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シナリオライターになるまであと3年と2カ月『2017年12月』①【エッセイ】30歳中卒男が4年がかりでシナリオライターになるまで

「またこの時期が来てしまったか……」

私は一枚の用紙を前にして、ため息をつく。
大阪の旅行会社で添乗員をしている私。
1月以降のアサイン表……平たく言うとシフト表を手にしつつ途方にくれている。
恐ろしいことに出勤日が週に三日ほどしかなかった。
忙しいのは年始だけである。
添乗員の底辺である私の給金は一日当たり約9000円。
ザッと計算すると月収12万円ほど。
これでは家計は赤字である。
いくら旅行業界の閑散期とはいえ、あんまりではなかろうか。

「生活費を切り詰めるか? かといって限界があるし……」

当時はケータイ代以外に固定費はなかった。
即刻削ることができるのは食費のみ。
普段の私の朝食は卵かけご飯とみそ汁。一食80円ほど。
昼食は添乗員のために用意されたご飯を死ぬほど腹に詰め込むか、大きなおにぎりを持っていき旅行会社のオフィスで喰らう。
先輩からは「みっともないからやめろ」と注意をうけるほどの見苦しい昼食の取り方をしていた。

「晩飯ぐらいはまともなもん食わんと体がおかしくなるしな」

仕事終わりに近所にあるラーメン屋に駆け込む。これだけが日々の生活の癒しであった。

「食費が削れないとなると、安いところに移るしか……」

六畳ほどの狭い室内をぐるりと見渡す。
備え付けのベッドと机とクローゼット。あとは持ち込んだテレビ。キッチンとトイレは共有スペースに備え付けられている。
そう、ここはシェアハウス。
元は専門学校生の寮だったという、鉄筋コンクリート5階建てのビルの中。
住民は推計80人程が存在しており、おそらく大阪で最も規模の大きなシェアハウスであった。
その金額、相部屋であれば月25000円。
ただプライバシーを確保したい私は一人部屋を利用していた。月45000円。

「ムラムラしても我慢せなあかんけど、相部屋に移り住むか? いや、でもなぁ」

現在の私は添乗員。仕事の前日には顧客の名簿を持ち帰る。
もし紛失などすれば訴訟ものである。

「ここよりも安いアパートはあるっちゃあるが……」

私はこのシェアハウスを気に入っていた。
高校を中退してから引きこもり、人口200人ほどの村で10年近く従業員数3名の職場で過ごすという浮世離れした生活を送っていた私。
このシェアハウスに住み始めてやっと、毎日一緒に顔を合わせてご飯を食べられる友達ができたのである。
もし激安アパートに引っ越してつつましやかな独り暮らしを始めたとしよう。
職場とアパートとの往復が生活のすべてとなりかねない。
やっとメンタルや情緒が安定しかけたところなのに、再び崩してしまいかねない状況に自ら追い込むことはできなかった。

「でも……ここに住み続ける価値って、今でもあるんかな?」

シェアハウスの共用スペースへと向かい、キッチンで蕎麦をゆがく。
テレビの前のテーブルに陣取り、一人で蕎麦をすすった。
周囲からは賑やかな喧騒が聞こえる。テレビの音が聞こえない程の音量だ。
だが今、私と夕食を共にする人はいない。
かつて食卓を共にした人たちは大方、このシェアハウスを去ってしまったのだ。

「ジェレミーもオラ先生もインもリミも、みんな国に帰ってもうたしな」

このシェアハウスの住人は日本人と外国人が半々の人数で構成されている。
そして外国人の住人は大抵ワーキングホリデービザを取得して日本に滞在している。
つまり長くて1年程しか滞在が出来ない。
私がこのシェアハウスに住み始めて、約2年間。
すでに親しくなった友人との別れを幾度となくくり返していた。

「また誰かとイチから関係を築くのもめんどいし……」

箸をおき、ポカンと周囲を見渡す。
昔は専門学校の寮だっただけに、だだっ広い食堂。おそらく40畳ほど。
今この場所で寛ぐ住人はおよそ20人程。そして私は一人で蕎麦を食べている。
さながら離れ小島。小学生のときに一人で給食を食べたときの気分に似たものを感じていた。

「もうそろそろ潮時かな……」

実は父からまた家業を手伝うようオファーをもらっていた。
地元では有名な古刹の改修工事である。
工期はとぎれとぎれではありつつも約2年間。
実入りも非常に良い。数十万、もしかしたら百万円以上の貯えを作ることも可能。
シナリオライターになるべく勉強を始めた私。
基礎クラスの卒業を目前に控えてはいるものの、その後すぐに希望の職にありつけるとはとても思えない。
まだ2,3年は修行に時間を費やし、チャンスをつかみ取る必要がある。
その間、現在のようにギリギリの生活を維持して暮らすことなどできるのか?
暮らす必要などあるのか?
すでにシナリオの執筆に情熱を傾けていた私。
今後とも、シナリオライターになるための修業に勤しむには、余計な負担を極力除くべきだ。
時間・お金・気力、すべてのリソースを修行に費やした方がよい。
たとえそこまでしたとしても、シナリオライターになれるとは限らないのだから。
最大限の努力をすべきだ。
赤貧に喘いでいるこの状況こそが、夢へと向かう私の足を引っ張っている。
最早実家に出戻るのが最適解としか思えなかった。

(それに実家からシナセンへは電車一本で通えるしな。片道2000円はかかるけど)

また、現在通学している基礎科を終えれば研修科というクラスへと移行する。
研修科では座学はない。代わりに課題が与えられ、作品を完成させるたびにクラス内で発表し、講師とクラスメイトから意見をもらう。
そして課題をこなすペースは各人に委ねられている。
つまり毎週通学する必要がなくなるのだ。
仮に月に二回のペースで通学すれば、授業料と合わせて月々の出費は20000円程。
実家に出戻れば浮いた家賃の分で十分にまかなうことができる。それどころかお釣りがくる。
そのうえ家業の仕事の工期は2年間である。工事を終わるころには十分にシナリオライターとしての実力をつけた頃であろう。何かしらの賞を受賞しているかもしれないし、念願のゲーム会社への就職が叶うかもしれない。
まさにこのオファーは渡りに船である。やはり断る選択はなかった。

「でもなぁ~」

だが家出同然で大阪へと出てきた身。
住まいを引き払ったうえで両親に頭を下げて、実家にパラサイトするのはとても勇気のいること……。
ある種、清水の舞台から飛び降りるほどの度胸がなければできないことであった。

「なにを悩んでんの?」

妙齢の女性が声をかけてくる。
仕事の同僚であるNさんであった。
ここは旅行会社のオフィス内にある清算窓口前のソファー。
実家に帰るべきか帰らざるべきかを悩んでいるうちに夜を明かし、いやいや職場へと来て添乗に使った現金を数えていた。

「悩みがあるなら話してみ。聞いたるさかい」

Nさんは年上ではありつつも、私と一緒に研修を受けた同期であった。
頼りがいのある姉のような存在でありつつも、同期としてお互いに仕事をサポートし合い、ある種特別な信頼関係性を築いていた。
そのうえ性格はチャキチャキとしていて、それでいて背が低く、それなりの美人で……実は密かにもっと親密な関係になれないかなと期待してもいる。

(「話して」か……でもNさんに心配かけるのもなんやしな)

添乗員の仕事をハードだと感じているのは私だけではなかった。
Nさんも常々「辞めたい辞めたい」とぼやいていた。
そもそも他にも同期は数人いたが、今でも仕事を続けているのは私と中岡さんの2人だけだ。
毎年20人は新たに入社するものの1人か2人しか生き残れない。そんな過酷な職場でも生き残ってきた私たち。
私が「この仕事を辞めようかと思っている」と言えば、どんな風に思うだろう。
ガッカリするだろうか……自分も辞めたいと改めて思うだろうか。

(……待てよ)

下心がムクムクと湧き上がる。
ここで「辞めようかな」と私が言えば、きっと心配してくれるに違いない。
だって今もこうして悩みを聞いてくれようとしてくれているのだから。
「辞めんとき」「一緒に頑張っていこう」「またいつでも悩みを聞いたげるさかい」などと優しい言葉をかけてもらえるかも……。
それはそれでありな気がしてきた。
「辞める」とハッキリと宣言するわけではない。
あくまでも「辞めようかな」と言うだけだ。
気を引く程度に、さりげなく……。
そんな打算をしつつ、暗い面持ちのままポツリと呟く。

「実はここを辞めようと思っていて……」

そして私はチラリとNさんの表情を伺う。
さあ、反応はいかに……。
心配そうに眉根を寄せて、身を乗り出してくれたなら成功だ。
そう思っていたのだが……。

「ほんま~! あんたも? 実は私も辞めようと思ってたんや~」
「……ふぇ?」

青空のように晴れ晴れとした表情で語る彼女。
面食らった私は、思わず素っ頓狂なうめき声を漏らしてしまう。

「やっぱ私には合わんと思っててね。昔の職場に戻ろうと思うんよ。あんたも一緒に辞めるとか、すっごい偶然やな~」

まっすぐにこちらの目を見つめてハキハキと語っている。発言に迷いがない。彼女は本気だ。

「待って待って。辞めるっていつ? もしかして今年いっぱい?」
「ううん。再来月。だって、二月って全然稼げへんやん、この仕事って。だからやってけへんな~って思って」
「そ、そうやね。俺も同じこと考えてたけど……」
「せやろ~。で、あんたはいつなん? 私と同じ時期に辞めるの?」
「俺は年末には辞めようかと思ってたんやけど……」
「うわー、あと一カ月か! 寂しくなるな~。でもそれやったら早よ辞めるって会社の人に言わんと。私ら正社員じゃないけど、一カ月前に辞めるって言うのでも遅いぐらいやと思うで?」
「せ、せやね……」
「じゃあもう今日にでも辞めるって言うき。善は急げっていうしな」
「あの、Nさん……」
「ん? なにぃ?」
「いや……お互いに頑張ろうな」
「うん! ありがとう! あんたもしっかり頑張るんやで! なにするか知らんけど」

……愛着のあるシェアハウス、職場。かけがえのない居場所。
だと思っていたが、なんだかもうどうでもよくなってきた。
仕事を辞め、シェアハウスを引き払い、実家へと出戻る決断。
清水の舞台から飛び降りる勇気を、なんとNさんが振り絞らさせてくれた。
いや、舞台から背中を押されて突き落とされたような気分だが。
何はともあれ、最早今の居場所に固執する意義を失った。
平たく言うと、もう未練などない。
私は大阪を離れる決心をした。

※最後までご覧いただきありがとうございました。

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