二の贅沢
ある日、僕は今まで仲が良かった友達と談笑をしなくなった。なぜなら、友達という存在が居なくても人生を楽しめるからだ。 やはり、人それぞれの感情を揺さぶる固形物、人物等があると思うが大半の人が「友達」 という存在によって感情を揺さぶられるだろう。
次の日、初めて独りで校内の自動販売機の前で長方形の便利な物を撫でていた。 「やはり独りの方が落ち着くね」と心に撃った。 しかし、周りからの目には違和感と失望感をハーフ&ハーフにした様な感情が読み取れた。 「この周りの目はわざわざ自動販売機の前で長方形の便利な物を撫でている事を見ているのだろう」自分に言い聞かせた。
1週間後、初めて独りで某テーマパークへライブを観に行った。2時間30分並んだ列には何だか愛情が深く芽生えてきた。 そして、バイトの人にチケットを見せた。その人にもまた違和感と失望感をハーフ&ハーフにした目で見られた気がした。「首からタオルを巻いてる人を初めて見たのかな?」また自分に言い聞かせた。 ようやく、目の前に主人公が立ち尽くす場所を目にした。今までの努力の結晶を表してくれているのかと思い、さんずいに戻を組み合わせた物が顔上半分から湧き出てきた。
ライブが終わった。会場には僕以外の集団らが使った熱量が酸素となって浮き上がっていた。 またもや、さんずいに戻を組み合わせた物が眼から湧き出た。 「人と人が組み合わさると酸素はこの様な色になるのか。集団というのは実に頼もしいなぁ」
次の日、人生2回目の校内の自動販売機前で長方形の便利な物を撫でた。 「あれ?人差し指が動かねえ」体が独りという事に対して拒絶反応を起こしている。やはり、以前観たライブで「友達」という存在の価値を改めて身に染色してくれたのかもしれない。 初めて友達という二文字の意味を教えてくれた。
「ライブの力って偉大だなー」いやこの展開だと普通は「友達の力って偉大だなーだろ」と自分に自分でツッコミをいれた。
今度は「友達」と一緒にライブを観に行こう。 ここでもライブという三文字が浮かんできた。 そして、校内の3階に居る以前の友達の所に行き「ライブに行こう!」と言った。 「お!行こうぜ!」友達というものは何て良作さんだろうか。 そして、いつも通り自動販売機の前で長方形の便利な物を撫でた。