近所に、琉舞道場
子どものころ、生活のなかになんとなく琉舞の存在がチラついていた環境って、じつは大切なものだったんじゃないのかな、と思って。
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家の周りに琉舞道場ってどんくらいある?
私が小学生のころくらいまで、実家の半径1km以内には4〜5軒ほど琉舞道場があった。
多くない??
学校に行くにしても、スーパーに行くにしても、右を見れば琉舞道場、道を渡れば、はたまた左に曲がればまたもや琉舞道場。
素行がよろしからざる小坊だった私が出歩いていたのは、もっぱら日が落ちてから。暗がりの住宅街のなかで、蛍光灯の明かりとかすかな音楽がもれる琉舞道場はひときわ目立つものでした。
いうなればご近所さん
かつては、夜になるとなんとなく生徒さんが着物で出入りしはじめ、送り迎えの車が集まって、よくよく耳を澄ませるとたまに足打ちの音が聞こえたり聞こえなかったり。物心ついたころから、琉舞道場というのは、どこであっても「家」の近くにあって然るべきものだという感覚が無意識にはあった。
(実際は当時でもこんなに競合している地域はほかになかったと思うのだけど)
あれから20年以上たった今では琉舞道場も数を減らし、看板こそ下ろしていないが生徒はとっていないというところも少なくない。
ああいう光景、もう見ることはないんだろうな。
催し物では欠かせない
琉舞といえば地域の催し物。
大人になった今でこそ、やれ国立劇場だやれがらまんホールだと遠方まで踊りや芝居の舞台を観に行くが、アシもカネもない子どものころ、いわゆる「踊り」を観れるのは地域の催し物がほとんど。字であったり市であったり、規模はマチマチだが、琉球芸能の催しでなくとも大正琴や日舞と併せて琉舞の演目が入っていることは多かった。
沖縄の伝統文化だなんだといわれる以前に、この地域で生活していれば「なんとなくいつも側にあるもの」という関係性。
クラスにひとりくらいはいるよね
「おどりやってるんだって」
頭のテッペンで結い上げても腰まで垂れるきれいな黒髪のあの子。
コインランドリーの近くの、アノ道場に通ってるってさ。
しいて琉舞をやっていなくったって、「おどり」は琉舞のことだし、髪が長い子はだいたい「おどり」をやってて、「かぎやで風」がなんとなくおめでたい演目であることくらい知っている。社会科の地域学習がわざわざ教えてもらわなくたって知っていた。
盆踊りの時期になると、「おどり」をならっている子が盆踊りの練習の中心になっていた(というかさせられていた)。なので、学校や地域で何かあるたひに、「あ、あの子おどりやってるんだ」とこちら側も意識させられたし、憧れでもあったのだ。(幼い私がおどりをはじめた理由のひとつ)
いつからだろう。
「おどり」が「ダンス」になって
ロングヘアーは当たり前で
琉舞のイメージは御中元と御歳暮のCMくらい?
(あれは組踊だよ)
あれから遠くまで
ここ数年、「琉球舞踊、どこで観る?」といえば、国立劇場おきなわやてんぶす那覇あたりだろうか。芝居だったらパレット市民劇場とかがらまんホールが多いはず。
演目は多彩だし観て後悔するような舞台はないので、私とて舞台を観に行くときはこのあたりの劇場だもの。
―――遠いなァ
地元の琉舞道場が出る舞台を観に行くことはほとんどない。べつに、地域の催し物で琉舞の演目がなくなったわけではないし、単純に演る側になったので自分が観客側にまわる機会が減っただけなのだが。
とはいっても、そういう催しで小さい子どもたちが出演することはなかなかない。てか出る子ども、というそもそも琉舞をならっている子どもたちが少なすぎて。
今の子どもたちは、「琉舞をやっている自分と同い歳の子」というのを見かけることがあまりないのだ。しいていえば新聞社が主催する子ども舞踊大会くらいだろうか?いや、こんな田舎から那覇くんだりまで観に行かんて······。
隣にあること
身近だと感じるものは、教えられて知るモンじゃないと思う。
副読本のキレイな写真でお勉強して、芸能家の方たちが学校にいらしてくれても、子どもたちにとっては「学校で勉強したことのひとつ」として消化されてしまう。昇華じゃないのよ、消化なのよ。残念なことに。
(学校での学びすらなかったらさらに琉球芸能離れは進むと思うので授業に組み込むことは大事だと思います)
なんとなく隣にいるもの。
お隣さん。
それは子どもたちが生活のなかで、肌感覚として得ていかなければ、自分が生まれ育った場所の文化として自らの中に落とし込むことはなかなか難しいのではないかなと思います。
距離だけが大切ではないけれど
といいながら、私は最初に通った道場も今通っている道場も、車で15分くらいかかるところなんですが。
なんでだよ。
最初の道場は、いろいろ調べた母親が決めて、次のところは私が知人の伝手でご縁があった。
いやァね、近けりゃいいってもんでもないし、近いから良いってもんでもないからね······?
そう。
沖縄の子ども皆がみんな、琉舞や琉球芸能と身近であるべきだとは思ってない。
昨今の流行りはK-POPとかなわけだし、奈美恵ちゃんやFolderの時代からああいうダンスは人気だ。
けれど、生まれ育った、あるいは今生活している場所で培われた古の文化を感じる機会がないのは寂しく思うし、古のものにしないためには未来を担う子どもに身近だと感じてもらう必要があるよね、、、
街ナカの琉舞道場で
そもそも前近代、おもに首里城で催されていた古典芸能は、同時代の地方民にとってはなかなか遠くて存じ上げないような代物だったのかもしれない。
屋取として地方に下ってきた元士族とか、そんな感じの人たちを通して見聞きすることはあったとしても。
(地方の民俗芸能については割愛させていただく、、そういう専門家でもないので明るくないです)
そう考えると、別に首里ン人や那覇ン人でもないのに琉球芸能と関わり薄くて当然なんじゃ?とも思えてきたり。
けれど。
戦後から今まで広く県内外に数多く立ち上げられてそれぞれの地域で培われてきた琉舞道場。
道場やお師匠さん、門下生たちが歩んできた歴史や、沖縄の文化の継承と発展に尽力してきた功績はとてつもなく大きいものであるはず。
街なかの
住宅街の
沖縄のどこかのご近所さん
多くの琉舞道場があったからこそ、琉球芸能が守られ受け継がれてきたのだと思います。
そういう場所や機会がグンと減ってしまった今、継承や発展の場も限られてきてしまっている。
コンビニの近くのアノ琉舞道場。
いつかまた、明かりが灯る日が来るといいな。
私の通っている道場は、毎日眩しいくらい明かりがついてます。コンクール近いんで。
それでは、今回も思いのまま言葉足らずな文章ではありましたが、このへんで失礼いたします。
ご機嫌よう。