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看取り②

伯母の自宅を引き払い、介護施設に入所した。なかなか見つからなくて、退院予定日から1ヶ月延長入院の末の老健への入所だった。まだあの頃は認知症も始まったばかり。精神生活も身体的能力も年齢相応の若さがあった。週に2度ほど、洗濯物を届けたり面会をするために施設に通った。ダブルケアという言葉が流行った時期に、5歳の娘を連れての介護。まさにダブルケアを体験していた。週に2回はすぐにやってくる。洗濯物を届け終わりホッとして家に帰ると、あっという間にまた次の面会日がやってくる。追われるとはこういうことを言うんだなーと、休まらない頭でぼーっと考えては、ハッと我に帰る。娘の保育園のお迎え時間だ....。今思い返してもゾッとするほど、張り詰めた日々だった。

あの頃の伯母は「わたしはまだまだ現役。周りがみんな認知症の方ばかりで嫌になるわ。」と暗い表情を見せることが多かった。その後、転倒による傷が癒え、身動きはある程度自由になったのでこの施設を出て次の施設へ移った。個室があって自分のことは自分ですることができる高齢者対象の共同住宅で、2年ほど過ごした。ここでも、わたしは皆の面倒をみている、と言っていた伯母。ニックネームも◯◯◯(伯母の名前)先生だった。同じことが繰り返される淡々とした日々の中で、非情にも認知症状は進んで行く。面会に行った親族の顔と名前が一致しないことの方が多くなっていった。そしてその進み具合によってこの施設を出ざるを得ず、終の住処となった最後の施設へと転院したのは今から6年前だった。

最後の地でも、介護スタッフの皆さんに可愛がっていただき、そして自分は皆の面倒をみていると思い込みながらの暮らしだったそうだ。だそうだ...というのは、この数年、面会に行けなかったから。「認知症状が進み、短期記憶がどんどん失われている。過去のことも徐々にわからないことが増えていっているから、顔を見せて、ふと思い出し里心がついても帰れる場所がないから...このまま忘れていくことを尊重してあげたい氣がする」と、担当ケアマネジャーからのアドバイスだった。
介護士さんが洗濯物を取り込んでくると、率先してタオル担当を引き受け、せっせと畳んでいたそうだ。とても楽しそうに....。人は役割を持つことで活かされる、生かされる。

伯母は太陽星座山羊座、月星座射手座。出生時間がわからないからハウスが読めないのが残念だが、コツコツと働き続け淡々と生き、でも兄弟姉妹の中では圧倒的存在感で長女として一家に君臨し続けた。充分にホロスコープを体現していたと思う。先生にもなりたかったんだよね。誰かの面倒をみることが生きる支えとなっていて、それが夫の看護から両親の介護へ続き、両親を看取ったあとはその支えがなくなった。そして幻の国へ足を踏み入れていった...。

1月20日。個室にわたしと2人きり。前日の面会時には言葉こそ発しないが手を活発に動かしていた伯母が、もう、目を開けることもなく浅い息でベッドに横たわっていた。今日の潮の満ち引きを確認しておこう、そう思った。

讃美歌をYouTubeで流しながら手を握り話しかけて過ごした。312番/いつくしみふかき。わたし自身も学生時代に何度も何度も聴き歌ったこの曲。伯母は言葉なく反応もなく横になっていたけれど、きっと届いていただろうと思う。12:34 急に呼吸が荒くなり、空への階段を昇り始めたことがわかった。「そんなに急がないでいいんだよ、ゆっくり一段ずつね。」そう声をかけたけど...最後の一段へと確実に昇っていく。

12:50 干潮時刻ぴったりに、向こう側に着いた。享年81歳。讃美歌の美しい音色の鳴り響く中の荘厳な瞬間だった。

施設で入所以来6年間、ずっと担当し親しくしてくださったスタッフの方が、看取りの前日にポツリと言った言葉が忘れられない。「みちこさん、ヒトってさぁ。ひとりで静かになんて、なかなか死ねないもんだよねぇ...。」その呟きを聞いた時、わたしはぼんやりとしていた伯母の看取りを、真っ直ぐに見つめ直すことができた。どう生きたいか。どう去りたいか。そんなことは誰にも分からないと、多くの人は言うだろう。でもわたしは、どう死にたいかはイメージしておきたいな、と思った。伯母の逝きたい逝き方を尊重したいと強く想った。考えてみると出産の時もそうだ。医的介入のあるなしに関わらず、どう産みたいかを産む本人が明確にしていないと慌ただしい雰囲気の中で本意でないカタチであっという間にその時が来てしまう。ベビーにとって自分が生まれる瞬間は一生に一度だ。そして産み出す母親も、その子の出産の瞬間はやはり一生に一度のかけがえのない瞬間だ。神の領域だ、と感じる。でも、自分自身も意志を持って臨むことは非常に意味があると思う。

生きること。死ぬこと。今までも何人もの人の送りをしてきた。でも今回の伯母の死は、今際の際を2人きりで迎えた特別な時間だった。施設からの連絡で駆けつけた父に、「ごめんね、独り占めして。ずるいよね。」と詫びた。「いや、他にできる人はいなかった。大変だったな。」短く交わした言葉で、全ては終わった。

長すぎる極々個人的な、人生のイベントの話。 聞いて(読んで)くださってありがとうございます。この10日間ほど抜け殻だったけど、明日からまた、「生きよう」って感じてる次第です。

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