いただきます!
昨日の残りのキーマカレーで、娘と朝ごはん。
つぶやきの投稿と同じ写真。同じだけど、つぶやきと長文の文章とどちらが見られやすいのかな?
そんなことも頭を横切りながら同じ写真使ってる。
考えてるようで、考えてませんが^_^
これを直感というのか。
ただ直感というのは、たくさんの思考(下準備、練習)のもとに出てくる感覚だと思うので、やはり考える事が嫌いではないのならいっぱい考えることはわたしには良い事だと思う。
ただ、その分、少しランニングしたかのような疲れもある。眠りの妨げにもなるので、"そうだあれなんだったっけ?"ときっかけにもなるスマホでの検索。ほどほどがいいと思う。
ビートルズ
夜中のスマホ検索は危険(笑)そんな事してるくらいなら、Disney+(ディズニープラス)でビートルズのゲットバックを観た方がいいのかもしれないな。今晩観ようかな。さすがに全部は無理だけどね!
✴︎✴︎✴︎これまでのイメージを覆す、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの深い絆。解散後約半世紀を超え、今、遂に明かされる≪衝撃の真実≫とは?✴︎✴︎✴︎
(アルバムを持っていないと大きな声で言えないけどね!)
ホワイトアルバムは何度か聴いたことあるけど、大人になってから買った。しかも中古CD。うーん、レコードを買った方がいいのかもしれないね。もう4、5年もしたら買う行為を減らしていきそうな気がする。買うならあと5年以内なのかもしれない。50歳や60歳になると手放していくものの方が多いのかもしれないと思うからね。
Ob-La-Di, Ob-La-Da
前にも話したかな?わたしが初めて聴いたビートルズはOb-La-Di, Ob-La-Da(オブラディオブラダ)。幼稚園の卒園式後におこなわれる園の先生と園児が気兼ねなく祝うパーティ(謝恩会)で流れた曲だった。
幼稚園の時に、色々とやらされた記憶がある。合奏や演劇をただやるのではなく、町のホールを借りて広い舞台で発表する行事が年長児に何度もあった。
覚えることを叩き込まれた。知識が自分の人生を左右することを教えるかのような教育を受けた。
ほのぼの通える他の施設とは違う幼稚園が創立され、そして自分たちは最初の年の園児であった。
30才の時に写真を振り返り、第1回卒園生という記録の写真を見て、何もかもが理解できたように思う。
きっと何もかもが実験であり、テストだったのだと今思い返すとそう思えたからだ。泣いてる先生がいた。わたしが粗相をして先生が副園長に怒られ泣いていた。その後にわたしのところに来て、「ごめんね」って言っていた。
わたしにはそれは風景としての記憶しかないのだ、感情がないのだ。もしかしたら少しは泣いたかもしれないと思うけど、忘れてしまった。
2時半ごろには解放されていたはずだから、時間が短かった。その先生たちの挑戦に楽しささえも覚えた幼少期。そして贈られたソング、オブラディオブラダ。
曲名を覚えていたのではなくて、叩き込むことに慣れていたわたしは、一度しか聞いていない曲を覚えていた。中学生の頃に再び引き出された記憶。あ、あれはオブラディオブラダだったんだ。
オブラディ オブラダ 人生は続いてく
ララ こんな風に 人生は続いてく
整理整頓、夢だって整頓
この記憶と、わたしが片付けるのが嫌な気持ちと関係あるのだろうか。
中学生の頃から繋がっている記憶を忘れたくなくて、そのころからの思い出のもの達を捨てられない。
断捨離などする気もない。地方紙で五木寛之さんも断捨離はしないと言われていたので、「なーんだ、しなくていいんじゃないか」と安心した(誰と比べてるの?)。
とはいえ、片付け上手にはなりたい。整理整頓、引き出しのここからこれが取り出せる。とか。
なんでもBOX(4次元ポケットのようにきっと自分の気分が上がる道具たち)は片付けなくていい。宝物探しみたいにぐちゃぐちゃしていていい。とか。
ま、そんなルールでもいいかもしれないな。
うーん。こんな風な自分のことをもうちょっと真面目に文章にして電子書籍にしてみようかな。
昨年の12月に大好きなミュージシャンに曲を書いてもらった。ん?もうこれで本が書ける気さえもしているよ?
甘い??
甘いかもね!さて、じゃ人(本でも良い)に会わなくては。これが甘いのかどうか情報を集めなくては!
今日はのんびりした朝だったので、とりとめのない話を書いてみました。
本の題材にするかもしれないこと、さらっと触れた日記は固定記事の話です。一応貼っておきます。
(おしまい)
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