子育ての自由化とは
どうも、ギリギリ三日坊主の壁を越えた私です。
読んでくださるあなたの顔が浮かびます。
ありがとうございます!
さてさて、
子育て自由化計画ってタイトルつけて
このnoteを綴り始めまして、
親とか他人とか関係なく
みんなで自由に子育てしたらよくね?
縄文時代みたいにさー。
ってことを言ってる変な奴が私なんですが、
自由って言葉をはき違えたらあかんよーと思うわけです。
子どもはよく『大人って自由でいいよなー』って
皮肉っぽく言うてきますけれども
なんで自由なのかって言ったら、
自分で自分のケツ拭けるから。
(吹かねばならぬから)
つまりは、
自分の言葉や行動に責任を取れるから。
(取らねばならぬから)
なのであって、無責任に勝手気ままにやってよいということでは決してないわけでしてね。
子どもは、まだまだ自分で責任取れないし
取らなくてもいいよーっていうのが
社会の子どもの守り方なんだよね。
一方で大人ってーのは、
責任が取れる(はずだ)から
自由にしていいわけなんですよ。
大人でも、
自分のケツを自分で拭けねーヤロウは
自由を語っちゃあダメなんで。
自由と責任はニコイチ。
子育てのお手伝いを誰かにお願いしちゃってもいいって言っても
丸投げでいいと言っているわけではもちろんなくて。
そこにはちゃんと、責任がないとダメ。
親としての責任、子どもに関わる大人としての責任。
親としての責任、大人としての責任の一番は、
子どもに安心安全な環境、栄養、人との関わりを与えられているか。
ここがなくて自由化だなんだと言っちゃってたら
ただのパリピです。
(パリピに怒られそう。)
私の言ってる子育て自由化計画は、
全ての大人が子どもへの責任を持とうってこと。
その為に、
子どもを守るための知識、関心、環境づくりを広げたいわけであります。
授乳やおむつ替え、夜泣き対応でいっぱいいっぱいになってる場合じゃないし、
そんなボロボロのママやパパを、周りも放っておいてる場合じゃないのです。
全大人が助け合いながら、
子どもと子どもの未来を守るために、
私たちに何が出来るのか
責任をみんなで分かち合いながら
自由に子育てしたいじゃないですか。