ライター歴:-4年半年『2016年春~秋』【エッセイ】30歳中卒男が3年後にシナリオライターになるまで
事の発端は2016年春に起きた出来事だった。
当時の私は大阪で格安のシェアハウスに住みつつ、漫画家になるために細々と絵のトレーニングに励んでいた。
そんな私に、以前にお世話になった方から連絡が届いたのだった。
「君の地元の町がオリジナル漫画のコンテストを主催しているらしいよ。応募してみたら?」
地元自治体のサイトを覗くと、確かにコンテストが開催されていた。
地域おこしの一環として実施されたイベントで、オリジナルのストーリー漫画を募集しているらしい。
応募作から選考された数作が一つの冊子としてまとめられ、県内の書店で販売されるとのことだった。
なんでも、市内外に地域の魅力をアピールするのが目的とのこと。
「ちょうどいいかもしれないな」
当時の私の画力では、ジャンプなどのメジャー誌への持ち込みは到底叶わなかった。
だが二十代後半になって急に漫画家になりたいなどと思い立った私。
三十歳を目前にして、焦りに焦りまくっていた。
一刻も早くデビューをしたい、成果を出したい。
その一心が、地元主催のコンテストへと目を釘付けにする。
きっと競争相手は少なかろう。
そんな下心から地元のコンテストへと応募をすることに決めたのであった。
漫画の構想を練るために散歩へと出かけた。
住宅街の一角を流れる川にかかる橋を渡った。
両岸がコンクリートで塗り固められ、簡易な歩道までついている人工的な趣の河川だ。
水質の処理が徹底されているらしく、川面に魚影がうかがえるほどに水が澄んでいた。
その魚影はどれも艶やかな体色をしていることに私は気付いた。
どうやら錦鯉が放たれているらしい。町ぐるみで飼育しているのだろうか?だが川にはとても鯉とは思えないぐらいに小さな魚も泳いでいる。
しかもその魚まで艶やかな色をしているのだ。
正体を確認するために、私は川面を覗く。
その正体は金魚だと判明した。
鯉の群れに混じってちらほらと姿がうかがえる。
住宅街にあるごく普通の川で金魚が自生しているとは珍しい。
私はその場で足を止めて、しばらくその光景を眺めていた。
そういえば他にもこんな光景はなかっただろうか。
思わぬところに金魚が生活していて驚いたことが。
記憶の糸を手繰ると、私が中学二年生頃の光景が思い浮かんできた。
私の実家は滋賀県である。
いわゆる『びわこ県』などと揶揄されるところだ。
家から琵琶湖岸までは自転車で半時間ほどかかる。
それほど近くはないのだが、それでも身近に琵琶湖を感じつつ生活していた。
中学二年生のある日、私は当時の友人との付き合いで魚釣りへと出かけた。
琵琶湖で魚釣りといえば、バス釣りである。
実際はブルーギルという外来種が釣れることの方が多い。
そしてフィッシングポイントには『外来魚回収ボックス』なるゴミ箱が設置されていた。
滋賀県の環境保護条例によって、ブラックバス等の外来魚のリリースが原則禁じられているのが理由だ。
ブラックバスなどの外来魚は琵琶湖に生息する小魚を捕食する。
そのため県民は幼い頃から、外来魚は琵琶湖の自然や生態系を破壊する悪者だと教え込まれている。
おそらく、環境保護の意識が高まった私の世代からはそのような教育がされていたはずだ。
その日の釣果はさっぱりだった。
ジリジリと焦げるような夏の日差しの中、当たりのない竿を掲げているのは辛かった。
付近に目を楽しませるものはないかと辺りを見回す。
すると、足元に小さな魚が群れて泳いでいるのを見つけた。
艶やかな赤い色をしている。
よく見ると金魚だった。
ここは琵琶湖と河川の境目。
小さな漁船やボートの並ぶ小さな堤防であった。
川と琵琶湖の境目で金魚たちが身を寄せ合って暮らしている。
なんともいじましい光景に私は胸を打たれた。
しかもこの付近はブラックバスの住処があると思われる。
やつらは河川の入り口やボートの陰を餌場や根城にするからだ。
私は金魚を眺めつつ、どうかこの子たちが無事に過ごせますようにと祈った。
だがそのとき、ふと疑問に思った。
この金魚はいったいどこから来たんだろう?
まさか自然に繁殖して、代々この付近に住み着いているのだろうか?
その点について、ひとつ思い当たる節があった。
私が小学生の頃である。
当時実家では金魚を飼っていた。
だが飼育方法がまずかったのか、金魚は日に日に衰弱していった。
このままではいずれ死んでしまう。
であればいっそのこと野生に帰してあげようと、父が提案した。
そして近所の川へと金魚を放流したのであった。
今思えば倫理的にアウトな行為だが、ともかく父は金魚を川へと放した。
金魚はこれからどう生きていくのだろうと考えながら、私は旅立つ金魚を見送った。
「お前、あのときの金魚か?」
釣竿を掲げる中学生の私が呟いた。
金魚を逃がしてすでに5年程経過している。
この金魚が私の家のペットと同じ個体である可能性は低いだろう。
だが他の家庭もそうしていないとは限らない。
そういった捨て金魚が身を寄せ合って、琵琶湖岸で慎ましく暮らしていたとしたら……。
なにやらもの凄い発見をしたような気がして、私の心は沸き立ったのであった。
「そうだ。あのときの」
長い回想を終えて、時代はアラサーの私のもとへと戻る。
地元である滋賀県を題材にした漫画の構想を練るために散歩に出かけていた私。
川を泳ぐ金魚の群れを見て、当時感じた新鮮な驚きを思いだした。
「そうか。あの金魚を題材にすればいいんだ」
依然、滋賀県では外来魚の問題が取りざたにされている。
県民の関心もそれほど低くはない。
外来魚を悪役に仕立てて、善良な金魚の生活を脅かす。
地元には琵琶湖の守り神である弁財天を祀る社がある。
主人公の金魚が仲間の金魚たちを守るために、危険を冒して琵琶湖の女神に助けを求めるストーリーにしよう。
なんだかいけそうな気がしてきた。
そんなこんなで、私は金魚が主役の漫画の制作に取りかかった。
あらすじ、セリフ、コマ割りはものの一週間ほどで組み上がった。
さあ、あとは描くだけだ。
私は原稿用紙にペンを走らせた。
だがそこで止まった。
やはり画力がまったく追いついていなかったのだ。
主人公は金魚。登場人物のほとんどが魚。
どのキャラクターも、練習したことがなかった。
漫画なので、金魚とはいえ表情がある。
人間の表情すら描くのがおぼつかない私にとって、魚のキャラクターの表情を描くのはとてもハードルが高かった。
原稿用紙を前にして途方に暮れる。
それでも私はめげずに、ペンを握り直した。
画力を高めるいい機会だと考えよう。
そして私は既存の作品のキャラクターの模写などを始めた。
コンテストの締め切りまでには三カ月ほどの猶予がある。
その頃にはきっと素敵なオリジナルキャラクターが描けるようになっているだろう。
そんなふうに自分のポテンシャルを信じることにした。
結果、締切り二週間前になっても1ページも描けていなかった。
鉛筆で下書きをした原稿用紙が積み重なっているだけだ。
本作は原稿用紙にして40ページほどの内容である。
残り二週間で仕上がるわけがない。
万事休すかと諦めかけた、その時だった。
「この、脚本部門ってなんだ?」
コンテストの募集要項には二つの部門が記載されていた。
漫画部門と脚本部門。
漫画しか眼中になかったのですっかり見落としていた。
脚本部門では映像作品や演劇になりうる作品が求められていた。
受賞作は漫画と同じ冊子に脚本が掲載されるらしい。
「もうこれしかないやろ!」
登場人物のほとんどが魚の話が映像作品や演劇に向いているわけがないのだが、一から話を練り直す猶予などもうない。
作品を埋もれさせるよりかは、思い切って世に出して玉砕したほうが幾分かマシだと当時の私は考えた。
幸いにして、すでにストーリーは完成している。
応募条件には『柱・セリフ・ト書き』で構成されているものと記載されていた。
なんのことだかよく分からないが、絵を描く必要がないのであればなんでもオーケーだ。
とにかく時間がない。文章だけでよいのであれば、今からでも間に合うかもしれない。
いや、何が何でも間に合わせる。
そう決心した私は漫画の原稿用紙を一旦封印して、パソコンを起動した。
そしてテキストエディタで思い浮かぶまま一心不乱に話を紡いでいく。
頭の中で思い描いていた世界がみるみるうちに実体を持ち始める。
ずっと絵の練習ばかりで足踏みしていた私。
くすぶりつづけることにいい加減飽きていた。
みるみるうちに原稿が仕上がる様は、愉快痛快であった。
書き終えるのに一週間もかからなかった。
結果はあえなく落選であった。
だが私は十分な手ごたえを覚えていた。
今回、初めて作品を投稿できた。
ただ投稿できただけで満足だった。
「それにしても、脚本の方がずっと早く作品が仕上がるもんなんだな」
漫画を描くには、どうしても絵の練習は避けられない。
そして私は大した画力を持ち合わせていなかった。
「絵の練習するのもしんどいしなー」
当時の私は運送屋や引っ越しの日雇いバイトで食いつなぐ、ギリギリの生活をしていた。
ボロ雑巾のようにくたびれてから、机に向かって絵の練習を続けるのは大変苦痛であった。
「そもそも、なんで漫画家になりたいと思ったんだっけ?」
それは、人生をかけて売り出したいと思った話が、たまたま漫画向けの話だったからだ。
絵を描きたくて漫画家になりたかったわけではない。
話を読ませる手段として漫画を選んだだけだった。
「じゃあ、漫画の原作を担当するかたちでもいいよな?」
とにかく、今回のように絵が描けなくて投稿を断念するような事態は二度と御免だった。
「脚本の方がたくさん作品を発表できそうだしな」
そのうえ私は文章を書くという魅力に憑りつかれ始めていた。
「書くか、脚本」
その日から私は漫画を捨てて、文筆に軸足を向ける決心を固めたのであった。
最後までご覧いただきありがとうございました。
本記事と合わせてご覧いただきたいのは、
『とりあえず一作書くべし?』という記事です。
シナリオや脚本を書き始める前にとりあえず一本作品を作るメリットをご紹介しています。
有料記事として執筆いたしたものですが、期間限定で無料で読めるようにいたします。
この機会にぜひご一読ください。
とりあえず一作書くべし?
本シリーズのコラムでは主にシナリオを制作する際のテクニックや心構えを解説する予定です。
ライター歴4年目で特に受賞歴や著作物のない私の見解を述べるだけですので、鵜呑みにしすぎず参考程度に留めていただけますと幸いです。
さて、本コラムをご覧になっているあなたはきっと自ら脚本やシナリオを書きたいと思っていることでしょう。
(または興味本位の方や同業者の方が見に来てくださっているかもしれませんね。それはそれで結構です)
職業柄、そのような方とお会いすることはままあります。
その際に私は、本シリーズで後述するシナリオセンターなどのスクールに通うのが近道だとよく申し上げています。
ですが兎にも角にも一作書いてみることから始めてはいかがでしょうか。
可能であれば本作の私のように、シナリオの書き方や脚本術を学び始める前に、とにかく一作書き切ってどこかの公募へと投稿するのをお勧めします。(たとえ結果が振るわなくても)
と申しますのも、勉強を始める前に自分自身のクセや分からないところをハッキリとさせておいた方が、学習する際には大いにためになるからです。
出来ると思って書いてみて、でも上手くいかなくて、だけどどうしたら良いかがわからなくて、なので有識者に教えを乞う。
上記のステップを踏んだほうが、断然学習に身が入ると私は思っています。少なくとも、受動的に学習を受け続けて、アウトプットを怠るよりはずっと捗るはずです。
『学びて思はざれば則ちくらし。 思ひて學ばざれば則ちあやうし』という故事があります。
わかりやすく意訳すると、『学んでいるだけで実践しなければ何も身に着かないし、学ばずに実戦経験だけ積み重ねても知識が偏るからよくないよ』という意味合いです。
脚本やシナリオを学びたいと思いつつも、お金や時間を無駄にするのではないかと躊躇しているあなたは、へたっぴでもまずは書いて形にしてみることから始めてみてください。
かくいう私の処女作も、公募の募集要項に『柱・ト書き・セリフで構成されたもの』と記述されていたのに、後で見返すとまったくセオリーに沿っていないものを提出していました。
(例えば、『○琵琶湖の湖岸、水平線に夕日が沈もうとしている。湖面がオレンジ色に染まってとてもキレイ』など。この記述がどうルールに反しているのか、もしよろしければご自身なりに考察してみてください)
なにかを一作書いた、書き上げたという手ごたえが、あなたにとってかけがえのない糧となるはずです。学びを重ねるのはそれからでも遅くはありません。むしろ学習の土台となる経験や礎が築かれている分、学習の効率が高まります。
また処女作は大作ではなく、数ページから数十ページで収まる短編や小規模な作品が望ましいと思っています。
その理由を別のコラムで後述しますので、楽しみにしていただけると幸いです。
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