院に落ちて就活した話(前編)
どうも初めましての方は初めまして、かべちゃんです。
今回は私の体験から記事を書くことにしました。院を目指して落ちて就活をして今にいたるまでのお話し前編。では、
「院に落ちて就活してみた話」前編スタートです。
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1 院を目指そうとしたきっかけ
どうして私が院を目指そうと思ったのか。それはただ、国連で働きたかった。ただそれだけだった
私が高校生の頃に家族と行ったオープンキャンパス。様々なプログラムがあり、私は留学生との会話のプログラムに参加していた(当時は全く英語が出来なかったが…笑)。その時に別のプログラムに参加していた親が帰り道に、
「国連で働いてた先生がいて…」
その時、国連が何をしているのかきちんと理解出来ていない当時の僕は「国連!すごい!」と思った。国連で働く自分を想像するとワクワクして楽しかった。そこからだろう僕が国連を目指し入学後から早々と院に行きたいと思い、勉強を始めたのは。ただ、当時の僕はまだ知らなかった。院に落ちて就活をすることを…
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2.しんどかった大学院セミナー
「国連で働くため、まずは大学院に!」という気持ちは入学後も変わらなかった。確か2年生の頃からだったと思うが、大学院セミナーというものが私の大学で始まった。名前の通り、大学院を志望する人向けのセミナーであった。当時大して試験に落ちたことのない僕は「これを受け続ければ大学院に行ける」そう考えていた。本当にバカだと自分でも思う。
セミナーを受講するなかで、ある日僕はふと思った 。
「なんでこんなに出来やんの?」
セミナーの中では僕は課題しかなかった。
・読解力がない
・論理的な文章じゃない、
・何を言ってるのかわからない…
とダメダメだらけで正直落ち込んで悩んでいた自分がいた。それでもやり続けた。こんなに伸びしろがあるんだって某有名人みたいに言い続けて…
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3 浅はかすぎた自分
2年生の頃から始まった大学院セミナーはスタイルを変えながらもずっと続いていった。最初は全く上手くいかなかったが、ただ当時の僕は「そのうち出来るようになる」そんなことを考えていた。浅はかすぎた
3年生の秋学期は国立台湾大学に留学中だったのでセミナーはなかった。ただ国際法の授業はもちろん受けていたし、夜の空き時間は参考書で試験対策もしていた。(国立台湾大学での話は後日改めて書こう)
台湾から帰ってきた後は、研究計画書を本格的に作ることになった。「いよいよ院試だ!頑張ろう。」今まで以上にモチベーションは上がっていた。このまま行こう!合格できる。ただそのモチベーションは研究計画書で落ちるところまで落とされたのであった
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4 絶望に突き落とした研究計画書
研究計画書は僕を絶望へと突き落とした。本来なら研究計画書は合格に導く栄光の架け橋みたいものだろう。ではなぜ「絶望」だったのか。それはいたって単純だった。
「研究計画書が書けなかった」
もはや論外だ。話にならない。研究計画書が書けなくてどうやって合格するのか。何度やっても何度やっても出口が見えない。しっくりこない。次第に僕のモチベーションはどんどん下がっていたが、何とか研究計画書は書き終えて提出をした。真っ暗なトンネルから出したと思えた。しかしまた真っ暗なトンネルが待っていた。それはなぜか
ガラクタすぎた研究計画書だったから
事前に何度も修正点は先生から頂いていた。修正するなかでゴールが見えてきた。これならいける。そう油断でもしていたのだろう。あろうことか修正点だらけの研究計画書を提出してしまった。なぜ提出前に確認をしなかったのか、自分の不甲斐なさに嘆いた。落ち込んだ。まだ試験は終わっていない。本番で挽回しよう。そう思うしかなかった。ただそう思うのさえ辛かった。そんな絶望に突き落とした研究計画書だったが、それでも刻一刻と試験の日は近づいていった。
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前編はここまで。後編からは院試を受けて落ちたところからスタートです
ここまで読んでいただいた方ありがとうございました。是非とも後編も読んでください。
ではでは