人間を苛むものの正体
どうも。
Kabaddiです。
今日のこと。
電車を降りて、ホームをぼけっと歩いていたらサラリーマン風の男性の靴のかかとを踏んでしまい、彼は靴が半分脱げた状態になってしまいました。
特に振り返ることも怒りを告げられることもなく、何事もなかったかのように靴をとんとん、と履き直して彼は歩いて行ってしまいました。
トラブルにならなくてよかった…と胸をなでおろしつつ、こちらも歩みを再開して、数メートル歩いた時。
こころに何か、ちくっと、溜まるというか、澱のようなものが漂っているのを感じました。
一度人の流れの邪魔にならないところで立ち止まり、冷静になって考えてみました。
こころを苛んだものの正体。
「謝り忘れ」
です。
トラブルにならなかった、相手は怒っていなかった、謝罪を求められなかった、そもそも謝っても届かなかった、、
いろんな言い訳はできますが、
謝らなければならないことがあった時に謝らなかった、
という事実だけが真実であり、起こったことの本質です。
真実や本質を避けて通って、道理が通るわけがありません。
人間のこころはそんなときに小さなストレスを溜め込んでしまうんです。
これ、ベクトルが逆でも同じです。
「ありがとうの言い忘れ」
これもこころに小さなダメージを蓄積させます。
謝るべき時に謝る、ありがとうと言うべきときにありがとうと言う。
ただの道徳ではありません。
形式的にでもいいんです。もはや。
すべきときにすべきことをしない、ということをやめることが、こころをひとつ、健康な場所に置いておく秘訣なんではないか。
目の前を通り過ぎる、たくさんのヒトの群れをみながらそんなことを思い、改札に向かってまた、歩き出しました。
今夜はこの辺で。
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