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好きこそものの上手なれ

それは呪いの言葉。

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踊りをしていると、先生は「好きなことなら誰よりもいちばん上手にならないといけないよね」とよくおっしゃいます。

好きこそものの上手なれ

いっけん聞こえはいいのだ、この言葉。
まア、好きなことって取り組む頻度が上がりがちなので、自然と上手になる可能性が高まるよね、っていう話。

けど、これが些か過剰に解釈されると

「下手ということはそこまで好きじゃないんデショ?」

という認識にすり替わる。
ワサビだって入れすぎると刺身味わうどころじゃなくなるのと同じやうに。

好きを否定されるのって、結構、心を蝕むのよ。

ということで、「好きこそものの上手なれ」というのは使いどころと用量を間違えると、たいそうな呪いの言葉になると思っている。



好きなら極めなきゃダメ?

踊りのように、いわゆる「極める系」の趣味とかだとなんだかその傾向が強めだと感じる。
やっぱり踊り好きな子は稽古に来る回数だって多いし、お休みも少ないし、やったぶんだけ確実に力にしていくもの。といっても、リズム感とか運動能力って持って生まれた伸びしろには限界があるもので、どんだけ踊っても今一つセンスが育たなかったり上手くならない子はどうしても一定数いる。
(決して己が下手であることの言い訳をしているわけではない・・・・・・断じて)

あとは、ちょっと方向性違うけど推し活とかでもそういうのあるよね。
CDの積み具合で愛が量られちゃう感じ。

でもそれって、本当に推しへの愛??

いくらCDを積み上げても、その中身は買った人一人がしか聴かないわけで、積み上げた分だけ推したちの音楽が世の中に広がっていくわけではない。
ちなみに私はアルバムだったら3枚買う派です。

こういうことが行き過ぎると、「上手じゃないから本気じゃないんでしょ」「貢がないのは愛が足りないのよ」という負の認識が蔓延していくのである。

下手の横好きだっていいじゃない

(決して己が下手であることの言い訳をしているわけではない・・・・・・えぇ断じて、断じて)

私は幼いころから、「好きなことはプロにならなくてもいいから続けなさい」と母に言われて育ちました。

なので、今でも時間を見つけては趣味で絵を描きますし、なんだかよくわからない文章を認めてみたりする。古本市で歴史や文学関係の書物を漁ってみたり、仕事終わりに道場に行っていそいそと踊ってみたりなどもする。

けれども、すんごくデッサン力が上がったわけでもなく、相変わらず自分で書いた文章は意味不明だし、なにかを議論できるほど歴史の知識を身につけたわけでもない。そしてご存じの通り今年の踊りのコンクールは落ちているわけで。

―――と、こんなロハス(?)な生き方を私に示してくれた母だが、彼女自身は歳を重ねるにつれて、ひとつ、またひとつと趣味を畳んでいってしまった。

私にたくさんの着物やお洋服を作ってくれた裁縫を
三時のお茶のためのお菓子作りを
プロにも劣らない画力があったイラストを

母が型紙や画材を処分しようとするたびに、「置いておけば、ときどきは使うんじゃない?」「たまにはやってみたら?」と声をかけてみたが、

「どうせ、そんなに上手じゃないし」

と、あれも捨て、これも捨て。そうこうしているうちに、母はすっかり無趣味に。

裁縫とか絵とか料理やめた時点では読書はそれなりにしてたので、視力が落ちていたとか、そんなんじゃなかったと思うんですよね。このちょっとあとくらいに、さらに視力が落ちてしまって、読書すらやめてしまったのですが・・・・・・。

呪縛@上には上がいる

一日中家にこもって、家事以外は強いて何もすることもなく・・・・・・という母の姿は、とても寂しいものがありました。ときどきYouTubeとかは観てるみたいだけどね。
体力的に無理だとか、視力が、とかではなく、ぽろっと母の口から出た「そんなに上手じゃないし」。

どうして私にゆるい趣味のすゝめを教示しておきながら、己の趣味のあり方を上手下手で縛ってしまったのかというと、これは明らかに母の母、ようするに私の外祖母の仕業である。

遥か昔、古の時代。

絵のコンクールで入賞した小学生の母へ、外祖母が放った言葉。

「上には上がいる」

絵を描くことが好きで、好きで夢中で描いて、それが認められたというのは、嬉しいことじゃあないですか。別に好きなことって承認欲求のためにやるモンじゃないですが、その成果が周りの人の目に留まるって普通に嬉しいじゃん?

そんなところに、「上には上がいる」が投下されたわけです。

泣くよね?

そりゃ、一生モンの縛りになりますわ。

好きこそものの永遠なれ

好きなものとはなるだけ末永くお付き合いしたいものです。

趣味・モノ・ヒト問わず。

そのためには、「好きだから〇〇でないといけない」「好きなら△△しなければならない」という、謎の呪縛に囚われちゃいけないと思っている。

「好きこそものの上手なれ」は、他人をしかすことができる都合の良い言葉であるが、相手の受け取り方によってはその人を追い込む呪詛に転化してしまうのだ。

だから、己にも他人にも、「好き」であることの条件に達成度を求めちゃあダメ。

いや、だからといって、私がいつまでも踊りが下手なのは・・・・・・よろしくないわね?

【蛇足】呪物が届きました。

と、好きだがなかなか踊りが上達しない私のもとに、忘れかけていた呪物がお届けされました。

箱がどデカい


開封の儀

外箱見たらわかりますよね。
御写真です。

仕舞っててもしゃあないので飾る

コンクールの写真ってたぶんキャンセルできるんですけど、体力的&金銭的に次受けれるかわからんなと思ったのでそのまま記念として受け取ることにしました。
思ったより写真映り良かったので、いちおう飾っておきました。でも、これ見るたびに「あ゛、落ちたんだな」って思っちゃうんですよね・・・・・・?

***

ちなみに、私は趣味を含めた生活においてゆるく無理せず苦しまずをモットーにしているわけですが、それというのも我が家は鬱病の家系っぽく、家族が精神的に追い込まれる姿を間近で見てきたからです。
(亡くなった外祖母はじめ、私の両親も叔父も心療内科通院してます。)
なので、極める系のお稽古事をしていても、無理をして健康を損なうよりは、ゆるりと長く続けていきたいなと思っています。普通に舞踊やってる人からみたら、コイツまぢ舐めてんなって思われるんでしょうけど、心の健康は本当に大事です。あと、一緒に舞踊やってたお姉さんが、鬱悪化して辞めちゃったのも見てたので。

それではご機嫌よう。


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