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『泉のほとりで眠るニンフ』テオドール・シャセリオー、1850年
数年前に開催されたシャセリオー展に行かれた方も多いと思います。私もその一人です。
それまでシャセリオーをあまり知らなかったので、行く予定ではなかったのですが、たまたま上野に用事があり、シャセリオー展のポスターを見てふらっと行ったのが理由です。
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私は美しいと思うけど青白いと評価されたとか。。
なんとアングルも白すぎない?って言ったとか!
もちろん下調べをしてこの絵を見たい!と行くのが一番かもしれませんがふらっと美術館に行くというのもよいものです。至福の時間です!
結局この泉のほとりで眠るニンフに出会い、しばらくぼうっとこの絵を見ていたという記憶があります。
展示の仕方も素晴らしかったので…。(赤いカーテンで仕切られてました…)
テオドール・シャセリオー
シャセリオーはあのアングルの弟子となります。
もちろんシャセリオーもあのヴィーナスを描いてます。
これは後ほど紹介させてください。
(要するにこちらが書く動機でもありました)
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さて、シャセリオーについてですがアングルに「やがて絵画界のナポレオンになる」と言われ、若干16歳でサロンにデビューしています。
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『放蕩息子の帰還』1836年
サロン入選作品です。
よくみると息子泣いてるんですよね。
主題は新訳聖書。
早熟な画家と言われる所以でもあります。
シャセリオーは師匠であるアングルと対立するドラクロアに傾倒したため、アングルと決別してしまいます。。
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ドラクロアといえばこの絵ですよね。
シャセリオーは油彩画などの他にも、数々の公共建築物の天井や壁の装飾にも取り組みました。
その代表作と言われるのが、会計検査院の吹き抜けの階段を飾った大壁画です。
この壁画をみて感動したのが、彼の盟友であり多くの影響を与えたのがギュスターヴ・モローです。
モローはシャセリオーのアトリエの隣にアトリエを借りたと言われています。
この壁画は、1871年のパリ・コミューンで破壊されてしまい今では残ってないのが残念です。
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シャセリオーとモローはよく同じ主題で絵を描いていて、文頭で紹介したヴィーナスは、モローも描いてます。
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若干19歳でこの画力!アングルが師匠であることがわかる画風ですね。
同じ主題といわれているモローのヴィーナスはこちらです。
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横顔がシャセリオーの影響を受けてますね。
ところで1870年というとシャセリオーはすでに亡くなっています。
あまりヴィーナスを描かなかったというモローなだけに感慨深いですね。。
(モローは私の好きな画家の一人なのでまた書けたらな…
アングルのもう一人の弟子が描いたヴィーナスはこちらから見てみてくださいね!
泉のほとりで眠るニンフ
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さて、今回のこの絵。
この絵はなんと政府の公的な発注によるものなのです。
はじめはタイトルが『泉のほとりで眠る浴女』であったと言われています。
この時代は裸婦画を描くにはいくつかの暗黙の了解がありました。
(神話要素がないと裸婦画はダメというものです)
しかしながらこの絵よく見てみると…
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あれれ、ニンフなのに?
ほかにも興味深い点がありますが、その辺は有名なので…。(上半身をよくみてみると…)
政府の公的な発注の絵に対して随分と挑発的です。
この絵のモデルは、当時彼の恋人であったアリス・オジーであったことも批判の的とならなかった一つだったと言われています。
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舞台女優でありました。
彼女は「パリで最も美しい体を持つ」と称えられたほどで、ドーマル公爵、ヴィクトル・ユゴー父子、ゴーティエ、そしてルイ=ナポレオン・ボナパルトといった著名人!と浮名を流し、数々の詩人が彼女を称える詩を捧げ、多くの画家が彼女の姿を絵画に残しました。
シャセリオーも何点か彼女をモデルに絵を描いていますが、今回の一枚がとても有名です。
女性を陶器のような滑らかな肌で描いたアングル、そこに現代の感情やレアリスムを取り入れたシャセリオー。
政府からこの絵を送られたアヴィニョン美術館ではその裸体表現のために長い間常設展示されることはなかったそうです。。
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神話画の範疇を逸脱して挑発的であり、加えてモデルが現実の女性アリス・オジーであることが誰の目にも明らかであったため批判を受ける恐れがあったにも関わらず発表されたこの絵。
要するにシャセリオーにとって自信作であり、また彼の代表作となった絵です。
この絵が描かれたのは1850年。あのヴィーナスのサロンは1863年なので13年後にあのマネの『草上の昼食』がやってくるわけなのです。。