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【浪人旅行記】会津地方の旅 その2

どうも。18歳になりました。前回の続きです。
前回↓

思いのほか多くの方々が見てくれてるなと思いました。引き続きよろしくお願いします。

新藤原駅からリバティ号に乗り込むと少し高揚感を覚えた。特急形車両というのはやはり乗るとワクワクする。しかしここから先は特急ではなく快速電車である。空いている座席に自由に座って良いとのことなので、2列の空席を発見し着席。進行方向左手の席を確保。景色が順光で見れるので非常にありがたいポジションだ。リバティ号はおもむろに発車する。改めて新藤原の街並みを見ると、街道沿いの宿場町という感じもする。少しGoogleマップを見ると国道沿いに飲食店もポツポツとある。江戸時代、下野の今市から会津若松を繋ぐ街道として会津西街道が整備された。これらの鉄道や道路はその歴史を受け継ぐものだろう。前に父と福島の木賊温泉に行った時にもこの国道を通った。野岩鉄道と並行して奥日光を縦断する国道121号だ。その時は外からこの特急リバティを見た。銀世界の中の立派な橋梁を渡るこの凛々しい特急型電車を見て以来、機会があれば乗車したいと強く思っていた。そして今日その念願が叶ったわけである。そんな風に感傷に浸ってたら列車は龍王峡駅を通過し、トンネルに入った。ここから先はトンネルが連続する区間だ。何せこの尋常じゃなく山深い奥日光エリアをトンネルと橋梁でぶち抜いて作られた脳筋パワープレイな鉄道路線。しかしその分絶景が見られること間違いなしである。しかし一体誰がこんなところにこんな路線を作ってしまったんだ?

出典 Wikipedia(ウィキペディア) 野岩鉄道会津鬼怒川線

もちろん『アホの「A列車で行こう」』でお馴染みの日本鉄道建設公団である。知ってた。

稚内に行く時に買った膝丈のダウンのコートを脱いで纏めつつ周りを見渡す。すぐ近くには帰省だろうか和やかな三世代家族、他にはアウトドアな感じの格好をした集団を見かける。この列車の乗車率は100パーセントに近い。この席が空いていたのは幸運と言わざるを得ないだろう。こんな私にも幸をもたらしてくれた旅行の神様に感謝しつつ車窓を楽しむことにする。トンネルを抜けると川治温泉駅。会津西街道沿いには多くの温泉地がある。この会津鬼怒川線に属する駅は9つあるがそのうち3つの駅は「○○温泉」という名前だ。この川治温泉もその1つである。なにやら1つのプレハブ小屋が目に止まった。

ホテルニュー川治。なんだかとあるメロディに乗せて歌いたくなるような名前のホテルだなあ。

既視感の正体

一瞬あのプレハブ小屋がホテルかと驚きかけたがどうやらあれは観光案内所だ。風化して消えかけてる看板を見ると機能しているようには思えないが。実際あまり栄えている感じは無い。暇つぶしにWikipediaを見ても書かれている内容はひじょ〜に少ない。「歴史」の節に至っては3文で説明されてしまっている。しかも最後の1文は多くの死傷者を出したホテルの火災に関する記述だ。
火山大国である日本には多くの温泉地がある。草津温泉のように多くの観光客を集めるメジャーな温泉もあれば、言ってしまえば「名前が付いているだけ」のようなマイナーな温泉もある。川治温泉もどちらかと言えば後者だろう。しかしそこに貴賎がある訳では無い。寧ろ後者の方が好きな人間も少なくはないだろう。結局なところそういった温泉の名前の大きさというのは、人間がそこに資本を集めたかどうかの差でしかない。名前が付いている以上、そこには人間の営みがあり、歴史があり、文化がある。そこに優劣は存在しないはずだ。この精神は何事にも通ずる大事な考え方だと私は思う。

川治温泉を出て短めのトンネルを抜けると峡谷の川沿いに電力施設が見える。

この近辺は鬼怒川やその支流を活用した水力発電所が多く建設されている。これもそれの関係かな〜とか眺めていたら列車は再びトンネルに入る。今度は長い。トンネルが長ければ長いほどそこにどれだけ資本や労力が投じられたのだろうかと思いを馳せてしまう。そしてトンネルを抜けると今度は長い鉄橋だ。

うおっ…!

急に地形が開けて目いっぱいに青空が見えて少し驚く。これはダム湖のようだ。凍結した水面には鉄橋のトラス構造と列車の影が投影されて、それを目で追うとふとアニメーションを見ているような気持ちになる。凍てつく山々と青空のコントラスト、奥日光の秘境の生み出す絶景を目にして、ただ純粋に「来てよかったな」と思う。旅行はこれの繰り返しだ。もう少し眺めていたかったが、列車は再びトンネルへ突入した。

列車は会津高原尾瀬口駅に到着。ぞろぞろと大勢の乗客がここで降りた。色とりどりの蛍光色のアウトドアの格好をした集団、スキー板やスノーボードを持った人も見える。そういうことかと納得。その人たちが降りると急に車内は寂しくなった。この駅で野岩鉄道は終わり。ここから先は会津鉄道だがリバティ号はもう1区間走り、会津鉄道のターミナル駅の会津田島駅まで走ってくれる。路線は会津田島駅まで電化されているので当然の区切りだね。先程まで深いV字谷の景色だったのがこの駅を境に一変する。

少し開けた谷底平野のような地形になる。民家が所狭しと並んでおり、歴史を感じさせる建物もあれば近代的な雪国装備の家もある、私好みの景色である。分水嶺を超えて見えるのは荒海川、阿賀野川水系だ。さて会津田島駅に着く前に用を足そうとデッキに出る。特急リバティは三両編成のうち中間車両に広いデッキを備え、そこに個室トイレが2つある。片方は車椅子対応、もう片方はそうでない個室だ。そうでない方の個室が空いていたので入室。

狭い!!!!!!!!

ビックリするほど狭い。車椅子対応個室のために完全に犠牲になっていりではないか。身長は少なくとも171cmで体重は48kg(最近少し増えた)という痩せ体型の私ですら狭いと感じるとは。洋式ということもあり、キハ40系のトイレの方がまだ広く感じる。こんなんじゃ力士が用を足す時どうするんだリバティ!と思ったが広い個室もあるんだったそうだ。しかしモタモタしてると会津田島駅に着いてしまうのでここは慌てず、スピーディに用を足す。揺れるので念の為座らせていただく。よく洋式トイレを「間接尻合わせ」(←妖怪みたいな響きだな)だと苦手意識を持ってる人もいるが私は気にしないぞ。しっかりと膀胱の中身を出し切ったと確信するとパンツとズボンを上げ、非常にミニマムな手洗い器の中で手を洗い、コートを着直し任務完了。間もなく会津田島駅だ。

会津田島駅に着く。三セクのターミナル駅ってのは好きだ。可愛らしい気動車たちや観光列車のようなよく分からない有象無象が放置してあったりして、地方の古びた玩具屋さんを覗いてるような気持ちになる。そこで「こんな列車もあるのか!」と新しい気づきも多い。真岡鐵道の真岡駅はよく通うが、ご存知の方も多いだろう。あそこのカオスっぷりと言えば、無蓋貨車や緩急車やディーゼル機関車が放置されていて最早何をしようとしたのか分からない。しかも放置されてると思ったキハ20のレストアしてるみたいで面白くなりそう。この会社が好きだ。さて接続の会津鉄道の快速リレー号に乗る前にここで鉄印を記帳する。少し時間が無いが、まあ間に合わなくても良いかという気持ちで駅の受付に立つ。
「鉄印お願いします!」(週末パスピラッ)
「次の会津若松行きの列車乗りますか?」
「はい!!!」
という感じで間に合わせてくれた会津田島駅の駅員さんには感謝だ。

手書きである。実は私の鉄印帳史上の直の手書きの記帳だったりする。大体鉄印帳なんてプリントを貼り付けるものばかりだと思っていたのでこれには感激。「会」の字の屋根が山のようになっていて素敵だ。山の壮麗さと川の力強さが合わさったような達筆ぶりに思わず感嘆のため息。私も一応書道の経験があるので少し嫉妬してしまった。なお嫉妬するほどの腕前など無い。

ここから西若松駅までは非電化区間。国鉄会津線を継承した区間だ。赤べこのように真っ赤な気動車に乗りこむ。きっと雪景色の中を走る様は綺麗だろう。

内装はクロスシートだ。なんと立派な回転クロスシートだろうか。背面テーブルも付いており、さらに柔らかい間接照明。JRの特急並みではないか!リバティからの接続のリレー列車なだけあって気合を入れているのだろうか。どうせロングシートに座るのだろうと思っていたものだから、これは嬉しい。第三セクターは無料、或いは安価に豪華な観光列車に乗れることが多くて楽しいものだ。

ふと壁面を見たらここにもテーブルがある。展開してみると飲み物を置く窪みが2つ。背面テーブルとは干渉してしまうが。はて何だと思ったら、これはクロスシートを向かい合わせにした時に使うテーブルではなかろうか、いやきっとそうだ。残念ながら会津田島で時間が無くて飲み物を買いそびれてしまったのが痛い…。しかしこういう時コーヒーを飲みすぎてしまうので、カフェインを控えることが出来て良かったとでも思おうか。

野岩鉄道に較べれば比較的緩やかな地形の印象だが、雪は一層深さを増している。北上してきたのを感じている。しかしこの程度で驚いちゃあいけない。これから向かうのは奥会津の只見、それはもう雪深い秘境だ。オラわくわくすっぞ…なんて思いながらウトウトして、気づいたらもう会津若松だった。

可愛い。

購入しました。これで今回の旅行の目的の半分は完了したようなものだ。帰宅後家で箱を開けた時に思わずその可愛さに仰け反ったよ。ホントに。このりんごみたいな可愛くも情熱的な赤色。どこ見てるんだか分からないボケーッとしたような目。ふわふわと動く頸。全てが愛おしい。赤べこが家に来てくれたというだけでその場で小躍りしたよ。ホントに。おしりに黒い斑点の模様が入ってるいるが、個人的には幼児の蒙古斑みたいな可愛さがあると思ってる。

さて腹満たしをしようと駅ナカを見るとちょうどラーメン屋が営業中の看板に切り替わったので入店。会津山塩ラーメンの店だ。塩ラーメンは好きだ。一番乗りで線路が見える席に腰を下ろす。パッとメニューを見、一瞬間の後即断。お冷とおしぼりを運びに来た店員さんにそのまま注文。
「チャーシュー麺ひとつ」
どうしても旅行中は炭水化物に偏りがちなところがある私、タンパク質の摂取は意識的に行う。待つ間は線路を眺める。しかし結局待ってる間は1本も列車が通ることは無かった。しかし何も通らない線路を見てるだけで不思議と心はワクワクする。この線路は日本中に繋がってる、と妄想を広げてしまうのは鉄オタの性だろうか。ふと近くの人の注文が耳に入る。
「ライスと…オレンジジュースお願いします。」
地獄みたいな食べ合わせじゃん…。

そんなこんなで私のテーブルにチャーシュー麺が入線してきた。

ふわっとスープが香って鼻腔を通りすっからかんの胃袋を刺激する。会津山塩ラーメンとはどんな感じだろうか。猪苗代湖のように澄んだスープをレンゲで掬い1口飲み込む…

うまい…

アッサリしつつも深みのある旨みと程よい塩気が心地よい。味蕾が歓喜に震えているぞ。平打ち麺を啜ると程よい弾力と小麦の香りが気持ちいい。私好みの味に思わず不気味な笑みを浮かべてしまう。チャーシューは普通。黙々と食べ続けスープまで平らげた。健康など食の喜びの二の次である。少し量が少ないかと最初は思っていたが食べ終えば腹八分目で満足満足。しかし喜多方ラーメンとの違いはイマイチ分からなかった。

さて次の列車までどれくらいかなと時計を見るとまだ2時間弱ある。思いのほか早く食べ終えてしまったようだ。観光する予定はなかったが、折角なので街に繰り出すことにした。しかし鶴ヶ城は遠い。近くで何か面白そうなものは無いかと、あてもなく駅前通りを進むことにした。

さて今回はここで切らせていただきます。次回はちょっとした会津若松の街の探訪を記す予定です。お楽しみに。

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