東京パラリンピック聖火ランナーに選ばれた思い出
こんにちわ、実は3年前ですが、Lixilという会社でパラリンピックの聖火ランナーを募集していたことがあり、その時我が家の重度知的障害児ありちゃんの事についての作文を書いて応募したところ、なんと東京の立川市の代表に選ばれたことがありました。最初向こうから『あなたが選ばれました』電話とメールが来た時は猜疑心の強い私は、またなんかの詐欺かイカサマかと疑いの方が先に出てにわかに選ばれた事実を信じられず、まじか?と思いましたが、その後本当に選ばれたのが分かりとても嬉しかったです。結局コロナの余波もあり、公道を走ることが出来ず、立川市のとあるマンション建設地で50mだけトーチを持って走る事になりましたが、当日は聖火ランナーよりボランティアの人の数が多く、ランナー一人に対して必ず一人伴走者がついて走りました。なんかSPの人が自分についてるみたいで嬉しかったなあ
当日は待合会場で自分に合ったサイズのユニフォームを無料でもらい、聖火トーチはなんと7万かな?記念になるかなと思い自腹で購入しました。
ちなみにこちらが私が走ってる様子。最近私がNHKかなんかのオフィシャルのページに自分が出てるのを発見したので、自分が出てるところだけ切り取ってみた。。。
今思うと楽しい思い出だった。。。。いままで挑戦はしてみるものの何かを成し遂げたことがなかった平凡な私の人生に一筋の光が差した瞬間だった。ちなみに最終ランナーの若い男の子は自閉症を患っていてお父様と会場にいらしたのが印象的だった。実はパラリンピックの聖火ランナーの方は(半分くらいの聖火ランナーは実はスポンサー企業から派遣された健常者)だったが、半分くらいの聖火ランナーはそれぞれ大変な境遇を抱えた人たちだった。そういう人たちには私も含めこれからの人生頑張って生きてってほしいというエールを送りたい。
その後控え室に帰った後は、NHKインタビューを受けたが、後でアーカイブ見たら発達障害者あるあるの支離滅裂なインタビューになっていたのでとても恥ずかしかった。
でも3年経って振り返ってみるとそれも含めて全部とても良い思い出だったなと思います。これもひとえに我が家の重度知的障害児のおかげなので彼女には感謝しなくてはならない。でも3年経ってまた毎日代わり映えのしない日々に更年期が重なり毎日体のあちこちが痛い私はまた、なんか面白いことないかな?と毎日面白いことの種を探す日々を送るのでした(笑)