ダンスは上手く踊れない
年の瀬の大掃除のとき、父はいつもラジオを付けていた。
時節柄ヒット曲を振り返る番組が多かったせいか、だいたい歌謡曲が流れてた。几帳面な父の部屋は、はなっからきちんと片付いているのに、父はそこにさらに手を入れて、丁寧にはたきをかけてみたり、本棚や引き出しの整理をしたりと、更なるきちんとさの高みを目指すことに余念がなかった。
置くべきところに必要なものが置かれ、守られた規律が清々しい静謐を生む。
そんな父の部屋が私は好きだった。
きちんとさは、正しい。それはなんらかの正解に違いない。
正解は安心する。正解は無敵だ。
「窓拭きを手伝ってくれないか?」
父に頼まれると、私は誇らしかった。
世界を正しい方向に導く工程に加担しているような気持ちになれたから。
窓は、暖かい部屋の内側から拭く係と、寒いベランダ側から拭く係に分かれて磨く。
父は優しいから、必ず自分がベランダに出ると言ってくれた。
だけど私はそれが切なくて忍びなくて、急いでジャンパーを羽織ると「いいからいいから!」と明るく言って、率先して元気いっぱい窓の外に出た。
記憶の中の師走のベランダは、いつも曇っていて重苦しいグレーだ。
わびしくて寒くて物悲しい、冴えない灰色世界。
でも、そこに自分を置くのと引き換えにしても、ガラス向こうの暖かくてきちんとした部屋にいる父を見たかった
安心したかったんだよ私は。父に無敵でいてほしかった。
「寒かったろう、ひと休みしてココアでも飲もうか」
そういう父はやっぱり優しくて、ラジオからは「ダンスは上手く踊れない」が流れていた。
媚びたような大人の歌はちっともおもしろくなかったけれど、大掃除のかたわらにこたつで暖をとりながら、粉の溶け残ったココアを父と笑い合って飲むBGMとしては、意外としっくりきた。
優しい父には、一点だけ非の打ちどころがあった。
まじめできちんとした人なのに、ときどき競馬に大金を注ぎ込んでしまうのだ。
12月は有馬記念があったから。
あれって、どうしてクリスマスの前にやるんだろ?
せめて後にしてほしかったな。
クリスマスはだいたいお金がなかった。
ボーナスを使い果たして、ケーキもプレゼントも楽しい食事の計画も、全部自分でにぎり潰しておきながら、父は世にもしおらしく打ちひしがれて、激しく反省し、悲しげだった。
呆れて家出と称してこっそり叔母の家に行こうとした母と弟に、私はついていかないと告げると、母はびっくりしたように片眉をあげてから「勝手にしなさい」と言った。
意外と怒ってはいなかった。そっと3千円手渡された。
本棚を整理して大事な本を売りに行った帰り道。二束三文の売値に落胆している父に、私はうどんをご馳走した。
美味しいねえと父が笑う。うんって私は答える。
上手く踊れない父は全然正解なんかじゃなくて、弱くてカッコ悪くて情けなかったけれど、私はうんって強くうなずいた。
あの暮れの思い出は、いびつなスノードームみたいに、今でもガラス越しの暖かい部屋に閉じ込めてある。