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プレイベント前に思うこと。

昨日9月6日付の【市報にいがた】の中央区だより一面にて「はじめて、しもまち」プロジェクトメンバーとしての意気込みを、掲載していただきました。

掲載依頼は突然でした。実行委員の筆頭経由で市役所側からの打診だったとか。

ショートスケジュールで纏まりのない文章であることは、予めお詫びしておきます。すみません。

字数制限となると書ききれないので、今回の意気込みについてはざっくりこんな感じです。

・企画しつつ、自分も初心に帰って新潟の歴史を学び直す。
・幕末期から明治期における新潟県人の活躍を、多くの人に知ってもらうための工夫を凝らす。

1つ目についてですが、「新潟県人会」の中にある歴史系グループの代表として、現時点10回近く県内外問わずまち歩きをしています。(テーマはもちろん「新潟」に関してです)

実は意外と、新潟又は新潟県人の足跡が多く残されています。個人的な課題と言いますか目標と言いますか、管理しているグループ内で特に新潟県外にある新潟の歴史を発見し、共有出来たらと思っている次第です。

今回は、普段のまち歩きと異なり短時間での企画となるため、普段以上にコース設定で頭を悩ませていますが、苦手な方でもすっと把握できるような分かりやすい説明を心掛けたいですね。そのために、歴史に興味を持った頃すなわち初心に戻って、新潟を離れた数年間を埋めるべく同じことでも小さなことでも、改めて学び直し伝えミスなどないようにする。これが求められるのではないかと。

2つ目ですが、個人的な目線で言えば新潟県人は、幕末期から明治期にかけてが大きく躍進を遂げた期間だと思います。そのきっかけの1つには「戊辰戦争」があったのではないかと。特に長岡藩出身の藩士たちは、長岡だけでなく開拓使として北海道へ渡り、大きな影響を及ぼしている。日本初のカニ缶詰の発明や北海道における漁業の確立は、いずれも新潟県人による功績である。また、今の日常生活に外せない「乾電池」。これもまた、新潟県人の発明によるものです。(特許は外国人が取ったが…)

現在の乾電池が発明されていなかったら、日本は日清日露戦争において敗北を喫したと言われるほど。それだけ、日本の技術者というのは正確かつ丁寧な作業をこなしていることが証明されているわけです。

あと2週間弱でプレイベント本番。当日午前中までただ考え続けよう。

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