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『ポンパドゥール侯爵夫人』フランソワ・ブーシェ、1756年
高校生の頃、私は世界史が苦手だったので授業中は専ら資料集を読んでました。
で、出会ったのがこの絵。
私は来る日も来る日も授業中は、この絵を見ていました。
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何度見ても見ても美しいですよね。
ところで、この絵は肖像画なわけです。
肖像画
ポンパドール夫人が生きていた時代の文化はロココ文化と呼ばれています。
作者のブーシェはこんな肖像画も描いています。
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1758年)
こちらの方が肖像画っぽいですよね。
ところで、このポンパドール夫人の腕についているブレスレットのカメオはルイ15世なんですね。
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拡大するとより精密に描かれていることがわかりますね。袖のレースとかも素敵。
さて、今回のポンパドール夫人の絵に戻ってみるとこちらもより精密に描かれていることがわかります。
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後ろに鏡があるのですが、後頭部のヘアスタイルまできちんと描かれています。
本を持っているのは知性を表していると言われています。ポンパドール夫人は才色兼備で有名ですね。
足元に注目すると犬が描かれています。
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大の犬好きだったらしく、ミミと名付けて可愛がっていたそうです。
絵のデッサンらしきものも見えますが、ポンパドール夫人はブーシェに絵も習っていたようです。
ブーシェはポンパドール夫人のお気に入りの画家でしたので何点もの夫人の絵を描いています。
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この時代の女性はあまり読書をしなかったようですが、ポンパドール夫人は読書家でした。百科全書の刊行を援助したことも有名です。
家族
ポンパドール夫人は、ルイ15世の公式寵姫でしたが、彼女には夫がいました。
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彼は莫大な資産を持った役人でした。彼との間に子供も生まれています。
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わずか9歳で亡くなってしまいます。
6歳まではポンパドール夫人と一緒に王宮で育ち、貴族が通う修道院で生活をしていました。
彼女は8歳の時、シャルネ侯爵と婚約。アレクサンドリーヌが12歳になったら、二人は正式に結婚するとの取り決めを交わしていました。
こんな絵も残っています。
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恐らくポンパドール夫人とその娘であろうと言われている絵です。この絵を見ると娘を可愛がっていたことが伝わってきます。。
ポンパドール夫人には実の弟がいます。
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彼は賢く、ポンパドール夫人に閣僚に誘われても閣僚にはなりませんでした。
ポンパドール夫人の夫とも良好な関係を続けていたそうです。
ポンパドール夫人が亡き後、彼女の遺産を整理した人でもあります。
そして、今回のポンパドール夫人の絵を見て似てないと言った人でもあります…。
ポンパドール侯爵夫人
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さて、今回のポンパドール夫人ですが、一枚の絵から彼女の人生を垣間見ることができました。
彼女は平民出身でした。
母譲りの美貌を持ち、高度な教育を受けていた彼女が結婚の適齢期を迎えた頃、あまり求婚者がいなかったと言われています。
父であるフランソワ・ポワソンは銀行家に雇われていましたが、汚職事件に巻き込まれパリを追放されてしまいます。
困った母は、父の雇い主の知り合いであるシャルル・ド・トゥルヌエムという大富豪の庇護を受けています。
恐らく母はこのトゥルヌエムの愛人だったのではないかと言われています。
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結婚相手はこのシャルル・ド・トゥルヌエムの甥でした。
彼女は美人でもあり頭も良かった。しかし身分という超えられない壁を知った時、もしかしたらそれを乗り越えてみせようと思ったのではないでしょうか。
頂上を目指した結果、ルイ15世の公式寵姫となるわけで、しかもポンパドール侯爵という爵位ももらえたわけです。
さて、ポンパドール夫人が亡くなったあと公式寵姫になるのはあの有名なデュバリー夫人となるわけです。