1995年の冬、大阪人はバーゲンやるしかなかってん
「神戸は悲惨な状態なのに、梅田(いわゆる大阪キタ)はバーゲンなんかやってる。大阪の人はひどい!ひとでなしや!バーゲンやる暇あるんやったら、ボランティア来てくれたらええのに!まだまだ、めっちゃ人埋まってんねんで!」
と、大阪在住の私は、激しく罵られました。まさに罵るという言葉がぴったり当てはまる勢いで。1995年1月末、神戸生まれ神戸育ちの友人から。
そりゃそうやな、そう言われて当たり前や。返す言葉もなく、そのまま別れて、それっきり会うこともなく疎遠になり、多分この先も会うことはないと思われる。
あの時、神戸はあまりに混乱していて、一般の人は被災地に入ること自体が規制されていた記憶がある。
国道2号線の「歌島橋」という、大阪市西淀川区にある交差点には簡易のゲートが設けられていて、目的が明確ではない車両(たとえば物品配達、医療関係、復旧工事車両、親族や遺族等以外)は西向きの通行を規制されていた。
それ以外の神戸に入れる道路は、被災して通行することができず、電車もバスも止まっていて、たくさんの人が自転車や徒歩で被災地に向かっていた。
神戸の西の方に住んでいた友人は、大阪の実家に戻る手段がなく、岡山までバスで移動して、岡山空港から飛行機で大阪に帰ってきたと話していた。
助けに行きたい!と思っている人はたくさんいたけれど、25年前はインターネットも普及しておらず、あるのはテレビとラジオと新聞。
情報が、ほとんど無かった。
被災地は物資がなく、ライフラインも寸断されて、その上犯罪が横行しているから、無闇に来てはいけない、足手まといになるから帰ってくるなと家族から言われ、西宮の自宅へ戻らず、しばらく大阪の友人の家に滞在していた人もいた。
今ならあり得ないことだけど、「自粛」という言葉のもとに、コマーシャルはすべてAC(公共広告機構)の映像になり、日本中の様々なイベントは中止になった。
「関西は地震がない」
という根拠のない説を、多くの人がなんの疑問も抱かずに信じていたので、防災意識もなく、今考えると「保険に入らずに車を運転している」状態だったかもしれない。
自然の力はあまりに大きくて、あまりに理不尽で、人間はあまりにも無力やなと、脳みその髄まで思い知らされた。まじめに働いていようが、赤ちゃんだろうが長老だろうが、慎ましく生活していようが、お構いなし。災害は誰の身にも降りかかり、わずかな時間で全て破壊する可能性がある。
地震のある国の生活は、そんなぜい弱な基盤の上に成り立っている。
あの時、こんな大きな地震は千年に一度や、それぐらい酷い災害や、とテレビで誰かが言っていた。
16年後、大地震そして大津波のあと、2011年3月12日に原発事故が発覚したとき、私はふと「阪神淡路大震災が無かったら、日本はこの衝撃に耐えられへんかったやろうな。あの時の経験はきっと役に立つんやな」と思いました。
そして、あのつらい神戸の地震を、そんな風に糧として考えずにはいられない、とてつもない災害が再び発生したことは、あまりに悲しいことやなと、同時に思いました。
2011年は、もうネットがあって、スマホもあって、情報伝達のスピードは1995年とは全く違っていた。ツイッターで助けを求めて救助される、というケースもあった。
被害の少ない地域では、出来るだけ普段通りに過ごすことが被災地応援になる。悲嘆し、自粛して、全国が機能停止してはいけないということも、2011年にはなんとなく皆わかってきた。
お祝いも明るいイベントも、プチ贅沢も、心から楽しめないかもしれないけど、自粛はしないでおこうと。
「ボランティアに参加するときは、よく考えて、計画性を持つことが大切。無闇に現地に入っても、邪魔になることもある」ということも徐々に知られるようになった。
先立つものが必要だと、物資の寄付や募金という協力方法があるということも。
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ごめんな、Cちゃん。あのとき、助けに行きたかったけど、体力に自信のない私は、自転車で大阪から神戸まで、よう行かんかった。他に交通手段が少なくて、現地は治安が良くないと言われて、おまけに自分の自宅の周りは、地震の揺れでガス管が壊れてガス漏れが続いていて、誰か1人は家にいるようにとガス会社から指示もあって。
本当に、どうしたら良いのか、わからんかった。もっとできることがあったんやろうけど、私に出来たのは、コンビニの募金だけやった。
全て言い訳にしかならんのやけど、あのとき大阪ではバーゲンやるしかなかったんやと思うねん。
大阪で買い物して、焼け出された親戚に物資を持っていくという人もたくさんいたということ、友人はもちろん知っていただろう。だから、あの言葉は本心というよりは、理不尽な震災に対するやり切れなさから絞り出されたんやろうなあと、今も思っている。
もう地震が起きませんようにと祈りたいけど、それはなかなか難しいようなので、構えすぎずに「防災」を意識する人が多くなりますように。