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価値のあることっていうのを考える時期である。

 時々、「価値のあることしかやっちゃいかん」病みたいなのにかかることがある。価値のある物、人が評価するもの、人に必要とされるもの、あー私の書いてるブログとかもう価値なさすぎですね、自己満足ですからね、価値がないというレッテルを貼って、「価値ないねぇ。意味ないねぇ」と言うのだ。しかし、この世界に価値のあるものなんてどのぐらいあるんだろう。

 というか私はいつからこんなにも「価値のあるもの」を求めているんだろうかと考えると、はっきりとした理由は思いつかないものの、薄ぼんやりと「まあ、私は価値のない人間なので?」と言う気持ちが前提にある。自分に価値がないといって自分を軽んじているようで、その実自分を最低ランクに落とし込んで、少しでも傷つくのを防いでいるようなものだ。価値があればいつかは価値がないものになるかもしれないけど、価値がないものはそのままか価値がある物に変わるしかない。

 よくいう「大凶ってもう上に上がるしかないよね」ってやつである。

 しかし結局、小さい頃に受けたいじめが原因なのだろうか? 後はなんとなく周囲から嫌われている気がすると思うからだろうか。なんとなく周囲の人間に期待していないせいだろうか。できればひとりで、最小限の関わりの中で静かに暮らしたいのだと思っているくせにブログを書いて投稿しているのは、なんというか、外との繋がりを求めている気がする。

 でもまあ、ブログを書くのは承認欲求というよりは、自分の記録のようなものだ。その記録にはアフィリエイトがついていて、まあサーバー代ぐらいは稼いでくれたらうれしいなぁとは思ってるし、まったく成果が上がらないときは「自分って本当に価値のないことしかしないよな」と思ったりもするけど、その場合の「価値のない」というのは、どっちかって言うと口癖のようなものではないかと思う。

 私は私の価値が分からない。とりあえず死んでないから生きていて、生きているから本を読んで、本を読むからブログを書いて、ブログを書いたから成果があがってお金が入るといいなぁーと思っているんだが、世の中そんなに甘くはないので、ただ本を読んだ記録としてブログを書いてるけど、ふと「こんなことをして何になるんだろうか。意味ってあるんだろうか」と思ったりする。

 ちなみに自分が死んだ後も残るブログっていいよなっていう気持ちからnoteにも色々書き始めてる。これはまあ、意味はあるので価値もある。単純に私が、まあ能動的に死後も残せる何かだと思っているので。

 ようは自分が意味があると思えば、価値もあるのだろう。でも、まあ、私は私の価値が分からんし、意味も分からないし。時々しんどいし、死にたいし、やっぱり今後のためにnoteは書き続けていこうと思う。

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