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本部ナークニーの歌碑【恩納村】

歴史ある歌碑が、リゾートホテルの看板にメタモルフォーゼしていた話をします。

カタチあるものはいずれホニャララ、というのは世の常だけど。
けれども、なんたって刻まれた歌とその歴史を上塗りしてホテルの看板にしちゃったのだろう。

令和のはじめ、沖縄本島は名護湾から見渡す本部半島の景色を眺めながら非情な時代の流れに虚しさを感じた思い出話です。

***

「消失したらしい歌碑を発見」

平成31年の4月。
はじまりは歌碑オタクのM野から入った、一通のLINE。

歌碑―――平たく言えば何かの歌の詞が刻まれた石碑のことである。

わが県では、琉歌をはじめ古典から新民謡にいたるまで数多くの歌碑が建立され続けられおり、なかには個人が自宅に建てたものや本歌から派生したマニアックな歌詞が刻まれているものなどもあって、稀に存在する歌碑オタク(?)を魅了している(ようである)。

学生時代、私はなぜか「歌碑研究会」―――通称「歌碑研」なる有志の研究会に入っていた。

年イチほどのペースで県内(本島内)の歌碑を巡るだけのちょっと怪しい学生の集まりである。歌碑という歌碑を巡り、歌が刻まれた石碑を囲んで記念撮影をする。三線や笛ができるメンバーはそれぞれ楽器を持ち寄って歌碑の前で演奏したりもしたが、私は楽器がてんでダメだったので踊っていた。傍から見るとすこぶる不審な集団だったに違いない。
そして、この研究会を束ねていたのが同期で歌碑オタクのM野。

話は冒頭に戻る。

「”ナークニー”の歌碑っぽい石を見つけたから、ちょっと見てきてよ」

「ナークニー」とは沖縄の代表的な叙情歌。
県内各地そして多くの歌い手によって「ナークニー」の名を冠した曲が数多く存在し、また新たに作られている。ナークニーというのがひとつのジャンルであると思っていただければ問題ないだろう。つまり沖縄には「〇〇ナークニー」という歌がむちゃくちゃある。

そしてM野から送られてきたナークニーの歌詞は以下の通り。

あれや本部崎 これや名護浦 
近くなて見ゆる 城東江

垣花武信・東江八十郎『沖縄文学碑めぐり』(1986年、那覇出版社)

古の琉球王国時代。
商売や貢納のために北部と首里を行き来していた人々が、だんだんと近づいてくる我が家に思いをはせながら家路を急ぐ気持ちが伝わってくる歌である。本部・名護・城・東江は沖縄本島北部すなわち「やんばる」と呼ばれる地域の地名。ちなみに王都であった首里とやんばるの道のりは60Km以上。地名を連ねた歌というのは、シンプルでありながらもなかなか心情に訴えかけるところがあると思う。

歌碑がある恩納村から本部半島までの位置関係

現在の地図上から景色を追ってみても、たしかに名護湾の向こうには本部半島そして城と東江という地域が位置している。現代よりはるかに見通しがよかった近世においては、かなり鮮明に向こう岸を見渡すことができたのではないだろうか(と勝手に思っている)。

と、いろいろと思いをはせてみても、当時は多忙極まりない学生アルバイターであった私。M野には「自分が行け」と返事をしたかったが、残念ながらやつはすでにこの島を脱出して東北に身を寄せていた。こいつ、北にいるのに頭のなか南の島かよ。このとき私は就活と卒試を抱える時期に突入していたので、しばらくは学業とバイトに精を出したいところであった。

今回は流そうか、そう思っていた矢先にM野から画像が送られてきた。

文献に掲載されている歌碑の写真の上に、もう一枚同じかたちをした石の画像がレイヤードされている。2枚の画像はほとんど一致するのに、石に刻まれた文字だけが異なっていた。
2枚目の画像に写っている石に刻まれていたのは、とあるリゾートホテルの名前。

いわゆる石看板というやつ。

もともと特徴的なかたちをした石なので空似なんてことはないだろう。ということは、悲しいかな、歌碑だった石碑はホテルの看板にされちまったということである。

なんだそれ、とんだビフォアアフターじゃないか。

さらに調べてみれば、この歌碑は祖国復帰十周年を記念して建立されたもので、その大きさはなんと県内最大級ともいわれるほどの石を用いていただとか。この歴史ある歌碑を潰したというのか・・・・・・?

そんなこんなで令和をむかえたGW、この一件への興味と憤りに抗えなかった私は、研究会のメンバーとともにこの歌碑を探しにいくことに決めた。

余談だが、沖縄本島内にある歌碑の数は、当時M野が文献からリストアップしたものだけでもおおよそ100基以上。うちわけは琉歌と民謡が半々といったところ(もう少し調査すれば琉歌が上回るような気もする)。とはいっても、老朽化や土地の開発で建て替えや解体せざるを得ない歌碑も当然あるわけで、文献に上がっていてもネットで最新の情報を調べてみると行方不明になっている歌碑が多々ある。ちょうどこの歌碑もホテルの建設とともに取り壊されたのではないかと噂されていたところであった。

さて、来る5月5日。

国道329号線を中部から北部へ上り、本部町を折り返し地点に国道58号線から徐々に南下していき帰途へ着くというコース。はじめは計8か所の歌碑と関連史跡を巡る予定だったが、道中いろいろと遊びすぎたせいで、南下をはじめた頃には太陽がだいぶん西に傾いていた。

そして日も落ちはじめた時分、ようやく件の(元)歌碑があるらしいホテルに到着。ここを攻略すればあとは南下して学校に戻るのみである。ホテルの駐車場は利用客以外の駐車ができなかったので、向かいにある某御殿に車を停めて道を渡った。西海岸沿いの国道から見おろす名護浦、さらにその向こう岸には本部半島が見渡せる。

あれは本部半島で、ここは名護曲。
近くなってみえるのは城と東江。

まさに、眼前には歌の通りの光景が広がっていた。
きっと、はるか昔にこの道を行き来した人々も同じ景色を見ていたに違いない。

この石が、あの歌碑で間違いないだろう、これほどのロケーションなのだから。

そう口にしたのは、隣にいた琉歌に明るい後輩だった。

石のまわりを一周してみると、ところどころ新しく石を継ぎ足したような跡や、セメントで雑に上塗りしたような箇所が見受けられた。本来、この歌碑の裏側には復帰運動に尽力した人々の名前が刻まれていたとのことだが、ものの見事にセメントで塗りつぶされてしまっている。

皆、しばらくのあいだ無言で歌碑を見つめていた。
とりあえず、M野への報告用にと写真を数枚撮る。

このホテルが開業したのは2006年らしい。
(石に「SINCE2006」と刻まれていた)

私たちが訪れる6年ほど前に、この歌碑のことをホテルのフロントに尋ねた方がいたらしい。その方のブログによると、このときスタッフからは「ホテル建設時に歌碑は移転された」と説明を受けたそうだ。まったく動いてすらいないどころかホテルの敷地内にずっとあったわけだが。

建立されてからわずか四半世紀も経たないうちにこの歌碑は葬られてしまったということで、どこの誰の案でこうなってしまったのかはわからないけれど、この地の歴史と紐づいた歌碑を残すという選択肢はなかったのだろうか。それとも、意外にも地元の人々からは看過されていた単なる石に過ぎなかったのだろうか。

南北ともに西海岸はリゾート計画が活発な地域。

開発のために歴史の足跡が消されて上書きされることは、今後ますます増えていくのだろう。今回の歌碑のように。

眩しかった西日は海に沈みかけており、名護湾の空は薄っすらとした緋色に染まっていた。

時代の流れに寂寥をおぼえ立ち尽くす私たちは、その様子を不審におもったホテルのスタッフに声をかけられて、ようやくその場をあとにしたのであった。

おしまい。

***メモ***
<令和元年5月5日 歌碑研究会巡検コース>
*当初予定していたコース*
①瓦屋節
②じつさう節
③喜名番所
④干瀬節
⑤謝名のシカー
⑥伊野波節
⑦本部ナークニー ★本件の歌碑
⑧砂辺の浜

*実際に巡った場所*
①瓦屋節(中城村/10:00到着)
②じつさう節(中城村)
③安冨祖竹久翁像(宜野座村)
④備瀬小唄(本部町)
⑤伊野波節(本部町)
⑥本部ナークニー(恩納村)
⑦砂辺の浜(北谷町/20:00到着)

<本部ナークニーについて>
「あれや本部崎 これや名護浦 近くなて見ゆる 城東江」
(アリヤムトゥブザチ クリヤナグマガイ チカクナティミユル グスィクアガリ)
―――読み人知らず

件の歌碑について「山原ナークニー」と記載されている文献がいくつかあります。ただ、「本部ナークニー」という民謡の一節にはこの歌が含まれていますが、「山原ナークニー」と題された民謡ではこの一節は使用されていません。なので、この歌は「本部ナークニー」に属する節として扱うのが妥当かと私は考えています。
*『ふるさとおきなわの歌碑・石碑・石造物写真集 ドライブのための本』では「本部ナークニー」、『沖縄文学碑めぐり』では「山原ナークニー」と記載されています。

<歌碑の所在と写真について>
本部ナークニーの歌碑は現在ホテルの石看板になってしまっているため、その所在と写真を掲載することは避けました。といっても、少しでも北部地域を知っている方は文章中の地図で大まかな場所がわかるかと思います。ですが、歌碑について知りたいからといってホテルへ突撃するのはやめましょう。

<参考文献・webサイト>
◆垣花武信・東江八十郎『沖縄文学碑めぐり』(1986年、那覇出版社)
◆古堅宗久『ふるさとおきなわの歌碑・石碑・石造物写真集 ドライブのための本』(2004年第一版、2014年第三版)
◆「沖縄病Tobiの琉球弧探訪 ~ 沖縄旅 2013年夏(http://ryukyuko.style.coocan.jp/html/2013-08-honto-01.html )



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