カラスの行水
シャンプーに書かれていた注意書きの写真です。
子どもの頃、短時間でお風呂を済ませると、周りの大人から
「あんたの風呂はカラスの行水。もっときれいに洗ってきなさい。」
と叱られました(大人に囲まれた環境だったので)。
そのせいで自分の中に
「長風呂=清潔好き=良いこと」
という固定観念があり、お風呂やシャワーの時間を短くするというのは、なんとなくマイナスイメージがあったのです。
が、このコメントを見て、ちょっとしたパラダイムシフト?が起きました。
良いことだと思って、長くシャワーを浴びたり、二度洗いをしたりしていたけれど、良いこととは言い切れない、というか環境に厳しい行動だった?
先ほど、NHKの番組に、東北大学大学院の押谷教授が出演されていて、
「このウイルスと、長く付き合いながら社会生活を送るということを考える」
というようなことをお話されていました。
密集をできるだけ避ける生活を続けるとなると、今まで当たり前に行っていたことが、期間未定で行えなくなるということ?
例えば、満員電車に乗って通勤や通学、映画館での映画鑑賞、ライブハウスやコンサート、人の多い閉鎖空間であるオフィスや教室での活動…。考え出せばキリがありません。
今のところ、5月初めまでの我慢という気持ちがなんとなーく社会に漂っているわけですが、5月初めまで行動制限をすれば、ウイルスが突然消えて無くなるわけじゃありません。
ワクチンや特効薬が開発されるまで、そしてそれがある程度は行き渡るまで?
ではその薬は、どこから誰から優先的に行き渡るのか?
やっぱり、アメリカやヨーロッパなのか、中国なのか。日本にも薬が行き渡ったとして、医療体制の整っていない国々はどうなるのか。
薬が行き渡り、ウイルスをある程度コントロールできるようになったとして、自由に行動できるようになるのはいつなのか。年単位の時間がかかるなら、その頃の世の中はどうなっているのか。何が残って、何がなくなっているのか?
あたりまえだと思っていた社会が、少なくともある一部分においては、既に終わりを告げたのかもしれない。
こんなことを、専門家でもなんでもない中年の自分が、考えても良い答えを出せるとも思えないのに、考えてしまう状況…。
厳しいですなあ…。
厳しいが、根拠なく楽観的でも、根拠なく悲観的でもいけない。いろんな可能性があるんだと理解して、日々を柔軟に過ごしていきたい。