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大学軽音7年録_2

前回(https://note.com/ka3ka3ka/n/na94f6979bcbf )

前回どこまで書いたっけ? と見返してみたらまだ入部で止まってた。まじかよ。コツコツ書きます。

思い返してみれば4年の末まで全く後輩とバンドを組まなかったし、院進してからは逆に先輩とバンドを組む機会が無かったので後輩生活と先輩生活ではっきりと分かれたサークル生活だった。

本当に恵まれた人間関係だった。
別にサークル全員とファミリー!と言えるほど全員と仲良くしていた訳では無いし、それを割くだけのリソースも無かった。でも距離感の測り方がぼくの感覚と近くて、居心地の良い関係性を作れる人たちばかりだった。早い話が苦手な先輩に説教されることも無かったし、ぼくが居心地悪くなるようなヘイトを向けてくる人が誰もいなかった。そして、やんわりと生ぬるく肯定的な雰囲気が本当に好きだった。

学部時代:同期との記憶

懐かしい。入学当初、学科の自己紹介でギター経験者とドラム経験者、軽音入部希望者がいて、「学科内だけでバンド組めね?」と仲良くなったんだった。オリエンテーション合宿とか、4限終わりに遅刻確定しながら部会に向かった道のりとか、初々しき18歳の1ページだ。

同期とはトントン拍子にバンドが産まれてった。というかサクサクすぎて結成エピソードをちゃんと覚えていない。ちなみに学科バンドをとりあえず組んだものの学生バンドあるあるをなぞって自然消滅した。部会や新歓イベントでオタクメタラーギタリストやメロコアの似合う爽やかバンドメンが他の同期経験者枠として座ってて、多分こいつらとは長い縁になるんだろうなと思ってた。というか同期は経験者が多かったから未経験者がのびのびライブするまでに時間がかかった学年だった。

学科の男衆とキモオタメタラーでなんとなく同期バンドを組んだ。何をやるかは決めてなかった。キモオタが入部当初バンドが組めてなくて、部会で話す機会が多かった俺が気を利かして他の学科メンバーとくっつけた形……で結成した気がする。一生あやふや。当時はドラムの奴が狂犬の如く激尖りしてたし、それを学科バンドではメンバーの女がスナックのママのような包容力で緩衝材になっていたので、学科バンドから丸みを失ってキモが追加された同期バンドの結成当初の雰囲気は相当独特だった気がする。結構ヒヤヒヤしてた記憶。

ただ同期バンドという全員がフラットな立場で、楽器陣が学生バンドとして人前に立てる程度の慣れがある環境は滅茶滅茶貴重だと当時から感じていて、高校時代にやりたくてもやれなかったことをしたいと思っていた。だから無茶言っていきなりボカロ曲の耳コピを提案した。トーマの 廃景に鉄塔、「千鶴」は田園にて待つ。という曲だ。今思うと狂気の沙汰では無い提案だったが、その後のバンドモチベを保つためには大正解だった分かれ道だった。他にはたまたま楽器陣が履修済みだったホルモンやボカロ曲をコピーしてライブに出た。本当に楽しかった。

それからしばらく同期バンドではトーマのコピーバンドとして活動した。トーマ曲を知る人間なら察すると思うがかなりハードだった。単純に全パートムズい。打ち込みのアレンジが細かくてライブ向きではない。展開が多くて耳コピの作業量が多い。異様にキメも多い。そして、ピンボーカル込の4人でやるには音数が圧倒的に足りない。正直ギター2本、キーボード、同期が欲しい。それでもギター1本でまともに聴けそうな曲から、特にギターはゴリゴリアレンジして少しずつ色んな曲を挑戦した。

廃景に鉄塔、「千鶴」は田園にて待つ。
ミーミルの花
心臓
潜水艦トロイメライ
リベラバビロン
サンセットバスストップ
バビロン(Eureka版)
オレンジ
九龍レトロ

しばらくバンドを続けていると地元ライブハウスのブッキングイベントに出る機会が得られることがある。ま〜〜〜トーマなんぞやったって誰がウケるんだって感じだ。でも1人ぶっ刺さってくれて今でも縁が続いてる後輩がいるのだが詳細は今度。ブッキングに出る頃にはサークルやバンドにも馴染んでいたので、同期バンドでオリジナルもやろうという話になった。ちょうどギターが曲を書くようになっていたのでそいつの趣味でトーマコピバンからメタル系のオリジナルに方向転換した。ちなみにそれまで続いていたトーマのコピーはキーボードの先輩が加入して派生別バンドとして残した。

疲れたので今日はここまで。まだ同期編続きます。

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