科挙 中国の試験地獄 宮崎市定著 中公新書(1963年5月発行)
なんだったか忘れましたが、本書が話題にあげられていて、評判がよかったので、読みたいと思って探していました。古い本ですが、この新書版も文庫版もまだまだAmazonで手に入りそうです。
ただ古い本だけに、実際に手に取って読みやすいかどうか確認したくて、書店や古書店でずうっと探していたのですが、今回無事に全国チェーンの古書店で見つけることができたので購入です。
「科挙」というのは、隋から清にいたるまで途切れることなく続けられた官吏登用試験のことです。1400年間も続けられているので、時代ごとにその方法は変わっているのですが、本書では清朝末期(19世紀後半ごろ)が取り上げられています。
さらに、特徴的だなと思うのが、科挙というものを王朝支配者視点ではなく、試験の種別(恐ろしく多い段階があるのですが)ごとに、受験者の視点から説明してくれていることです。それぞれの段階において、どんな問題が出され、どのような段取りで試験が進められていくのか。それにむけて受験者はもちろん、その家族や故郷の人々は何をしていくのか、などが語られます。
さらに、単なる説明にとどまらず「試験会場で幽霊に出会う」などのエピソードも豊富で、気軽とまでは言いませんが楽しく読み進めることができます。
もちろん、紹介だけにとどまらず、科挙制度に対する著者の考察も本書の前後に挟まれています。特に最終章にあたる「科挙に対する評価」は、科挙に対する批判だけではなく、科挙が必要とされていた理由、その優れた点にまできちんと言及され、何度も読み返したくなる名解説となっています。
それにしても日本史の歴史学者の著書を読んだり講演を聞いていると、中国から律令を導入しながら科挙については「残念ながら」導入していない、というニュアンスがしばしば出てきます。
科挙を導入さえすれば、優秀な官僚が次々とうまれ、日本はもっとよくなった、と言いたいのでしょうか。その際に対照的に挙げられるのは貴族や武士階級による「世襲」への批判です。
同時に世襲といういわば安定した地位の約束によって、日本では傑物が生まれにくい、競争社会になれず他の国より遅れを取った、と(言外にではありますが)話が続いていきます。
それの何が悪いのかが、自分にはよくわかりません。それでも日本は今まで一度も滅びることなく続いているではありませんか。独自の文化を築き、その一部は世界からも称賛されているではありませんか。
ここは「それでもなぜ日本は存続できたか」という視点で解析してもらいたいのですが、残念ながらそういった論に出会ったことはありません。
科挙について素人ながら個人的な見解としては政治の中枢を「文官」によって占められた、という点が唯一の利点だと本書を読んで感じました。貴族でもなく、武官でもない人たちが国を支えていたからこそ、中国については王朝が激しく入れ替わっても「国」が中央集権として続いてきたんだろうなと思います。
一方の日本では鎌倉時代以降、国の中枢を常に武官(武士)が占めてきました。さらに、「国」ではなく「家」を中心に政治が進められるという、中央集権のようでいて実は合議制であったからこそ、「国」が長く続いてきたのかもしれません。
科挙というお隣の国の試験制度を通じていろいろと考えさせられた一冊でした。もう一度、読み返したいと思わせてくれる本でした。