証明写真はやっぱりブス
どうして証明写真は4割増しにブスに撮られるのだろう。
最近,免許の更新だなんだで2回撮る(正直に言うと,1回目撮った時にあまりの悲惨さに取り直した)機会があり,スーパーの入口にある証明写真ボックスと市役所のそれで撮った。
いやぁ,やっぱりあかん。
なんでだろう,いや,分かる,分かるんだ。原本以上にはならないことくらい。でもやっぱり証明するための写真だから,ちょっと…ちょっとはいい感じに撮られたいじゃないですか。せめて実物とトントンでいたいじゃないですか。
今回分かったのは,証明写真の機械には2種類あって,撮られる瞬間まで画面で顔を確認できるプリクラタイプものと,カメラの前でどんな顔をしているか確認できず,数枚撮ったのち「(写真を)どれにする?」って聞いてくるブラックボックスタイプがあること。
断然プリクラタイプがいいわ。
というか,証明写真ってどうやって写ればいいの?笑っちゃだめなんでしょ?そしたら,擬態語でいうと「ふへ」みたいなパッとしない顔の私は,「ぬん」な間抜け顔になる。
職業柄,毎年個人写真を撮られ,多くの人の目に触れている。カメラの前で笑えない私は,この季節,ひっそり洗面所の鏡でにこやかな顔の練習をするのです。それでもうまく笑えない(こういう歌詞あったな)
自分の容姿について,過剰に嫌悪することはないけれど,落ち込むことはある。社会人も8年やっていると,「顔がいい」ことのアドバンテージは確かにあると感じてきた。周囲に「大切にされる」し空間に「なじむ」のだ。
どんな顔が大切にされるかというと,大層な見返りを求めないのであれば,特別美人であったり,きゅるるん♡な可愛さである必要はなくて,単純に「肌が明るい」「目が起きている」「清潔そう」「無害そう」「会話ができそう」な顔だと思う。
自分をどう見られているかは分からないし,
どう見られているかに固執することは疲れるし,何より心が疲弊する。
今の職場で働きづらいとか,容姿でからかわれるとか,そういうことはなく,働き方も認められて楽しくやっているけど,
証明写真を撮る度に,職場での「顔がつくる自分の立ち位置」に自信がなくなる。パッとしないな~,あか抜けないな~。そんな「顔が微妙」な私,働きぶりや成果まで微妙に見えていたらいやだな。
なんてことを思い,柄になく,赤文字系ファッション誌(MORE)を買ってみました。シースルーバングで春色のリップの石原さとみが,ちょっと首傾げて写る表紙のMOREを!参考に!なればって!
でも途中まで読んで,MOREは20代OLをターゲットにしているんだって知った~!今年30歳になった私,アウト~。ここで露見する無知~!
いいさ,時に,勇んで飛び込んだ挑戦というのは,意外とあっけなく終わったり,そんなもんかという呆気なさや羞恥とともにある。そういうこと,結構経験してきたから大丈夫。くじけない。
そう。MOREを買った私の行動は褒めていこう。だって,MOREだし。
新型コロナウイルスが落ち着いたら,洋服とか化粧品とか,買いに行こう。自分,アゲてこう。