一歩

こんにちは。ゆるらりらです。

mbti、もしくは16personalities診断って知ってますか?

私は16personalities診断ではinfpの診断が出ることが1番多いです。

でもそれぞれのタイプの説明を読むとinfjの方が当てはまることが多くて。

なのであくまで自称ですが、私はinfj(もしくはinfjに近しい)と思っています。

実際infjの説明を読んだことで自分への理解が深まりました。

infjの説明は今まで感じていた自分と他者の違い、違和感を文章として具体化、この世界に示してくれたように思いました。

いつからか、私は自分が人と違うという気持ちを心に納めきれないほどには大きく持っていました。

それは周囲と関わるほど大きく現れるもので。

すごく小さい頃、まだ、小学校にも入っていない頃、私は自分が変だ、他人とは違うとは思わなかった。

いや、思ってたのかも知れないけど。

だって他人と自分が違うことなんて当たり前なんだから。

でも私が他人と違うってことがわかったとき、どう対処するのか、それがきっと他者とは違った。

私の友達に、さっぱりとした人がいる。

さっぱりとした人って何?って?
それ以外にその人を表す言葉が思いつかない。

その人は自分と他人が違かろうが全然気にしない人で

そういうところが好きなんだけど

なんでそんな風にいれるのか、なんでそんな風に振る舞えるのか不思議で仕方なかった。

そういれるその人が羨ましくもあった

なんでその人がそういれるのか、自分とは何が違うのかを考えた時

色々考えて

一つ思い当たるものがあった


子供の頃の話。

子供の頃、

「変だ」と言われてどうしたのか

だ。


私は「変だ」と言われて、その変を無くそうとした。

変は悪いものなのだと、

あってはいけないものなのだと、

けさなければいけないものだと思っていたから。

いつかれそう思うようになったのかはわからないけれど

そう思ったから私は周りに馴染むように変を消すことにした

でも消し方なんてわからなくて

結局私は「変が露呈しないよう黙る」ことをした

そうしてできた私は

静かな人、何を考えてるかわからない人

そうなった。

なりたくてなったわけじゃない

できることなら

自分が自分でいて良いのだと胸を張って言えるようにに過ごしたかった


変だ

それが何だ?

今、そう言えるような人になりたかった、
そう言える人でありたかった

幼少期にいつの間にかついていた私の癖

変だと言われてその変を貫き通さない

隠そうとする、
消そうとする、
無くそうとする

私の癖

この癖はなにからできたのだろうか

原因は何個か思いつく

原因はきっとひとつではないのだけど、

1番大きいのは

親だ

今になって思う

幼少期の親から受けた影響の大きさは尋常ではないと。

幼少期の親の影響はすさまじいのだ

今の私の在り方を幼少期の私が形作っている

幼少期が少し違っただけで

きっと今の私とは大きく違っているのだろう

「変だ」と言われた時、もしくは自分で感じた時、私は何を思ったのだろう

2.3歳は他者との違いにぶつかり、違いを認識する時だ。

自分と他者は同じではないのだと、違うのだと気づく時。

気づいた私はどうしたのか

親に助けを求めたのか

何なのか

わからない

小学校に入った時には既に私は「変であることはダメなことである」と思っていた

小学校3年の授業、お絵かきの授業。

隣にいた子に言われた

「ここには宝箱があった方がいいよ!あとここにはこれをつけて!これは違うよいらないから消して!」と

今でもなぜかその場面は鮮明に覚えている

それを言われた私は

悲しくなりながら、その子の言う通りに描いた

今ではお絵描きという自分の好きなものを好きなように描くそれを

他人に指示されて描かなくて良い

と分かっているけれど

その時はその子が絶対だった

なんで

別にそれを拒否したからと言って何も起こらなかった

なんで

その子にそれを言われる前に、私に何かがあったんだ

そしてそれが変わらぬまま今の私になっている

どこかで誰かがそれを変えたなら違ったのかも知れないけれど、私は小学校3年から今まで変わらずにいる

変われずにいる。

それは幼少の頃から根付いている何かであり

その全貌は全く見えない

どのくらい深い根なのだろうか

表層に出ている草
それだけが見えている

草を引き抜こうと根が絶えないのなら
ずっと生えてくるのだ、その草は。

その根の部分を少しずつ、丁寧に知って行きたいと思った。

そうしたら何かが変わる

昔の自分を
助けてあげたい

悲しいと思った記憶上のあなたを私を
どうにかして。

それは今の私を助けることにもなるから