67歳になった 実感はないけど・・
久しぶりにここに来たら、66歳の時に書いた下書きがのこっていたのでを投稿した。 1年たっても全く同じ考えなのを読み、なんて変わらぬ日々を送っているのだろうと感心する。
高校生の時、授業を休んだ際に友人がくれたノートを今まで捨てられず、引っ越しをしたときさえその頃のメモの端切れとともに箱に入れていたようだ。もちろん小学生のころから始まっている私の手紙書き癖はほぼ全部ある。一部書いたことやその返信で覚えているのにどうやら無いらしいものもあるが。自分がどういう基準でいつ処分したのかは記憶にない。割と何でも時系列で並べて置きたいタイプだが、きっちりしているようで一貫性のないところがあるという自覚はある。
本棚は美観が優先でまずは本の高さは揃えたい。するとジャンルが狂う。特に美術絵画系は高低差が激しいのだ。日本の画家と海外は分けたい上に、好きなだけに日本画と洋画も分けたいそれだけで少なくとも3種。いわゆる絵画とイラストや童話の挿絵タイプも分けたくなる、写真も彫刻も、時代も分けたくなってくる。図書館でもないのに検索してすっと出せない状態は気持ちが悪いというか頭痛のタネになる。読み物系は一度乱れだすと量が多いだけに戻すのがかなり大変だ。作家別、ジャンル別、未読もの再読予定が増えて最近は余計に乱れてもどせない。当然埃っぽいのも触りたくない原因の一つでさらに埃が積むので悪循環だ。
同じ事が衣服でもおこっている。鞄でも靴でも。ただ靴はかなり思い切って断捨離が進み、数は減ったがまだ家具には収まりきらずに箱に入れて季節ごとに出し入れしているものがある。
残す家具に収まる量に絞るのが目標だ。しかしまだ本当に新しいと言えるほどのものを捨てる気にはなれない。洗剤やタオル、ティッシュぺーまでも捨てているのをみるがそれはいけないと思う。今後使いますか? と聞かれていやあと答えて捨てる人の気も知れないが使わないなら、今気持ちよくなるためには破棄しましょうというのは違うでしょうと思う。
消費期限切れの食べ物は仕方がない。大いに反省して感謝と謝罪を込めて廃棄しないと。しかし今後も使用する消耗品はしばらく美観は我慢して使いきるか他に譲って無駄にしないことが正しいだろう。ここは無償か有償かは本人の状況次第だ。思い切りと覚悟は必要だ。
私は大きな口がきけるような状況ではない上に、めんどくさがり屋の行動力ゼロの人間なので、衣服に関しては売るということができずお金を払って他へ役立ててもらう方法を選んだ。3年ほど前から何回かやってすでに手間賃に16,000円は費やした。が、まったく部屋はすっきりしていない。何でもかんでも多すぎるのだ。本当に、心が整理できていない証だ。
それは、「いつもおしゃれだよね」と言われる私の着るものへの趣味というかこだわりの表れだ。好きなものが多すぎるのだ。女性だが男性が着てかっこいいなと思うスタイリングが好きで割と自他ともに似合うと認められるためそういうボトムもトップスも多い。少女漫画の主人公みたいなブラウスやワンピースも大好きでもっているし高価なものが多いので捨てられない。こういうものは40年前の物でも今の物でもあまりデザインに変化がない上に昔の物は明らかに品質が良い。レースにしろ、縫製にしろ、型紙のパターン数から違う。ボタンの質もクオリティもその取り付け方も違う。言い出したらきりがなくて破棄することができない。
だが、勤め人なのでこういう服を仕事場で着るという発想はないし、むしろ着ている人を見ると公私は分けろよという古いタイプだ。手に負えない。
ただ、着物はこれを間違いなく大切に使ってくれそうだと思う相手が見つかった。いとこの娘が表れて成人式で着物が似合うとみんなに褒められ大好きになったとのことで有難く送らせてもらった。喜んで着てくれるという弄えがあり大変うれしい。
もう流行さへ追わなければ一生かかっても着られないくらいの種類と数はそろっている。そのせいで一年中着ないで年を越すものもある。体形が変わらないし色はそれほどビビットなものはないので今でも着ていて違和感はないらしく、いいねそういうのはどこで買うのと聞かれることもある程度にコーディネート力はまともだ。
時には廃棄した上等のスーツやコートにワンピースが悔やまれることもある。その最たるものがブラウスで、これは本当に今悔やんでいる。生地、柄、ボタン、レースやパイピングの質と丁寧な縫製。薄い生地やオーガンジーなどは特に縫製技術がものをいう。生地についてはイージープリントでなく織の地模様や刺繍の丁寧さ袖付けの縫製など、今では高価な老舗店や職人気質の特別な店でしか出会えないようなものも私でさえ購入できたのだ。もちろん今でもいい商品はあるが私のように、はて庶民なのか?という状況では手に入らない。だから捨てるなんてできない。今以上に若くなることはないのでこれは年齢的に無理だなと思うものは処分していってる程度なので減らないのだ。まあ、それでよしとしようか。
本日の長いつぶやきの筆をおくにあたり、なるほどと思っていただけることをひとつ。 私の年金収入はよく情報番組で例に出る平均値のかなり下なので庶民と言えるのか?(・・?と思っている次第です。