【番外編】一途に慕い続ける難しさと凄さに心打たれる
そもそも恋愛に疎い人(俺)が、こんなタイトルを付けるってのもどうなのかと思いながら、ある歴史を追っていたら付けずにはいられなくなり、このタイトルとさせていただいたこと、予め申しておきます。
先週、大役に抜擢されたイベントを無事に終え直ぐに撃沈したため、リフレッシュがてら「大内宿」界隈へ行ってきました。
約20年ぶりの訪問でしょうか。
【1.高倉神社】
大内宿の最奥へ向かう途中に石製の鳥居があり、そこを潜って約300m弱進むと、今度は木製の鳥居があり、そこを潜って登った先にあるのが「高倉神社」です。
高倉神社は高倉宮と称されていたある人物を祀っています。(その人物については、最後にざっくり解説します。)
【2.桜木姫の墓】
高倉神社を後にし、大内宿から約1kmほど歩いたところに聳え立つ墓が、「桜木姫」の墓です。高倉宮を慕い追いかけていた道中、病に倒れこの地で没したそうです。姫の名前に因んで、墓の傍らに桜の木を植えたとか。近年植え替えを行ったところではあるが、毎年春になると一際綺麗な桜の花を咲かすようです。ただただ高倉宮を慕い続け、その後を追い続け志半ばで病に散った桜木姫。その一途さを貫く姿勢は難しくもある一方で、凄さも感じずにはいられませんでした。手を合わせながら、桜木姫に思いを馳せました。
【3.薬水】
桜木姫の墓から約400mほど歩いたところに、湧き水が出ていました。これを「薬水」と呼んでいて、高倉宮を追いかけていた桜木姫が病で倒れた際も、回復を願い喉を潤したと言われています。
俺も二口三口飲んでみましたが、思った以上に美味しいです!
【4.その人物とは?】
1~3でわかった人もいるかもしれませんが、「高倉宮」と呼ばれたその人物は……
後白河法皇の第3皇子の「以仁王」でした。三条高倉邸宅を構えていたことから「高倉宮」はじめ「三条宮」とも呼ばれたりしていたそうです。
以仁王に関しては、おそらく高校の日本史で名前が出たかと思われますが、平氏討伐の「令旨」を出した人で有名ですね。
平治の乱の際、平氏に寝返った源頼政とともに平氏討伐の意を固め動いたものの、平氏側に露呈してしまい興福寺へ向かう道中、追っ手に殺されたというのが通説です。
その一方で、平氏の追撃を逃れた以仁王は福島を経由し越後国へ落ち延びた伝説も伝わっているようです。桜木姫に関しては、正に越後へ向かう以仁王を追いかけていた、則ち慕っていた訳です。ここから、桜木姫の一途さを感じずにはいられませんでした。境遇や時代は違えど、八百屋のお七みたいに一人の男性に恋焦がれて慕い、添い遂げたいと願った女性の話ですね。あの世で、以仁王と再会出来ていればと思うばかりです。
余計なことを書きますが、各史跡を巡り最後の最後にある施設のトイレを使うべく借りる旨丁寧に言ったのだが、気に食わなかったのか昼を食べた際と態度が一変したので、口には出さなかったが多分俺こんな写真の顔したな…本当ならブチ切れて言葉で畳みこもうともしたが、その程度の人を相手にして自分を下げる方が勿体ない気もしたので、お礼を言ってさっさと退散しましたとさ。(まあ、ドアだけ思い切り音出させてもらったけれども…)
真実の奥の奥に思いを馳せて…