サヨウナラ としまえん
8/31で、としまえんが閉園してしまったー。
さみしくなります。
開園は大正15年なんですってね!
94年も愛され続けるなんて、並大抵のことじゃないよね。
この8月、暑かったけれども、コロナだけれども、我が家は家族それぞれ行って参りましたよ。
わたしは、高1の次女と2人で1度、あとは家族で週末の花火を観にもう1度行ってきました。浪人中の長女も、久しぶりに高校の友達と満喫したようです。
うちは年間パスの木馬会員ではなかったし、年に1、2度行くくらいだったけれど、親しみやすくって子どもたちが小さな頃からお世話になりました。
だって、安い・近い・(待ち時間が)短い!の三拍子揃った素敵な国でしたもん。
手軽に周れるサイズ感も、子連れにはちょうど良かったものです。
としまえんにはネズミの代わりに、お馬のエルちゃんとこぶたのカルちゃんという、「カルーセル エルドラド」の化身キャラがいました。
エルドラドは、世界最古?といわれるクラシックなメリーゴーランド。
小さなころ、娘たちはどこに乗ろうか熟考していましたっけ。
お姫さま気分で馬車もいいし、めずらしいからぶたさんにも乗りたいし。
お馬はけっこう背が高いのよね。横でこわごわ手を添えて乗ったことも。
うん、最後はやはりエルドラドは外せないよね!と思っていましたが、いつもならそう待たずに乗れるエルドラドも、今夏は十重二十重に囲む列が。
でも暑さと戦いつつ、記念に乗ってきました。
内装も美しく、音楽も優雅だったエルドラド。
最後のライドは娘とお馬に決めました。
幼いころ娘が、「ぶたー、来たよ!」とか、「ぶた、またね!」とか、ぶたぶた呼び捨てにするのが可笑しかった、ぶたのカルちゃんはこちら。
カルちゃん。けっこうリアル。
改めて見るとあんた、こんなに舌をベロベロ出しながら100年近くもたくさんの人を乗せてがんばっていたんだね〜。ありがとう!
としまえんでの思い出は、おもちゃの宝石みたいにキラキラした楽しいものばかりです。
たとえば、わたしが初めて子どもだけで遠出をした先がとしまえんでした。
中学1年のとき、クラスの女の子3人で電車とバスを乗り継いで、ドキドキしながら出かけました。みんなでおそろいのイヤリングとか買っちゃったりしてね。
なんて楽しいんだろう!って、夕方になるのが惜しかった。
乗り物でいちばん好きだったのは、ハイジのブランコみたいな「ウェーブシンガー」。空まで届きそうな長ーいブランコがぐるぐる回ります。頼りない奥ゆかしい安全バーだから、どっか遠くまで飛んでっちゃいそうでこわいんだけど、風を受けてぶんぶん振り回されると、爽快でおもしろくて笑っちゃうの。
あれは幸せな夢の世界の乗り物だったなぁ。
そうだ、あの舌にくっつく粒々アイスも、初めて食べたのがとしまえんだった。
あれもまた夢の世界の食べ物だったな。
友だち家族と出かけたり、プールで遊んでいたら豪雨が降ってきたり。
受験前の息子が、1日だけの冬休みにリクエストしたのも、ここでした。
子どもたちとの思い出も尽きないとしまえんですが、「アフリカ館」を共有できなかったのだけが残念。
98年に解体されてしまった「アフリカ館」は、ジープに乗ってアフリカ旅行をするというその奇抜なテーマとチャチめな内装で、ある意味ジャングルクルーズを 上回るアトラクションでした。
強烈なインパクトと妙なスリルががクセになって、行けば必ず乗っていたのに。
最後にマネキンのキャビンアテンダント(当時はスッチー)のお姉さんが「サヨウナラ、サヨウナラ」と棒読みで挨拶してくれるのも、たまらなく好きでした。
としまえんは、思い出を貯めておくオルゴール箱みたいだったな。
子どもだったわたしが家族で遊びに来ていた遊園地に、今度は自分の子どもたちと行くようになって、これからも当たり前のように思い出が増えていくと思ってたのに。
ずっとあると思っていた場所がなくなるなんて、悲しいね。
「かなしい。どうしてとしまえんがなくならなくちゃいけないわけ?わたしハリポタパークになっても絶対に行かない!」とべそをかく次女。
「いや、むしろ行こうよ。としまえんTシャツとタオル装着して乗り込もうよ!」と入れ知恵する長女。
「都知事になって、復活させようかな・・・」
「まずは大金を稼いで・・・」
などとも申しておりますよ。
淋しいね。
淋しいけど、こうしてときどき語り合って行こうね。
楽しかった思い出はなくならないんだから。
思い出たくさんありがとうね、としまえん。
サヨウナラ、サヨウナラ。