはある種正しい。しかしオタクに限っては、大事な時にはお金がものを言う。綺麗ごとだけじゃ片付かないオタクの世界を、嫌というほど味わった。
2023年の春ツアーは、別にメンバーの出身地でもないのに「そこ!?」という場所ばかり。この時期は、週末ほぼ関東にいなかった記憶がある。中でも一番思い出深かったのは、鹿児島公演・奄美大島公演であった。
わざわざ鹿児島・奄美まで来る人などは濃いメンツしかいないわけであって、ライブも異様な盛り上がり。オタクとの思い出も増えてきて、確実にFES☆TIVEが自分にはなくてはならない場所になっていることを感じた。
生じる迷い(2023年12月~2024年4月)
しかし、充実している現場ライフとは裏腹に、「このままFES☆TIVE、青葉ひなりを推し続けていいのだろうか?」という迷いが生じはじめていた。
そんな中で開催された、Zepp Divercityでのワンマンライブ。
今思い返しても、それまでのFES☆TIVEらしからぬよさを感じる、素晴らしい内容だった。SNS全盛の令和において、まだまだグループとして上に向かって行けるんだなと感じた。
2024年1月に行われた青葉さんの生誕祭は、過去最大キャパとなるGARDEN新木場FACTORYで開催。
満員となった会場で、見せたいものを全て見せる万全の内容。「青葉さんを推してて、こんなに幸せなことがあるだろうか」という心境になった。
ライブレポにしなかった(する暇もなかった)が、2024年2月2日~4日には、タイで開催されたJAPAN EXPO THAILAND 2024にも参戦した。
FES☆TIVEを推し始めたときから、そこはかとなく志していたジャパンエキスポ。「もう今年しかない」と、何か予感めいたものを感じていた。
現地のオタクや一緒に遠征しに来たオタクと肩を組んで、息も絶え絶えになりながらの「レフト⇔ライト」。横移動しながら、
「もう、これ以上はないのかもしれないな」
こんな思いを確かなものにした。
この後、休む暇なく髙木ゆりあさんの卒業、そして与田さん加入の新体制がやってきた。
アイドル経験者かつ本人の努力もあり、与田さんはデビュー時点で前任者のパートをほぼ自分のものに。それはそれで嬉しかったものの、
「もう自分の好きなFES☆TIVEではなくなってしまうのかもしれない」
という寂しさを感じていた。結果的に髙木ゆりあさんとは、それほどまでに自分の中で大きな存在だったのだと思う。
この頃には、現場に行けば大体話せるオタクが常にいる状態になっていた。人間関係がイヤになって現場を離れるというオタクの話は枚挙にいとまがないので、僕は恵まれていたんだと思う。
加えて、青葉ひなりという推しメンがイヤになった訳でも全くなかった。青葉さんはオタクに全く優劣をつけないし、オタク目線からは「こいつ大丈夫か?」という人にも暖かく接していた(自分の知る限りでは)。
いま振り返れば、結局地下アイドルオタクのライフサイクルは、長くても2~3年で寿命を迎えるということなのかもしれない。それくらいの期間で全てのコンテンツを味わい尽くしてしまうのだ。そこから先は、本当に推しメンのことが好きで、コミュニティへの帰属感がなければ続かないのだと思う。
そして、地下アイドル業界は栄枯盛衰が激しい。オタクが少しでも「ハマらない」と判断したら、即座に違う選択肢が提示される。古いコンテンツしか提供出来ないグループよりも、真新しくて質の高いコンテンツを提供できるグループがやってくれば淘汰されるのは当然の理だと思う。
ともかく僕は、
「FES☆TIVEで、味わえるものは味わい尽くした。もう離れてもいい。」
と考え、徐々に現場頻度を減らしはじめていた。もうすぐ"その日"がやってくるとは知らずに。
②「絶対にあつまってほしい」(卒業発表前後)
そんな迷いが続く中、2024年の春からは大規模なアジアツアーが始まろうとしていた。
日本全国はもちろん、タイやシンガポールなどの海外公演も大規模なものであった。
ツアー初日の名古屋公演に向けて、青葉さんはこんな投稿をしていた。
ツアーの見所を紹介しつつも、終盤には「大切なお知らせもあるので絶対集まってほしい、青葉推しまってる」という言葉が記されている。
正直、僕はこの言葉を流し見たのか、読み飛ばしたのか覚えていないが、そんなに重要視していなかった。「どうせツアーの初日だから来て欲しいだけだろう」、と。もしかしたらツアー直前のライブとかでは、もっと強い言葉で直接伝えられていたのかもしれないが、今となっては知る由もない。だが、もしも過去に戻れるなら、あの時の自分に「いいから全ての予定を放り投げて会いに行け」と伝えたい。
"その日"のこと(2024年5月12日)
FES☆TIVEのアジアツアー初日、僕は名古屋ではなく、日比谷野音にいた。
特典会に並んでいると、ハロプロオタクの大学時代のI先輩と偶然再会。そのあと一緒に何グループかの特典会をこなし、共につばきファクトリーを見るため、会場に戻った。
ハロプロ研修生'24が終わって、ふと知り合いがスマホに目をやると、「え?おいこれ!」と言われて、思わず僕も画面を覗き込む。
頭を殴られたような衝撃、という表現がピッタリだった。何度かこの動画を見返したり、他の投稿をエゴサしたりしたがなかなか現実味が得られず、まさに、唖然としていた。
その途端、I先輩が「よし、飲むか!」と氷結を買ってきてくれて、その場で空けることに。その直後にほくりくアイドル部が歌った、岡本真夜の「Tomorrow」がなぜか殊更に染みた。
その後のライブの記憶はあまり残っていない。終わってからもI先輩は飲みに付き合ってくれ、その気遣いがとても嬉しかった。推しメンの卒業が近かったI先輩に、話を聞いてもらえて割と心は落ち着いた。
正直、推しメンが卒業発表する瞬間は、ちゃんとイメージできているつもりだった。
上記noteで、「いつでも現場にいる地下アイドルオタクが卒業を受け止められないわけないやろwww」的なことを(かなりオブラートに包んで)語っているが、僕の場合、この時はそんなことは全くなかった。本当に恥ずかしい限りである。
「なんでも分かっている」「大事な瞬間には必ずそばにいたい」と思っていた青葉さんの卒業発表の現場に、立ち会えなかった。これはたぶん今後、いくら後悔してもしきれない。しかし同時に「僕は、まだ青葉さんのことが好きなんだな」と自分を客観視して、不謹慎ながらも少し嬉しく感じている部分もあったと思う。
ただ、この段階ではそこまで深く考えられる余裕がなくて、
「はずかしいとかバツが悪いとかそういうのは置いといて、まず会いに行って話したい。」
と思った。そして、こういう時にオタクの行動は早い。
卒業発表した推しメンに会いに行った(2024年5月14日)
卒業発表後、はじめてFES☆TIVEのライブを見たのは2日後の対バンだった。
この日の1曲目は「しゃかりきトップランナー!」。落ちサビ前に青葉さんと目があって、ただならぬものを受け取った気がした。
3曲目「夏リア旋律」を聴きながら、「二度と来ない、2024年の夏がやってくるのか」ということを少し感じた。実感しきったこの段階では、夏が楽しみな気持ちと、夏が来て欲しくない、そんな気持ちが混在していた。
ライブが終わって、特典会。
自分の番が来た時、青葉さんは目に涙を浮かべていた、というかすでにこぼれていた。「何から話せばいいんだろうね」と言うと、「私も分からない」と、青葉さんも同じくらい不安なことに気づいた。
現場にいた青葉さん推しとも話した。決して全員が名古屋に行けていたわけではなかったみたいで、傷の舐めあいではあるが、心が落ち着いた。皆このタイミングでの発表に動揺していた。オタクも、そして青葉さんも、不安な気持ちを抱えているんだなと思い、少し前を向けた。
この頃書いた日記には、こんなことが書かれていた。
泣いても笑っても残り4ヶ月(結果的には5ヶ月)で、十分に青葉ひなりに浸っていよう。味わった思い出をもう一度焼き直して、二度と忘れる事がないように。
そんな思いを新たにした。迷いはなかった。
③卒業までの日々
この翌日、僕は北海道公演のチケットと、新千歳空港までの航空券を抑えていた。ここからツアーを巡る旅と、怒涛の夏フェス期間、直前期までを簡単に振り返る。
FES☆TIVEツアー北海道公演(2024/5/18)
青葉さんの卒業発表から1週間、北海道公演から僕の全国ツアーは幕を開けた。この日は青葉さんデビュー11周年の記念日でもあった。
結果的に、これが最後の北海道遠征であった。翌日に予定があったので弾丸参戦だったり、予約していたネカフェが手違いで入れなくなったりと散々だったが、それでも行ってよかった。
ちなみに、このあとに参加した国内ツアー公演は以下noteに記してある。
関ヶ原アイドル歌姫合戦(2024/7/19-21)
2024年、一番よかった夏フェスは?と聞かれたら、すぐさま関ヶ原と答えたい。
完全野外のフェス感が素晴らしいのもあるが、今年はタイテがとにかくよかった。細かなレポは以下にまとめてある。
FES☆TIVEは3日目、最終日のトリを任され、最高のパフォーマンスを見せた。それだけでなく、会場からは熱烈なアンコールが沸き起こって、最後に「ハレとケ!あっぱれ!ジャパニーズ!」をもう一度披露した。
僕はVIPエリアいたが、間奏のサークルは思わず後方エリアに混ざりに行った。落ちサビでリフトが林立し、数々の国旗が掲げられる光景は、関ヶ原だからこその忘れられぬ景色であった。
その他の夏フェスの記録は、こちらのnoteにまとめてある。
ワンマンライブ「青春心拍」@TDCホール(2024/09/12)
青葉さんが、FES☆TIVEとして迎えた最後のワンマン。
今やTDCホールでのライブは地下アイドルとは言えど珍しくない。しかし、その内実は大きく異なる。FES☆TIVEのワンマンライブは今までやってきたことの集大成として、席配置やセトリ、映像や特殊効果など、随所にこだわりが見られる素晴らしい内容だった。
「推すのをやめなくてよかった。FES☆TIVEを応援してきてよかったな。」
卒業公演はきっとそれどころじゃないだろうし、こんな気持ちを噛み締めていた。シダレヤナギの落ちサビ、推しメンの背中から見たオレンジに染まるTDCホールは忘れがたい光景である。
【ライブレポ】FES☆TIVE沖縄単独公演~青葉ひなりラスト遠征〜(2024/10/13)
ワンマンライブ、そしてアットジャムの熱が冷めやらないなか、ラスト遠征の告知が。場所はなんと沖縄。
2021年の全国ツアー以来となる、およそ3年ぶりの沖縄公演。前回は不参加だった自分としては、「行く」以外の選択肢が存在しなかった。すぐに公演チケットと、往復7万円弱の航空券を確保した。
初めて訪れる桜坂セントラルは、地方遠征でよく見る味深いライブハウスといった印象。現地のオタク曰く、沖縄のアイドルライブは桜坂セントラルか、Output、Cyber boxの3つのどれかしらを使うらしい。
公演のセトリを、青葉さんのセトリツイートをもとに振り返る(最後までありがとう!)
曲のイントロ(ないしはフォーメーション)で誰かしらの断末魔みたいな叫び声が聞こえるの、本当によくない(意訳: 大好きだからもっとやれ)。
ちなみに桜坂セントラルではハブ酒のショットがあるのを見てオタク数名と、「コズミック来たら、(本当はお水だけど)ハブ酒飲んだら幸せできるじゃん!!!」と盛り上がってたら、バーカンの店員さんから「お試しに飲んでみます?^^」と一杯差し出され、引くに引けない状況に。
結局、「コズミック祭大革命」は2曲目にかかり、フロア全体が「ハブ酒だ!ハブ酒!」と騒ぎ始めて、結局オタク4名でショットをキメて幸せになった。ちゃんと根回ししてくれたオタクの方々には感謝しかない。あと、ハブ酒は飲みやすいぞ(N=1)。
後半は涙腺を刺激してくる曲が多かったが、「夏リア旋律」の2サビは寂しさを一際感じさせられた。
青葉さんがFES☆TIVEからいなくなっても来年の夏はやってくるし、きっと自分はオタクとして夏フェスに赴くだろう。だけどライブに物足りなさ感じる度に、「ここに青葉ひなりがいたら、どんなに楽しかったのだろう…」と思うのかもしれない。いや、ならないわけがない、オタクは強欲な生き物なのだから。そして、そう感じなくなった時が自分のオタ卒の瞬間なんだと思う。
公演後の特典会、青葉さんに「ひなとの記憶が塗り替えられないものになってたらなって、思ってるよ」と言われた。自分に地下アイドルの世界と、プロの精神性を身をもって教えてくれた青葉さんの記憶、塗り替えられるわけないじゃないですか…
卒業発表後、全国ツアーを回りながら、「別に全然満足なんだけど、願わくば沖縄にも推しメンと行きたかったなあ」と、少し成仏しきれていない部分があった。そんな無念が、こんな形で浮かばれることになるとは。運営側も弾丸日程だったはずだが、企画してくれたことへの感謝が尽きない。たった1泊2日の沖縄遠征だったが、何にも代えがたい最高の時間だった。
(関連投稿まとめ)
④【ライブレポ】青葉ひなり卒業公演」(2024/10/18)
ついに卒業公演を迎えたこの日。公演前とライブの内容、そして終演後、丸1日に及んだ特典会をレポートする。
当日の心境
この文章は当日の朝、六本木へと向かう電車の中で書いている。しかし、書いている余裕もないくらい心は浮き足立っている。
やる事は全てやってこの日に臨んでいるはずなのに、その上でまだやる事が浮かんでくるし、今でも何か忘れていないか不安になる。TDCワンマンの時は不思議なくらいに落ち着いていたが、今日は全く持って落ち着かない。
だが、心の容量の大半を占めるのは卒業委員の仕事が原因なのでそれほど心配していない。開演のSEがなった瞬間に、実感が湧いてくるのだろう。それでもいいし、流れに任せようと思う。
思ったよりも早くついたので、会場近くのラーメン屋に腹ごしらえをしにきた。
今日のライブ、もしかしたら全く泣かずに終わるかもしれない。自分の感情に浸る前に、ステージの青葉ひなりをしっかりとこの目に焼き付けたいという思いが強いためである。
昨夜、「僕は青葉ひなりの何が好きで、何が嫌いなんだろう」と思いながら手紙をしたためていた。数多のアイドルを見てきて、なおも青葉ひなりに惹かれる理由、それはステージ上でひと時たりとも「アイドル」であることを忘れず、常に全力でパフォーマンスしている姿なんだと気づいた。
「FES☆TIVEの青葉ひなり」を、最後の瞬間まで目に焼き付けたい。
開演前
開演前にはグッズ販売が行われた。トレカは即完、特典会はなし。
事前物販の時点で、200人はゆうに超えるオタクが詰めかけていた。開場前には、今まで前方を支えていた歴代のオタクたちが大集結。これが単なる一人の地下アイドルの卒業ライブではないことを、まざまざと実感した。
開場後は、地下3階のフロア入口まで列を引き入れる万全の体制。最初に「上手(かみて)ですか?下手(しもて)ですか?」と聞かれるのには少し動揺したが、無事に見やすい場所を確保。慣れ親しんだ青葉推しオタクに後ろ左右を囲まれる中、青葉さん最後のステージの幕が上がった。
ライブ振り返り
青葉さんのセトリ投稿を元にライブを振り返る(最後までありがとう…!)
画像に載っていないが、アンコールの3曲目は「シダレヤナギ」だった。
卒業公演で、「曲を沢山やりたいから」という理由でメドレーを選択するのは、青葉ひなりだなぁと思う(これから何度かこの表現が出てくる)。
細かく振り返っていく。
1曲目、前日の青葉さんのこの投稿がフラグだった?
「HUMAN NATURE WORLD」は、最初は青葉さんのパートが少なくて、あまり好きではなかった。しかし次第に(7人体制になったあたりから)、間奏のダンスのクオリティに気づいてから大好きになった。
卒業公演のメイン企画である、旧メンバー参加曲。ほぼ同期(青葉さん発言)での懐かしい3曲は、明らかに今のFES☆TIVEとは違う空気に。
推しジャンもマサイもない、全員が和気あいあいとした、FES☆TIVEの好きなところだけを取り出したような時間だった。
ハレとケ時代のメンバー(青葉、土光、水瀬、南、近藤、竹内)での「ハレとケ!あっぱれ!ジャパニーズ!」「オトメ、ケセラセラ」は、僕がES☆TIVEと青葉さんに出会った時に聞いた思い出深い楽曲。
オトメの間奏は全員がブランクを感じさせないどころか、むしろキレを増しているように見えた。なんなら当時の衣装を着て登場した段階から、「これなんだよ!これ!」と隣のオタクと絶賛していた。
奇天烈~微笑時代のメンバー(青葉、土光、南、八木、髙木)の5人で披露したのは、「YURARI」「トライアングル」の2曲。シングル曲でも全然よいのに、この選曲をしてくる感じは青葉ひなりだなぁ(2回目)。微笑ノ国の衣装に身を包んだ八木さんの目からは、すでに光るものが見えた。
確かに、YURARIの歌詞を聞いて、泣くのを堪えろという方が難しいと思う。
メドレー前に「11年間、一度も歌ったことのない曲を披露します」と予告して披露したのは「本能寺の恋」。青葉ひなりだなぁ(3回目)。
歌い出しの八木さんは美しすぎて震えた。丁度サビで青葉さんが自分の目の前に来て、向かい合ったのも楽しさにひと役買っていた。振り付けもキャッチーで踊りやすいし、今後もフルでやって欲しさがある。
会場中の涙腺が限界に近付く中でのラストスパート、青葉さんが最初に選んだのは「ぼくたちの輝き」。辻さんの曲振り「青葉ひなりはFES☆TIVEのかがやきだよ」は、とても秀逸だった。
2番Aメロ、メンバーがひとりずつ歌い継いでいく印象的な箇所。
残されるメンバーから、最後の青葉さんへと歌い継がれてゆく様子は、まさにグループから飛び出そうとしている彼女の背中を押しているかのようだった。
次の「Landmark」は落ちサビのユニゾンが印象的。
表情を崩しながら懸命に歌う八木さんと仁科さん。
翌日からは最長歴メンバーになる責任感からか、必死にこらえる土光さん。
先輩メンバーのために感情を抑える、与田さん、本多さん、辻さん。
そして、泣きながらそれを見守る青葉さん。
僕の好きな7人のFES☆TIVEがそこにあった。今まで、多くの歴代メンバーやオタク達が帰ってこられる場所として青葉さんが守ってきたFES☆TIVEは、残されたメンバー、そしてこれから加わるであろうまだ見ぬメンバー、そしてそれを応援するオタク達によって確実に引き継がれてゆくんだなと。
「OIDEMASE!!~極楽~」は、本編ラストにして最高の盛り上がりだった。「FES☆TIVEがバズった曲」という印象があるかもしれないが、いつ何度聞いても飽きないのは卒業まで変わらなかった。ああ、こういう現場、ライブに惹かれたんだよなと、ひたすら噛み締めていた。
最後の挨拶、「思ったより泣かなかったし楽しめた。明日からはFES☆TIVEじゃなくなるけど、選んだ道を正解にしてゆきたいし、持ち前の努力で頑張りたい」。青葉ひなりだなぁ(4回目)。
アンコール明け1曲目、「人類!WE ARE ONENESS!」。青葉さんの「最後まで最高のパフォーマンスにしたい」の言葉通り、アンコールとは思えない完成度だった。2021年にMVが公開された当初、「ついに現場が戻ってくる、コロナ前の日常が戻ってくるかもしれない」という期待感を覚えたことを思い出した。
「トーキョードリームパレード」、これまでずっと「推しメンの卒業でこれ聞いたら大号泣なんだろうな」と思っていた。しかしむしろ歌詞が全て旅立つ青葉さんを勇気づけるように思えて、晴れ晴れしい気持ちだった。
青葉さんはグループから卒業しても、FES☆TIVEを通じて"私達"は繋がっているんだと思う。
「シダレヤナギ」、ターンの時に衣装の取り付けたパーツがフワッと開いて、「もしかしてこの曲の為に作った…?」という美しさだった。最後の落ちサビを歌い終わった青葉さん、隣の八木さんを見た途端に表情が崩れたように見えた。自分の務めを最後まで果たし切る、そんなプロ根性が僕は好きだったんだなと。ライブ中もアンコールでもあれだけ「ひなり」と叫んでいたのに、この日・この曲を境に一度も言わなくなってしまうと思うと不思議な感覚だった。
最後の挨拶、「私とシダレヤナギはファンの人達と一緒に育ててもらったようなもの。最後の瞬間まで楽しめました!」。青葉ひなりだなぁと(5回目)。
終演後物販
終演後の物販は22時頃からスタートしたものの、Sチケットだけで300枚捌けている公演では1枚撮るのが限界(一般チケットの人は普通に撮りきれていなかった)。事前に案内されていた延長特典会場に向かうことに。
しかし、延長ですら100人以上のオタクが詰めかけ、まねきねこ渋谷のイベントスペースには収まりきらない事態に。
僕はほぼ最後に整理券を貰ったが117番で、実際には整理券を貰ってない人も沢山いた。
特典会は、全員が1周撮り終わったら衣装チェンジのための休憩を挟んで再開、という流れを延々と繰り返すというもの。とはいえ3時頃にオタクも青葉さんも限界を迎え、仮眠を含めた長めの休憩を取ったものの、それ以外は休みなくチェキ撮影が続けられた。
そして、特典会が始まってから約13時間が経過した10月19日11時半頃、イベントスペースの期限が来たことにより、場所を移動。「延長特典会の延長特典会」というパワーワードが爆誕してしまう。
延長の延長が始まった段階で、オタクは40人ほど。僕がほぼ最後に整理券を貰って29番だったが、整理券を貰っていない人も来ていた。
流れは延長特典会の時と同様、全員1周→衣装チェンジを繰り返す。時間が経つとオタクは減るどころか、どこから聞きつけたか分からないオタクが合流したことによりむしろ増えていく。「これ、永遠に続くのでは?」という空気が広がる中、遂に青葉さんの口から宣告がなされる。
次の衣装チェンジを最後として、昨日のオープン時間でもある17:30を目処に特典会を終わりたいと思います。皆さんが今持っているチェキ券を使い切ったら終了です。
遂にやってきたこの時。それまでは涙を見せずに、気丈に振舞っていたオタク達の表情、空気が一気に変わったのを感じた。チェキを撮りながら嗚咽する人も現れ、一気にお別れの空気感となる。
そして、僕にも最後の時が訪れた。記憶が曖昧な部分はあるが、以下のような内容を話したはずである。
…一緒に頑張りたいって、自分結婚するんか?
涙目になっている推しメンを前に、自分も感情はぐちゃぐちゃだったが、思いは本物だったと言える。最後に伝えたかったのは、未来への希望だった。
青葉さんは、アイドル活動に対して悔いがない訳では無いと語っており、それはオタクも同じである。願わくば、青葉さんと見てみたかった景色がある。行きたかった国がある。やってみたかったことがある。
しかし青葉ひなりを応援していれば、今後絶対それを叶える機会が訪れると信じている。
その時まで、必ず。
そして、ついに全てのオタクがチェキ券を消費し、終わりが訪れた。
FES☆TIVEを、青葉ひなりを応援し始めた時からずっと言ってきたあの言葉を、今日を境に一緒に言えなくなる。そんなふうに考えたら突然泣き出しそうになった。声が震えるのを抑えながら、必死に絞り出した。
「せーの、わっしょーい!」
結局、特典会が終了したのは10月19日19時30分。アイドル界のレジェンドは、最後に伝説を残してお祭りを締めくくった。
選んだ道を、正解にする。
青葉さんが卒業公演で力強く言い放った言葉は、決して偽物じゃないのだなと感じさせられる一日であった。
⑤後日談
この文章は、卒業公演が終わってから2週間程度経つまでの自分の心境を、何度か書き直しながら記したものです。
終わって直後〜今の心境
延長の延長特典会が終わった直後から2~3日の間は、まさに「心にぽっかり穴が空いたような」という状態でした。部屋の中にある卒業公演のグッズやオレンジ色のTシャツを目にする度に、「FES☆TIVEの青葉ひなりはこの世にいない」という事実を突きつけられて、落ち込むという日々を過ごしました。
反面、「もう青葉推しであることをやめていい」「もう卒業・生誕企画を考えなくてもよい」という、肩の荷が降りた感覚もありました。
それからいくつかのアイドル現場に行きました。何なら卒業公演と同じ、EX THEATER ROPPONGIで開催されたものもあったくらいです。他のアイドルのライブを見ていると気が紛れたこともあって、心の隙間は少しずつ埋まっていっているのを感じました。
しかし、やはり宙ぶらりんな感覚は否めません。そもそも、今まで地下アイドルオタクをやっていて「青葉ひなり推し」じゃなかった時期はありませんでした。なんといっても、青葉さんが僕を地下アイドルオタクの世界に連れて来てくれたのですから。そして、その肩書きが外れてしまった今、僕は果たして何なんだろう?と、現場に行くたびに問い続ける日々を過ごしています。
青葉さんの卒業が近づくにつれて、「青葉が卒業した後はどうするの?」と、色んなオタクやアイドルから聞かれました。そのたびに「うーん、まだ分からないっすねw」と冗談交じりに返していました。きっと卒業公演が終わる頃には見つかるだろうと。しかし、結局そんなことを考えるられるわけもなくその日は過ぎ去り、2週間くらい経過してからやっと余裕が生まれてきたのです。そしてその答えはまだ出ません。
自分にとっての青葉ひなりとは
以前noteで、推しメンとは人生を豊かにしてくれる存在という話をしました。
白状すると、この時は「まあ、そんなもんだと思う」という感じでnoteを書き上げていました。しかし、それから9ヶ月たった今は「いや、本当にその通り!」というくらいの気持ちになっています。それは青葉さんが卒業発表して、その後に得られたものがとてつもなく大きかったことの証左です。
結局、僕という人間は、いつも心のどこかでブレーキをかけているのです。全力投球して自分が傷付くと怖いから、「別に?全力出してないけどね?」という風を装いたくて、仕事を断ってまでライブに行かない。前方チケットを買わない。もっともそれが僕が僕らしくいられる生き方だから、無理をしなくてもいいと思っていたのです。それが、卒業というタイムリミットが決まってしまってそんなこと言ってられなくなった。全力で推さざるを得ない状況になってしまったのです。
だけど、全力で推したからこそ味わえたことは思った以上に沢山ありました。特にライブ前後で仲良くしてくれたオタクの方々には本当に感謝しています。お陰で現場に行くのが数倍は楽しくなりました。ほんの少し前まで、ライブが終わったらチェキを2~3枚撮り、30分くらいでサッと帰っていた自分がまさかオタクとグダグダ話していて最後まで残るようになるとは想像も着きませんでした。遠征帰りに皆と別れて1人になった瞬間、「この時間は夢だったのか…?」などと物悲しくなることも一度や二度ではありませんでした。
卒業が近づいてからのライブは大体前方で見ていましたが、7人体制が落ち着いてからのクオリティの高さには舌を巻きました。FES☆TIVEといえば後方のオタクによるサークル・モッシュ・リフト・オタ芸の印象が強いかと思いますが、実はアイドル界屈指の運動量・パフォーマンスを誇ると思っています。フロアを沸かすことも大事だけど、ダンスを見せることも、落ちサビで泣かせることも、レスでオタクを落とすこともできる。フロアにはその一瞬を逃すまいとするオタクたちがいる。そして中心には、いつも「青葉ひなり」がいました。
もう推しメンがステージで見られなくなったオタクの遺言として、いつも後方で入っているオタクの皆様におかれましては、一度でもいいから前方(できれば交渉してでも最前)で落ち着いてライブを見て欲しいなと思います。
総じて、青葉さんが卒業を発表してからの5か月で、僕はオタクとして大切なもの、それまでの人生では手に入れられなかったものを沢山得ました。それは遅すぎたかもしれませんが、今で良かったという考え方もできます。
そして、「FES☆TIVEの青葉ひなり」は、それほどまでに本気で推したくなる存在でした。応援するオタクを絶対に裏切らない、推してくれた借りは、必ずステージで返す。そんな青葉さんを信じて推し続けるスキッパー(青葉さんを応援する人々の総称)の方々とは、言葉は交わさなくても見えない輪で繋がっている気がしました。
時には彼女の頑固でこだわりの強い所に嫌気がさすこともなかったわけではありません。それでも、どこまでも熱くて真面目で尊敬できる、それでいて人間味溢れた魅力ある推しメンに出会えたこと。入れ替わりの激しい地下アイドル界隈で、青葉ひなりという存在を応援できたことは、人生の大きな宝です。
今後の生き方について
結論からいうと、僕は「地下アイドルオタク」という生き方をもう少し続けるつもりです。
第一に、そんなに簡単にオタクがやめられなさそうだからです。地下アイドルオタクになって4年間、ライブハウスに通う生活が身体に染みついてしまい、今すぐにそれをなしにすることは難しいように感じています。たぶん、いまオタクでなくなったとしても僕には何も残りません。むしろ、逆に人間として終わってしまうのではないかと思います。
第二に、「まだオタクをやめたくないな」と純粋に思っているためです。青葉さんのお陰で見つけた地下アイドルの世界にどっぷり浸かるようになって、その多様で幅広い世界に魅力されてしまいました。もちろん、いい所もあれば悪い所もありますし、それが理由で離れるひとが多いのも知っています。しかし僕は、オタクとアイドルたちの人間模様がおりなす深淵を、もう少し覗き込んでもバチが当たらないんじゃないかと思っていますが、いいですよね…?
こうして、FES☆TIVEという時代を作り続けるアイドルユニットと、青葉ひなりという大きすぎる存在に魅せられた1人のオタクは最後の時を迎えました。そして彼女から得たものを胸にしまい、再び歩み始めたのです。
おわりに
まとめます。
さあ、次の物語を始めよう。
以上です。