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戊辰戦争シリーズを始める前に

この度、戊辰戦争シリーズをこのnoteにて掲載したいと思います。(既に非公開グループではいくつか掲載しており、それらも含めて不定期更新のマガジンにしようと思います)

さて、歴史に関心をもち早24年くらいですかね。人生の9割は歴史です(笑)

両親がアウトドア派で、渓流釣りやらダイビングやらスキーやら得意としていたので、陰キャ(と言ってもインドア派では無いですが…)の俺とは大違いでした。そんなある時、親父から福島へ行くぞなんて言われドライブがてら行ったわけですが、その時に立ち寄った飯盛山・鶴ヶ城で見たもの全てに大きく感銘を受け、そこから歴史は何ぞや?と興味を持ち始めました。これが歴史好きのMKの始まりと言っても過言ではないです。

【目次】
1.俺にとっての「歴史」とは?

2.戊辰戦争に興味を持ったきっかけ

3.祖先が戊辰戦争に関係していた?

【1.俺にとっての歴史とは?】
初めて会う方に自己紹介をする際、歴史関係の話をすることは必須なので簡単に説明しますが、そこでほぼほぼ聞かれるのが、興味を持ったきっかけは?とか、俺にとっての歴史とは何ですか?というのが結構多いです。
今は他県に引越した歴史の師匠は「歴史はドラマである」。そう熱く語ってくれたことを今でも覚えています。僕もドラマであるように感じますし、パズルでもあり活きた教材でもある、そう捉えています。

〇パズル→主要人物、脇役、戦い、戦舞台諸々繋がって出来上がるからこその例え。

〇活きた教材→音楽にしても、衣食住にしても、どのジャンルにも必ず原点(要は歴史)がある。そこから学べる最高のもの。

【2.戊辰戦争に興味を持ったきっかけ】
戊辰戦争(当時は戊辰の役)に興味を持ったきっかけは単純です。当時発足したばかりの新潟シティガイドに大叔父が在籍していました。その大叔父からサシでまち歩きしないか?と声を掛けられ連れていってもらったのが、西船見町にある「護国神社」の本堂かと思いきや、その参道脇にある一画でした。

通な人は察しがつくかもしれませんが、そこは慶応4年に勃発した「戊辰戦争」で命を落とした東軍・西軍の兵士らが眠っているのです。俺が知る限り、東軍・西軍を分け隔てなく埋葬しているところは、全国探しても珍しいです。新潟県内は、護国神社参道脇含め、そういうところが数多く存在しているのです。そこから見える県民性もまた良いものではないかと、ふと思う時があります。ふとしたきっかけで、戊辰戦争ゆかりの地を練り歩くことになり、やがて他の歴史の出来事よりも戊辰戦争に興味が傾いていったのが、今にも続いています。

またそれがきっかけで後に、2017年に新潟県人会の中で設立した「歴史・まち探訪部」へと繋がっていきます。(単に新潟県人で歴史に興味を持つ人がどれだけいるのか?それが気になったってのもありますが(笑))

※余談:現在の護國神社敷地内には当初、竹内神社建立の話が出ていたのですが、巨額の費用の捻出が出来ない点や第二次世界大戦に日本が参戦するに際し、大量の鉄や銅などが必要となり、計画そのものが頓挫することとなったんです…今となっては旧双葉中(現在のゆいぽーと)近くの西海岸公園に、竹内式部の銅像が建立されて、当時の功績を偲んでいます。

【3.祖先が戊辰戦争に関係していた?】
祖父が亡くなって暫く時を経て、叔母(母の姉)から一本の電話をもらいました。叔母も俺が歴史に非常に興味を持っているのを知っていて(従兄弟も歴史通)、家に招かれました。

すると徐に、仏壇近くから年季の入った木箱を持ってきて俺にみせてくれたのです。その箱の中には小さな掛け軸があり、広げて見てみたら幕末の偉人の名前が入っていたのです。(県内では超有名ですが、ここでは敢えて伏せます)。長岡藩に協力した際に賜ったと祖父が叔母に語り継いでいたようです。

簡単に説明すると、母方の祖父の血筋は長岡藩に関係し、戊辰戦争が勃発すると、軍資金を提供していたとのこと。本家も分家もだ。片方は明治に入ると事業に失敗し没落、その際に長岡藩から賜った史料はじめ諸々を売り払ったそうです。その後今日に至るまで不明ですが…

もう一方は、やがて新潟市に引越し会社を設立し俺の幼少期まで現役で活躍していました。祖父から幕末期の祖先の話は一切語ってもらう機会はなかったのですが、どんな想いでその掛け軸を残し託したか。その辺は今になって分かりつつあります。これがきっかけもあり、戊辰戦争に対して人一倍調なきゃなんて、勝手に思っていたりもします。歴史って勝者の都合の良いように塗り替えられている部分もありますが、敗者の視点から歴史を辿ってみると、俺には「真実の奥の奥」が見えるように感じます。


↑福島県只見町の医王寺にある長岡藩総督河井継之助の墓。実際は、焼骨した際に出た遺灰を住民がかき集め埋葬したため、骨そのものは埋まってません。因みに、ここ医王寺の住職は小千谷市にある慈眼寺の住職が兼務しています。

前書きにしては堅苦しい書き方ですみません。
次回以降は、戊辰戦争(主に新潟と福島)の戦い、人物、史跡等を簡単に紹介して行けたらと思います。(ところどころ祖先の話?わかる範囲で入れるかもしれませんが)

まだ見ぬ歴史の真実の奥の奥に思いを馳せて。


↑まだ冒頭の一部以外は軽く流した程度ですが、マニアックな話もあり、何より新潟のネタもいくつかあるので、読み応えはかなりのものかと思います。

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