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私なりに考える、ひらめきの見つけ方と視野の広げ方

この記事はDesign Matters Tokyo Eve Meetupのために作成したLT資料の日本語版、兼、完全版です。

デザイン = 理解+咀嚼+可視化

これは私が日本語圏以外で仕事やデザインをしてみたことによって強く感じたことですが、プロダクトデザインやコミュニケーションデザインにおいてはまず間違いなくそれを提供する対象となる人がおり、その人に理解してもらうことで初めて心が動かされるプロダクトなりコミュニケーションが発生します。

ですからいいデザイン、いいクリエイティブのためには、

その人たちが何を考え、何に失望し、何を期待しているのかを知る、

という行為が欠かせません。

そして、それらは人々がどんな政治のもとで、どんな教育を受けて、どんな生活をしてきたか、どんな人に囲まれてきたかによって全く異なってきます。人種や世代によって違うことはイメージしやすいですが、その違いがマイノリティに属するものなのかそれともマジョリティに属するものなのかはその人が暮らしてきたコミュニティーによっても全く異なります。

インクルーシブデザインが叫ばれるようになって数年が経ちますが、そういう思考を取り入れるためにどうしたらいいのか、どうしたらもっと多くの人のことを考えてクリエイティブな思考を加速させられるのか。

そのきっかけは「好奇心」にあると考えています。

ある日突然その考えをひらめいたきっかけは「とにかくいろんな人と会って話してみる」というところに転がっていました。

私の体験に基づく、ひらめきを得るまでのプロセス

どうしたら自分の心のどん詰まりを克服できるか、についてのアイデア

私は日本生まれ日本育ちで両親どころか曽祖母の代から純日本人ですが、90%くらいの人が私のことを外国人と勘違いするような見た目や立居振る舞いをしているようで、日本人だと最初に気がついてもらえることは昔からかなりまれでした。

そしてさらに、カナダでの約4年にわたる経験が私を日本人どころか全然違う、どことなくカナダっぽい何かの人種に近づけてしまったのでした。

よく「日本人なんだから日本楽しいに決まってんじゃーん」という人がいますが、私は前述の理由から日本にいる時点で既に外見、名前、性格、バックグラウンドを理由にいじめやハラスメント、痴漢などを何度となく経験しており、カナダに行く直前のメンタルは最悪で日本マジ無理!!!!という感じでした。

そういった背景から、カナダのビザが切れるために日本に帰らないといけないと分かった時の自分はもうメンタルが破壊されるレベルで毎日わんわん泣いていたし、2022年の東京での仕事開始後も、ありとあらゆる日本人に会っても安心するどころか阻害されているという気持ちになってしまい、日本の食事、生活、コミュニケーションスタイルに全く順応できず、それによる不安が体力の劇的な低下、集中力の減退、ひいてはフィジカルに怪我や体調不良、うつ状態を招いてしまっていました。それまでこなせていた仕事の能率も劇的に落ちたまま仕事を続けていたせいで、特に体調を完全に崩していた2022年後半の記憶はほぼなく、もはやカナダに帰ることが生活のモチベーションとなっていたほどでした。

それがリバースカルチャーショックだと分かったのはカナダから帰国して約1年を回る頃。悶々とする気持ちをひたすら言語化してググってみた時でした。

リバースカルチャーショックってなんですか

外国に留学なり移住した時に、自分の期待と大きく異なる文化に圧倒されてカルチャーショックを受けることや、それによりホームシックに陥ることがありますよね。

海外経験者はお気づきかもしれませんが、あれと逆の現象は母国に帰っても起こるもので、そういうものは逆ホームシック、だと思っていたのですが、そうではなくリバースカルチャーショックという名前がついています。

つまり、カルチャーショック同様にリバースカルチャーショックも時が経てば自分がそこに慣れていくようになり次第に薄れていくものなのですが、私の場合はそれが結構酷く、フィジカルもメンタルもやられながらヒイヒイいいつつ働く状態が約1年ほど続きました。今もたまにその残骸で苦しめられていたりします。

その辺のざっくりした振り返りはこちらの記事をどうぞ。


とりあえず違う視点を得たいと思った

ところで、私にはコロナ以前に知り合ったカナダ人の友人(東京在住)がおり、その友人にあったことで日本に対する見方が少し変わった。という体験がありました。

その方との出会いは2020年のコロナ真っ只中、まだ隔離期間があって、ビザのアプデがうまくいかず泣く泣く帰ってきた時のこと。(その時も帰国してからひどい鬱状態に陥ってしまっていたのですが、、)
その当時、私のイメージする日本は

「文化的には美しいものが多いし、そのおかげで日本を愛してくれる外国人も沢山いる。けど、カオスで、空気を読み礼節を弁えることを要求され、女性やマイノリティーに異様に手厳しくてみんな内輪ノリで、、、」

というなんとも響きのよろしくない感じでしたが、その友人は

「平和で、世界でも有数の都会で、多分世界一デカい都会で、どこ行っても綺麗で、ちょっといけば自然もあって、もちろんいろんなところから人が来てるのに超治安良くて。最高じゃん。保険だってあるし。もちろんペーパーワークばっかだし英語圏出身だからっていう理由で絶対に翻訳要員とか外国人とのコミュニケーション要員として日本人に利用されるからそれは嫌だけど(笑)」

という、その当時の自分にはあまりイメージのなかった目から鱗な視点をくれたのでした。

その記憶があったおかげで、「もしかしたら人と会うことが突破口になるかもしれない」というある種のひらめきが生まれ、そのひらめきを頼りに見つけたBumble BFFというアプリを通じて外国人の友達を作るという体験をすることにしたのでした。

そこで人に会うようになって気がついたのが、日本に住む外国人の多くはものすごくオープンで気さくだということ。そのおかげか一人の友人と知り合うことで「友人が友人を紹介してそのつながりでSNSアカウントを交換したり仲良くなる」という機会が異様なほどに増え、現在ではたぶん1年で100人以上(!私には非常に珍しい)アカウントフォローをし合う友人が増えました。

自己肯定する方法はいろいろあるんだ、という気づき

さらに、自分(や相手)を肯定していく姿勢という、日本人がなかなか持ちづらいとされているものを彼らがいつも持っていた、もしくは持とうとする努力をしていたこと、また、それがナチュラルに生まれるわけではなく、不安と戦いながらそういう自己肯定感を勝ち取ってきた人、いまだにそれと葛藤してる人もいる、ということを、多種多様な人との会話を通して知ることができたのでした。

その人たちに共通していたのは、自分がどういう状態であってもまずは肯定すること。
例えば、英語で話すと、

- How are you?
- Good / Excellent / Not bad / Okay

というように、通常であればポジティブ、もしくは全面的な否定をしないワードで何かが帰ってきますが、そういうマインドセットは会話の中だけでなく生活全体に存在していて、それによって脆弱になっているものもある一方で、肯定が肯定を呼ぶようなポジティブの連鎖があることに気がつくこともできました。

この肯定というアクションは日本だと文化的な問題からかとても難しく感じていたことですが、肯定することの大切さに気がついて自分でも人に実践するようになってから、不思議と人だけでなく自分のことも好きになれたのです。不思議なものです。

ちなみによく日本でHow are you?と聞かれた時にI'm fine とか、So-So、Sleepy、Tiredなどと返してしまうケースがあります(私もやってました汗)が、あれは多分人に心配をかけてしまうのと文脈的に若干違うのであまり好まれません…

現時点で今まで話せてきた人の国籍や職種を挙げるとキリがないほどですが、そういった人たちのポジティブさや、逆境を乗り越えて最前線で活躍するポテンシャルに影響を受け、それが今デザイナーとして仕事して生きているアイデアだったり、自分を好きだなと思える気持ちの源泉になっていることは言うまでもありません。

参考までに、
人種…
アメリカ🇺🇸、フランス🇫🇷、カナダ🇨🇦、ドイツ🇩🇪、イギリス🇬🇧、スペイン🇪🇸、デンマーク🇩🇰、オーストリア🇦🇹、インドネシア🇮🇩、インド🇮🇳、シンガポール🇸🇬、中国🇨🇳、カタール🇶🇦、台湾🇹🇼、タイ🇹🇭、韓国🇰🇷、メキシコ🇲🇽、シリア🇸🇾、オーストラリア🇦🇺、ドミニカ共和国🇩🇴、キューバ🇨🇺、、多分他にもいるけど思い出せない

職種…
ITデザイナー、エンジニア、大学教授、中学・高校の先生、カメラマン、アーティスト、建築家、専業主婦、英語の先生、大学生、洋服のテーラー、バーテンダー、シェフ、グラフィックデザイナー、ミュージシャン、研究者、コンサルタント、エステティシャン、、

これらの友人のおかげで、日本でマイノリティーとして生きていくことの難しさと同時にここでしか出会って味わうことのできないコラボレーティブなカルチャーとエネルギーがあることを体感することができ、その発見によって私のリバースカルチャーショックが徐々に解消されていきました。

個人的な見解として、日本語だけで暮らす日本社会とバイリンガル環境、もしくは英語環境で暮らす日本社会には相当な違いというか隔たりがあり、かつ、人口の90%以上が日本生まれ日本育ちの日本人の中にいると、その現実は非常に実感しずらいものがあります。

日本語しか話せない、もしくは英語しか話せない状態というのは宇宙人と話している感覚にも近いものかもしれません。自分が人生で初めて外国人と呼ばれる人と話したときは少なくともそんな気持ちでした。

でも、両者の壁が取り払えたと思い始めた時、どうしたらデザインにおいてより誰にでも優しくてオープンな社会やそれを形成するためのプロダクトなりビジネスを考えることができるか、を考えられるようになったのです。

アイデアの発見は未知の領域との出会いから

そういったわけで、話は長くなりましたが、無数の「自分が知らなかった何かを知っていく」という体験のひとつひとつが点と点とでつながり、最終的に何か新しいアイデアになるんだ、という気づきを得たのでした。

アイデアを得たいと思った時、方法はいくつもありますが、私はあえて

「人と会うこと、自分が全然知らない場所や世界を見てみること」

をおすすめしたいなと思います。

なぜなら、アイデアは未知の領域を開拓し、新しい知を得て、自分の持つ知識と統合していく過程で見つけられるものだから。
とりあえず、なんでもいいので自分の趣味になりそうなことから始めてみるのが一番手っ取り早いかもしれません。

コーヒー豆にこだわる(ためにコーヒースタンドに足繁く通う)、違う料理にチャレンジする、読書会に参加する、美食の集いに行く、行きつけのレストランを見つける、サイクリングやハイキング、、とにかくなんでもOKなので、自分のやったことないことに挑戦すると良いと思います

人との会話を推奨するのは、会話が最も五感を使うものだから。例えば話し声の抑揚、話している時の表情、その周りで見えている風景やその周囲の匂い。会話の間で触ったテーブルや食器、洋服、自分や人の肌の感触。それはインターネットなり文章で情報を得る以上の膨大な情報量になり、それぞれは記憶として定着してゆきます。

(下記記事においても、感覚を介して脳が快・不快を記憶した情報は、繰り返し覚えた情報より強く記憶される、とあります)
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/3875?page=2

人に会うということ、特に自分が会ったことない人に会うというのはもしかしたら気がひける作業かもしれません。
でも「私がそうだったから」、そのアクションを起こすことによって自分の中の何かを変えることができると信じています。

それは短期決戦ではない長い旅になるかもしれません。
例えば言語が違う同士で理解していくためには途方もなく長いプロセスを必要とすることもあります。そうじゃなくても、心を開くまでのプロセスは多様で、その間には「何かに対しての自分の意見を述べる」ために、自分自身を知るプロセスが必要になることもあります。
そんなときに無理して変な人と会話すると、帰ってトラウマになるようなフィードバックをもらってしまって再起に時間がかかってしまう、なんてこともあるかもしれません。自分自身を知るきっかけも結局会話から生まれることがあるので、やはり会話は大事ですが。

ですから過度に無理をする必要はなく、できることからちょっとずつ始めればいいと思います。例えば、コミュニケーションが不安だから誰かに話しかけるより先に英語の勉強がしたい、とか。それも時間やお金が理由で無理かもしれないからとりあえず自分が見たことのない本やビデオを見てみよう、とか。そういうのは全然アリだと思います。

そういう小さなことからの出発でも、続けていくことで後から何か大きなものが積み上がっていることに気がつくのではないかと思うのです。

最後に。私の好きな小説家で批評家であるスーザン・ソンタグの大好きな一説を引用してこの記事を閉じたいと思います。

動き回ってください。旅をすること。
しばらくのあいだ、よその国に住むこと。
けっして旅することをやめないこと。
もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。

Keep moving, travel a lot. Live in another country for a while. Never stop your journey. If you can't go far, immerse yourself in a place where you can break free from yourself. Even though time disappears, places will always be there. Places will make up for lost time.

傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。
そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。

Focus and carefully listen to it. Paying your attention is the heart of everything. Incorporate as much as possible what is in front of you into yourself. Do not narrow your life by succumbing to the burden of obligations imposed on you. Attention is vitality. It's a thing that connects you to others.

『良心の領界』- スーザン・ソンタグ著、小幡和枝訳、NTT出版 (2004/3/1)


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