見出し画像

田んぼと家族と泣き声と@茂原

一瞬だけ実家に立ち寄りひたすらに洗濯をし、久々にゆっくりと寝付くことができた。睡眠時間、約12時間。ただひたすらに寝すぎである。もういいちどいう、寝過ぎである。自分がいかに日頃疲れているのかを実感する。

この日は1月最終日。振り返るとこの生活を初めて1ヶ月が経とうとしていることに気がついた。
いろんな人と出会った反面、いろんな人と疎遠になったりしたが、なんだ今の生活をすぐにやめようとは思わない。私が非情なのだろうか。こんなことを考えてしまう東京にくると振り返ってセンチメンタルになってしまうようだ。

そんなことを考えながら流れる景色を見ていると東京タワーがながれていった。

これから千葉に向かうことを時間させられる。そういえば前歯をおったのも千葉だっけ。懐かしい。

片手にビールで思い出に耽りつつ向かった先は茂原だ。

今回のおうちはどうやら駅からだいぶ歩いた田んぼの中にあり、だいぶ距離がある。一通り仕事を終えて向かう頃にはだいぶ時間も遅くなっていた。駅周りは明るいが、駅から離れれば離れるほどどんどん暗くなっていく。東京にいた頃では考えられない暗さだ。

田んぼの真ん中を歩いて本日の家が見えてきた。ドキドキしながらドアを明けるとテクテク走りながら赤ちゃんがお出迎えしてくれた。
本日の家守さんは住み込みのご家族らしい。今日から3日間住むというよりもおうちにお邪魔して、居候させていただくような、なんとなくちょっとだけ申し訳ない気持ちになってしった。しかし、そこはやはり共同生活し慣れている家守さん。お話しさせていただいて感じたのは、すごく自然体で、変に気を使われている感じがまったくしない。こちらも良い意味で一人でいるような気の抜き方ができる。ADDressで生活している方は本当に他人との共同生活の過ごし方は本当に学ぶことが多い。

初日から心地のいい距離感で接していただけたこともあってか、翌日はとてもいい目覚めだった。

天気も快晴で本当に清々しい朝である。いつものように仕事前のルーティンのアイスコーヒーを買いにいくために快晴の下の田んぼの中を歩く。快晴の中を田んぼなんてドラマの中の世界で、もしも現実だとしても首都圏でその光景を見れるだなんてまったく思っていなかったので新鮮である。朝方の田んぼは歩く人がいなければ、駆け足の音もない。聞こえるのは風に揺られる稲だけだ。

東京から聞こえる音が違うだけでなんとなくゆとりを持てた気がした。

そんな自然に囲まれた環境でデジタル化を感じた瞬間があった。昨日出迎えてくれた彼といろいろボールを投げながら緩く安全に遊んでいたら、なぜか黄色いボールの時だけ、英語で「yellow」と、とっても綺麗な発音をしていた。英才教育をされていたのかとおもったらどうやらそうではなく、単純にyoutubeを見ていたら英語になったとのことだ。(ちなみに車は「car」と「車」のどちらも通じるとのことだからなんて賢い子なのだろうか)私の幼少期では考えられなかったことがすでに当たり前の時代になっているようだ。

時代の流れに驚いていると家守さんが横からお声がけくださった。
「ご飯あるから仕事落ち着いたら食べてね」
ここ数年、まともに作っていただいた夕食を食べた記憶がほとんどなかったから正直それだけでちょっとなきそうになってしまう。同時に一人暮らし時代の自分の為体すぎて恥じたい。そしてそんなさらっと気遣いのできるような素敵な女性になろう。

ちょっとセンチメンタルになると夜な夜なおさけ片手に徘徊したくなるのがよくない。と、わかってはいるもののしてしまう。目の前は田んぼで、そんな中を歩ける機会なんて今までなかったからふわふわ歩いていると、揺れる稲に加えてカエルや鳥の鳴く声が聞こえてくる。東京では聞こえない鳴き声と、街灯のない真っ暗な道、そして暗いが故に空を見上げるとほしがすごく綺麗に見えた。

ここから始まる房総一周はこんな綺麗な星空を毎日のように見れるのだろうかこれから見える景色を妄想しながら眠りについた。

目が覚めて、準備して、また小さな彼に送ってもらう。
アットホーム満載でおうちの家族の愛情に触れながら出発した。

このあとはいったん3駅だけ都心部に戻ろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?